日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

哀しきバナナ

♪ バナナが一本ありました。・・バナナは何処に行ったかな?♪ バナナン バナナン、バァナァナ♪

家内の話です。仕事に行くのに国道沿いのバス停でバスを待っていた家内。

バス停に集まってきた人の一人に声をかけられたと言います。それはもう齢90を越えたと思える達者なお爺さんだったそうです。

「おネエさん、バナナあげるよ。買ったばかりだけどね」

そう言って家内にスーパーの袋ごとバナナを上げようとしたと言います。固辞した家内も最後は断り切れずに、貰ったようです。

仕事から帰ってそんな経緯を話してくれました。

「それでそのバナナは?」

「カバンの中。」

取り出してみたバナナは一房。ビニール包装袋に入った、何処のスーパーにでもありそうなものです。美味しそうです。

ありがたい話だね。食べ物頂けるなんてさ。バナナは嬉しいね。

そう言って食べようとすると、「やめて、これは捨てる。何処のどなたかわからない人からもらったバナナ、気持ち悪いし」と言うのです。

でも普通の身なりのお爺さんだったと言います。「貴女にくれたのだから頂くべき」「不自然だから食べられない」。押し問答となりました。

・・想像するのです。お爺さん、年金をもらってほくほく顔。美味いものを食べようかとスーパーへ。お、バナナか。元気が出る。久しぶりに買おうか。そう思って籠に入れたのでしょう。やや覚束ない手で財布を取り出し、お札を渡したのでしょう。そうして彼の手に収まったバナナ。

お爺さんが何を感じてそんなバナナを家内に渡したのかは知る由もありません。世間話のきっかけが欲しかったのかもしれません。しかしお爺さんを元気づけるはずだったバナナは、彼の善意を経由して、見ず知らずの家庭のごみ箱へ直行です。 彼にも悪いし、バナナを作ってくれた農家さんにも悪い。バナナも不憫。

どうしてこんな世の中になったのでしょう。家内を責める気はありません。電車内での不条理な殺傷事件など理不尽で想定できない事ばかりが起こる昨今です。コロナで人間同士の接触も減っている。仕方のない事なのかもしれません。むしろそれを感じない自分はズレているのかもしれません。

唄ではバナナはつるんと飛び跳ね続け、長い旅を経て最後に口を開けて寝ていた船長さんの口の中にスポンと飛び込んでモグモグ食べられるのです。我が家では違う末路でした。

♪ バナナが一房ありました。♪
♪ 知らない爺さんくれました。♪
♪ 僕は食べよと言いました。♪
♪ 家内はキモイと言いました♪
♪ バナナァはそのままゴミ箱へ。♪
♪ バナナンバナナンバァナァナ♪

そんな替え歌が頭に浮かび口ずさんでいたら、家内は嫌ぁな顔をするのです。

これが20年前ならどんな話だったのでしょうか? 

善意が通じなくなった世の中は、寂しいな。自分だけでなく、家内も、誰もが、それを無抵抗に信じられるような時代が、再び来ればよいと思う。すると社会はずっと住みやすくなるのではないか、そう思うのです。

お爺さん、本当に申し訳ないです。たまの贅沢、ルビコン川を渡る思いで買われたバナナかもしれませんでしたね。
そして南国で生まれて船に乗ってきたバナナよ、人の役に立ちたかったろうに、本当にすまなかった。

善意を素直にそう感じることが出来る時代に戻るためには自分は何をすればよいのだろう? 哀しきバナナはこれで最後であってほしいものです。

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バナナよ、君には罪はない・・・。