日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

闇深き巡業

そこに居るはずだった。行ってみるとショーケースには居なかった。店員さんに聞くと「今朝お店を移りました」と言われたのだった。そんな話は以前もあった。そこは隣県のあるホームセンターだった。そこで偶然見かけた。元気もあり可愛かった。数か月後にその店に行った。まだそこに居るのなら「これは赤い糸だな」と何処かで背中が押されたかもしれなかった。しかし居なかった。店員さんは「他のお店に行きました。」と言うのだった。どのお店に行ったのですか?と聞くと「えーと・・・そう、神奈川県です」と答えた。自分の住む県ならばまた会えるだろうか?さらに質問を進めると困り顔だった。

それはペットショップでの光景だった。年齢十歳ほどの犬を飼っていた。あまりに可愛く自分たちは日々癒されていた。そこでもう一頭飼うのもいいなと話をしていた。飼うなら同じ犬種だった。買いやすい小型犬だが人気のある犬種ではないのかもしれない。ペットショップへ出かけると犬をカートの載せたままいつもショーケースの中を覗いていた。たまに同じ犬種が居ると釘付けになってしまった。

そんな「浮気」に腹を立てたのか、愛犬は十二歳で世を去ってしまった。この犬種としては短命だった。心の隙間風を埋めようという気持ちもある。飼うとも決めずにホームセンターのついでにペットショップを覗くのだった。元気のいいシーズの男の子がいます。そんな記事をWEBでみて出かけた。

「お店を移る」とは何だろうか。どうやらお店には期限付きでやってくるのか。そこである程度の潜在需要を待ち、何も「アタリ」が無かったら河岸を変えるという訳か。顔見世興行や相撲の巡業ではないのだ。あの小さな体にはあまりにかわいそうな話だった。

日本のペット事情はかなりいびつではないか。ドイツに住んでいた頃ペットショップに行ってみた。しかし生体を販売している事を見たことが無い。調べると自分でブリーダーや保護犬猫を探すと書かれている。飼おうという決心をもって行く場所だった。赤坂や六本木にペットショップがあるのは何故だろう?着飾った女性客は夜の街の女性だろう。スーツ姿のオジサンはきっと意中の彼女達へのプレゼント探しだろう。ガラスケースの向こうに犬がいる。品定めをして決める。それはアムステルダムの飾り窓に近いように思える。

偉そうに書きながらも脛に傷がある。十二年連れ添った愛犬はやはりホームセンターのペットショップで買ったのだから。しかし衝動買いではなかった。じっくり考えた。なによりも犬が飼えるようにと、住んでいた集合住宅を引き払い一戸建てに移り住んだのだから。日本のペットショップ事情が違っていたら彼とは出会えなかっただろうから、あながち否定も出来ないのだった。

お目当ての子がお店を移った。その後何度移るのだろう。コロナでの在宅が増えペットは一気に増えたと言うが犬猫は工業製品ではない。悪質な業者が産めよ増やせよとばかりに産ませたのかもしれない。何処かで軌道修正しなくては余剰動物が増えまいか。そしてショーケースで衝動買いされ、こんなはずではなかったと手放される犬も減ってほしい。巡業に出てしまった二匹の犬の「今」をあまり想像したくない。きっと優しい飼い主さんに出会っていると思いたい。そうでない選択肢の先を探る気もないのだった。

売り買いはとても安易にされている。需要と供給のバランスも崩れている。果て無き巡業はあまりに闇が深い。

彼はきっと不幸な巡業はしなかったのだろう。我が家で十二年、笑いと安らぎをくれたのだ。

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