日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅2・落ちこぼれから天才バカボンへ(赤塚不二夫)

●「落ちこぼれから天才バカボンへ」赤塚不二夫著 ポプラ社1984

子供の頃にゲラゲラ笑って読んだ漫画たち。大好きだったドラえもんはゲラゲラ笑うという漫画ではなかったが夢があった。ハメを外して笑い夢中になったのは赤塚不二夫だった。アニメが始まった頃だろう。「おそ松くん」「もーれつア太郎」。また姉がいた自分は「ひみつのアッコちゃん」を共に見て「テクマクマヤコン」と唱えた。そんな中「天才バカボン」だけは別格に面白く、これは漫画本を友から借りた。母がいつも口にしていた。「漫画は頭が悪くなる」と。そんな迷信がまだあった時代で、隠れるように読んだ。パパの喋る「なのだ」という口調を皆が真似た。

手始めに借り始めた図書館の本。まずは気楽にと、赤塚不二夫の自伝というか軽いエッセイに触れてみた。

色々知るところがあった。漫画家の聖地とも言われるトキワ荘。筆が早い石森章太郎やイタズラ好きな二人組・藤子不二雄、小さな建屋で他多くの青雲の志を持ったエネルギーの塊のような若人が繰りなす日々。

少女漫画からキャリアが始まったのは知る由もなかったが、憎き編集者を皮肉って生まれた「シェ~」のポーズや「イヤミ」というキャラクターも好きだった。へこたれずに抑圧にもめげずにおかみへの皮肉を込めたセリフを吐く「ニャロメ」が反戦安保の当時の大学生に猛烈に支持されたというのも首肯出来た。左右の目がつながっていつも拳銃を見境なくぶっ放している警官は、大学生のデモを見物していたときの警官の姿から発想を得たという。漫画がアイデア出しと作画の分業を取ることもあるとも知った。編集者の果たす役割など考えたこともなかった。

鳴かず飛ばずの頃のひらめき。「登場人物の個性をユニークにすると、ドラマはどんどん展開するだろう」ということで、主人公のバカボンではなくそのパパのキャラクターを際立たせてようやく大ヒットしたのが「天才バカボン」ということだった。

売れ始めてからもプロダクションの設立、借金、失敗。様々なことがあったようだ。アシスタントとして働いていて後日漫画家として名をなす北見けんいち古谷三敏が、また新宿の飲み屋で形態模写と一発芸をしていたタモリなど、彼と彼を取り巻く人々は成功し、笑いという不動の娯楽を作ったのだろう。

赤塚不二夫のすべての作品を読んだわけではない。しかし多くの日本人の中には今でも「白いキャラコの肌着に茶色い腹巻き、鼻毛が顔を出すオトウサン」は世のコミカルな親父のキャラクターとして定着した。

絵として大好きだったニャロメ、ベシ、ケムンパス。子供の頃の学習ノートの端っこにいつも書いていて、それをパラパラ漫画にしていた記憶がある。

「管理社会と言われる今の世に生きようとする人には参考にならないような生き方だと思うが、自由でありたいと願うこんな生き方もあると知ってほしい。」そう結ばれている赤塚不二夫の書は、傑作の裏には様々な人間ドラマと起伏があったということを教えてくれた。

上り下りや回り道を繰り返しこれからもそれを続けるであろう自分もまた、参考にならないような人生を歩んでいるな、と感じさせてくれた。自分は自分。となると「参考になる」という言葉に意味はない。他者を省みない自己満足は嫌いだが、自分のありようをAS-ISで受容すればよいのだと思う。

馴染みのあるキャラクター達。小学生の頃は毎日彼らに捧腹絶倒だった。成功の裏には色々な話があったと知った。