日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

相模原に関所あり 淵野辺大勝軒

相模原市はいつの間にか巨大化し旧津久井郡も巻き込んでしまった。神奈川県津久井郡は消滅し、傘下の相模湖町藤野町津久井町城山町。それらはすべて今では幻の地名になってしまった。神奈川県北東部の山梨県との県境が相模原市緑区と言われてもピンとこない。またその境をなす地が山梨県上野原市というのも腑に落ちない。山梨県北都留郡上野原町のはずだった。どちらの地籍変化も遠い昔でもなく2005年あたりだがそれでももう二十年経つ。いつの間にか自分のアタマもすっかりとオールド・タイマーになってしまった。

旧い人物には昔の記憶しかない。新しいものは受け入れられないか、受け入れても頭の中を流れて消えていく。寂しい話だがそれしか語れない人物に、自分もなってしまったようだ。

好きなラーメンも然り。自分の好きなラーメンインデックスでも作れば時代錯誤ですか?と言われるものばかりになる。Wスープ?背油チャッチャ?マシマシ?20年前なら食べられたが今はお腹が苦しくなる。その点、やはり支那そば。澄んだ醤油スープに黄色いちぢれ面。具はシナチクとチャーシュー、ネギ。ナルトが乗ると最高だ。映画「男はつらいよ」で葛飾柴又の実家の団子屋に帰ってトラブルを起こして「やさぐれた」寅さんがいつも旅に出る。その時に必ず上野駅地下食堂で食べるラーメン。あれが憧れだ。そんなフォーマットのラーメンばかり探している。

大・相模原市になる前の相模原と言えば橋本・淵野辺・相模原・小田急相模原あたりが大きな街だったのではないか。山登りで頻繁に山梨方面に出かけていた自分は当時はそれしかなかったこともあり国道16号線をいつも走っていた。帰路に何時も立ち寄る店があった。JR横浜線淵野辺駅にあるラーメン屋、大勝軒だった。

同じ名前で二軒あった。一軒は駅の南側、鹿沼公園の向かいにあるので「鹿沼大勝軒」と呼ばれて、駅北側の店は「淵野辺大勝軒」と呼ばれていたようだ。どちらもよく食べた記憶があるが国道16号から入って近い前者に良く立ち寄った。今思えば前者が東池袋大勝軒の系列であり、後者が永福町大勝軒の流れを汲んでいるのだろうか。麺が多い。器が熱くて持てない。煮干しだし。そんな味はどちらの店も共通していた。国道16号を走っていると必ず立ち寄ってしまうという意味ではそこは関所でもあった。さらに横浜線を境にラーメン屋が対峙している。ラーメンの桶狭間川中島だろう。ずっとそう思っていた。

サイクリングの行き先を相模原にしたのはそんなラーメン古戦場を訪れ、南北の雄を一気に頂戴しようと思ったのだった。しかし最近何度か通ったが鹿沼公園前のお店はいつも閉まっていた。閉店と書かれたネット情報も見るのだが真偽は分からない。駅北側のお店に並んだ。こちらの訪問は10年振りかそれ以上か。娘と二人で登山の帰りに立ち寄った記憶がある。懐かしい匂いと味は、舌が、五感が覚えていた。好きなラーメンとはそんなものだ。

今日も関所につかまってしまった。いや、関所につかまりに行ったのだった。そして味の改め役のお役人から厳しい尋問を受けてお咎めなしとなった。もう一方の番屋のほうが記憶が多いがそこは改め方がお休み中なのか。こちらはまた何時か会えるかもしれない。いずれにせよこんなに魅力的な尋問ならばまた行くだろう。出来れば南北の番屋をはしごして責め苦を楽しもう。もっとお腹を空かせて。

JR横浜線淵野辺駅の南北に大勝軒があった。上は今回久しぶりに再訪問した淵野辺駅北側のお店。下は昔幾度も通った南側のお店。どちらにも幾多の思い出あり。いずれも甲乙つけがたし。味の関所であり、淵野辺はラーメンの桶狭間川中島だと思っている。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

 

shirane3193.hatenablog.com