日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅1・図書館は知の泉

図書館、図書室。長く使わなかった。本を借りたのは中学生まで。いや大学生かもしれない。あとは勉強や休日の仕事の際に利用するだけだった。

テレビで放映されていた立花隆のドキュメンタリー。ジャーナリストであり作家・評論家である彼は狭い敷地に三階建ての家を立てそこで本に囲まれた生活をしていた。手の届く範囲にありとあらゆる書があったという。その蔵書量には驚いた。ちょっとした町の図書館のレベルを軽く凌駕していた。

子供の頃に熱中したのはポプラ社から出ていた怪人二十面相シリーズ。おどろおどろしい作画もあり怖いけど夢中になる、自分も小林少年になり明智小五郎を手助けするのだ。そんな夢をくれた本だった。図書館でこれを読むのが好きだった。江戸川乱歩が実はもっと違う作風と知ったのは後年だった。

小学生後半から中学生、この頃が一番読書量が多かった。北杜夫遠藤周作あたりの軽いエッセイに始まり、第三の新人と言われた世代の作家あたり。内容がよく分からなくとも手に取った。「新潮文庫の100冊」を全て読もうと目論んだが何時ものことだが途中で脱落した。

悩める大学生では、雄勁な筆致の小説や哲学的な内容の書などに自分の道を求めた。霧の岬を灯台の明かりを頼りに航海する船の様に、何かすがれるものが欲しかったのだ。

社会人になり手にしたのは趣味の本ばかり。仕事しか知らない人間になりたくなく、アウトドアや音楽などの趣味を更に膨らませ深掘りしたかった。管理職になってからは仕方なく自己啓発やビジネス書。会社を離れ不本意に手にしていた後者とは縁がなくなった。

近所の公民館に用事があり出かけた。一角の図書室を覗いてみた。図書館ではないので蔵書量は少ないが子供向けから一般書まで、興味深い書や懐かしい書が沢山あった。新鋭の芥川賞作品も棚に収まっていた。

加齢のせいか脳の手術の影響か、集中力が維持できずにじっくりと活字に向き合うことが苦手になってきている事を自覚していた。しかし自分は、実は言葉に飢えている。美しい言葉である日本語や素敵な言い回し。かつて読んだ本を取り出してそんな言葉を探すことも多い。記憶をたどり彼らに再会したときは嬉しいものだ。

今から新しい世界に没入するのは辛いな。昔読んだ小難しい本や抽象的な本も遠慮かな。挫折せぬよう何事も「小さく始める」。まずは気楽なところから再開しようか。

子供の頃熱中した漫画家のエッセイと、好きなピアノ演奏者について論じた本の、2冊を借りた。幼心によく馴染んだイラストの混じった大きなフォントの本、好きな分野の本。なんと無料で2週間も貸してもらえる。

なんでこんな素敵な場所に気づかなかったのだろう。迂闊だったと少し後悔した。

立花隆は多岐に渡る知的好奇心と深い洞察により「知の巨人」と呼ばれていたと番組を通じて知った。そして世を去るまで「知の旅」を止めなかった、と語られた。

そんな大それたことなど考えない。が図書館では「知」とは言えなくとも、探している言葉も泉のように湧き上がり知らない世界も新大陸発見の様にみつかるかもしれない。

「知の泉」か。その泉は、荒波や霧に囲まれた旅がこれからも想像される中で、灯台の明かりの様に再び何かを照らし出してくれるかもしれない。浴びる浴びぬは本人次第。まずはそんな泉、温泉のように浸かりシャワーのように浴びたいものだ。

何時も素通りしていた道に「知の泉」があった。泉で水浴びするかしないかは、本人次第だ。当面は「浴びてみようか」と思っている。