日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

四十数年ぶりの目覚め

これまでの引っ越し回数を数えてみた。11回だ。高校卒業から社会人になり結婚するまで5回。結婚後3回。なかなかの回数引っ越したものだと思う。当然その際に多くの物を廃棄してきたはずだ。引っ越しは物を捨てるのにもっともよい機会だろう。 

先日押入れの中を探しものをしていたら小さな袋が出てきた。中身は机の中の雑貨を放り込んだものでキーホルダーやコンパスなどガラクタだった。その中に腕時計があった。余りの懐かしさに声が出た。この腕時計はよく覚えている。それどころか何処に行ったのだろうと時折思い出していたのだった。それは高校生の頃当時住んでいた広島市で入手した。市街地一番の交差点である紙屋町。交差点から西に向いてデパート、隣には当時の広島市民球場、向かいには大型家電量販店、その奥は原爆ドーム。そんな並びだった。その家電量販店でねだって母に買ってもらったのだった。もしかしたら高校入学の記念だったかもしれない。いずれにせよ自分にとっては初めての腕時計だった。

時計コーナーを見てとても洗練されたデザインと思った。一目ぼれだった。銀のボディに深い青の色合い、SEIKOロゴとQUARTZという白字だけの、とてもシンプルなデザインに魅了された。そのワクワク感は今でも懐かしい。セイコーのデジタル腕時計だった。とても薄っぺらくて軽かった。 

腕時計が好きで、色々買ってきた。香港辺りでは当時普通に裏道りで売られていた偽ブランドの時計。ダンヒルなど社会人数年目が買えるはずも無かった。少し経って世に出たスウォッチは安いがバラエティ豊かでいつも出張の旅に一本買った。何十本になったか分からない。そんな当時のコレクションは何も残っていない。今はドレス、カジュアル、アウトドア用あわせて7本。自動巻き、電池式、ソーラー式。腕は一本なのに結局腕時計が好きなのだと改めて思う。登山用、欧州駐在から帰任の際の記念に買ったもの、出張の際に何時も免税店で手に取り迷い何度目かでようやく買ったもの。娘のバイト先で買ったもの、勤続25周年記念品、叔父の葬儀の返礼品、出張用の世界時計、全てに思い入れがあった。もう腕時計は要らなかった。

しかし幾度も繰り返された引っ越しに伴う棚卸・廃棄をすり抜けて突然タイムスリップしたように出現してきた腕時計。この一本だけは余りにも魅力的なデザインが記憶に残っていたのだ。

革バンドは腐食し、時計自身も傷だらけだった。しかし当時好きになった面影がしっかり残っていた。LCDは真っ白で、さてこれが可動するのかはいささか疑問があった。電池の液漏れを危惧していた。まぁ見つけたのだから、と半ばあきらめて時計屋に持ち込んだ。

15分後、時計は今の時間を刻んでいた。にわかには信じられない。古いからいつ停止するかわかりませんけど・・、と言われたが充分だった。電池の液漏れはわずかにあったというが周辺回路は目下無事だった。ボタン電池の交換で、水晶振動子は長きの眠りから覚めて再び動作を開始した訳だ。小さな押しボタンを押してみると今日の曜日と日にちを示した。何と素晴らしい事だろう。

この時計が動くのを見たのは、四十数年振りだった。よくぞ、再び時を刻んでくれた、と嬉しくて仕方が無かった。回路が正常ならあとは部品の劣化だろう。LCDの液漏れ、コンデンサの劣化、このあたりが今後懸念される。しかし今日ここで目覚めて何事もなかったかのように動作しているのだから杞憂だろう。

バンドも交換して腕にした。軽い。高校卒業から今日まで8回の引っ越しで捨てられることもなく見いだされ、電池交換。四十数年ぶりに目覚めた時計を見ていると高校生の頃に戻った気持ちもする。残念ながらそれは気持ちだけで禿げた頭も出っ張ったお腹も、昔とは大きく違っている。こればかりは電池交換では治るまい。

まぁ、新しい古くて新しい友人を当分の間は腕にはめたまま過ごすのだ。明日の朝目覚めて最初に目にするのは、もちろん四十年前のドレスウォッチの液晶画面だろう。嬉しい事だ。

セイコーF033-4010 それが40年来の友人のモデル名だった。