日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

笑いすぎと引きこもり

クラッカーを食べていた。家内とテレビでも見ながら馬鹿話でもしていたのか。何がそんなにおかしかったのだろう?アハハハ、と、大笑いしていた。すると噛み砕いたクラッカーの一かけらが迷子のように気管支に入ってしまった。そこから咳が止まらくなった。自分には喘息の持病があり気温の変化やたばこの副流煙はすぐに気道を収縮させる。喘息を起こさぬようにとステロイドと気管支拡張剤の毎朝毎晩の吸入は欠かせない。気管支の迷子のクラッカーはしかし居続けた。喘息に近い状態になった。激しい咳は異物を肺や気管支から出そうとする為の自浄運動だと言われた。

少し発熱もあった様だった。咳が苦しく夜間に何度も目が覚めた。息が出来ないと思った。病院が年末年始休暇に入る前に薬を処方してもらった。病原菌に感染したわけではなくクラッカーのかけらが原因だった。しかし発熱もあったのだから炎症も起きたのだろう。咳止め、痰きり、肺の炎症を防ぐように抗生物質、それにつらい夜中の発作を抑えるべく就寝前に服用する気管支収縮制御薬も出た。真面目に薬を飲んだがクリスマス辺りから三が日一杯までは辛かった。

なぜあんなに大きく笑ったのか?馬鹿笑いで気道に異物混入・誤嚥性肺炎になりかねぬ・・笑い事ではなかった。あの時しかめっ面で通していればよかったのだ。しかしそんな日々はつまらない。結局体調が悪いまま年末年始は引きこもり生活だった。外出の気力も出なかった。外出らしい外出は近所への初詣と母校の駅伝応援だけだった。

引きこもりは気楽だがとても自分が堕落したように思えるのだった。動けるはずの人間が動いていない。いたずらに栄養を取り、二酸化炭素を排出し排泄しているだけだった。テレビも又すべてが判で押したようにつまらなかった。動かないと刺激がない、すると創造力も湧いてこない。クリエイディブさを失うと日々は急につまらなくなってしまう。これはいつか自分も体が動けなくなったら困るな、と心から思った。

いつしか肺の異物感は消えていた。炎症も収まり、咳も減った。少し体を動かそうと、自転車を外に出した。ランドナーには一月以上乗っていなかった。するとタイヤの空気も何時か抜けている。空気を入れて軽めに約ニ十キロ走った。心地よかった。刺す風の冷たさに反比例するように体の底から力が湧いてくるのを感じた。近所の川の土手を少し降りると早くも梅の花の芽吹きがあるように思えた。川の水面、土手の枯れ草、曇り空。鮮烈ではないが下界は色に溢れている。自転車で僕はその色と一体化した。外に出るとは楽しいと改めて思うのだった。

笑う事はセレトニンとオキシトシンが大量に放出される。脳内が毎日そんな幸せホルモンに満たされる事を自分は目指している。しかし何事も過ぎたるは及ばざるがごとしの様だった。笑いすぎて咀嚼物が間違ったところに入るのは本末転倒だった。

引きこもりは止めたい。といって笑いすぎもいけない。かといってしかめっ面の日々もつまらない。普通の日々を過ごすという事がなかなか難しくなってきたなと思う。まだまだ長期戦だからゆっくりやっていくしかない。

一月の午後。曇り空の日は風も冷たい。しかし体を動かすことの気持ちよさを改めて感じた。