チクルス・・ある作曲家の作品の連続演奏会。
自分の最近体験したチクルスはもう10年前以上前のブラームスチクルスだった。
それは秋深まるパリ。クリストフ・フォン・ドホナーニが指揮するフィルハーモニア管弦楽団が来仏してのシャンゼリゼ劇場での二日間のブラームスの交響曲全奏だった。全4曲を2日間に分けての演奏会。初日は1番と3番、二日目は2番と4番というプログラム。重厚な造りの1番と4番を同じ日にしない、良い組み合わせだった。期せずしてその前日にはサル・プレイエルでクリストフ・エッシェンバッハ指揮パリ管弦楽団による演奏会。ここではモーツァルトのクラリネット協奏曲とブラームスの交響曲3番という好みの演目だった。ゆえ、好きなブラームスの4曲の交響曲を三日間連続して、フィルハーモニア管とパリ管で聴くことが出来た。出来ればドイツのオケで、とは思うもののそれは贅沢だった。天に昇る気持ちでチクルスを、珠玉の4曲を堪能した三日間だった。
自分の場合好きな音楽も聴くサイクルがあり、バッハばかり聴くとき、ブラームスの時、ブルックナーの時、シューマンの時、ハイドンの時、ヘンデルの時、・・、都度都度変わる。余り混ざらなく集中して聴く。さてここのところはモーツァルトが多い。昼間の陽射しが春めいてきたせいもあるのかもしれない。時折混じる悲しい表情がひときわ輝くのも基本的に明るいモーツァルトの音楽だからこそだろう。春はモーツァルトの気持ちになる。
さてモーツァルト。数えられないほどの作品があるが集中して聴くとしたらやはり交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノソナタあたりだろか。声楽曲もいいな。いずれも素晴らしいがやはり耳にすることが多いのは交響曲。特に後期6大交響曲(35,36,38,39,40,41番)はいずれも聞きごたえがあるが、40番41番は余りにも有名で食傷気味。自分は34番、36番、38番、そして39番を好みとして挙げたい。特に34番と39番はともに終楽章のリズム感みなぎる生気が素晴らしいし36番も終楽章の躍動感がすでに体の一部になっている。38番は冒頭序曲の後に続く第一主題からのスケール感のある展開に体が釘付けになる。主旋律と副旋律の絡みが素晴らしい。
そんなことで、34番から39番ばかりお気に入りの録音で聴きまくる事になる。CDで集めていた手持ち音源での「モーツァルト・チクルス」というわけだ。カール・ベーム/ウィーンフィル、カール・ベーム/ベルリン・フィル、オトマール・スイトナー/シュターツカペレ・ドレスデン、オイゲン・ヨッフム/バンベルク交響楽団、ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団、ジョージ・セル/クリーブランド管弦楽団、ブルーノ・ワルター/コロンビア交響楽団 モーツァルトの交響曲はこのあたりの演奏で集中的に聴いてきた。
改めて聞くと、やはり38番と39番に唸ってしまう。特に39番の終楽章。生命力にあふれ活発。とてもわくわくする。・・しかし。どこかで耳にしていた演奏がどうしても思い出せない。通常39番の終楽章はアレグロで演奏されるのだが、その演奏ではこれをアンダンテに近いゆったりとしたリズムで通していた。それで初めてこの交響曲の良さに気づいたのだった。
がんじがらめに固まった紐のほつれも、ゆっくりほぐせば分解できる。通常快速で演奏されるこの楽章を、まるでからまった糸をほぐすようにゆったりと演奏したことで、各声部の構成が透明に浮き上がった。そんな演奏だった。
しかし、今それを聞こうと思っても指揮者もオケも思い出せない。手持ちのCDをひっくりかえしMP3データを確認してもわからなかった。何か幻を聴いていたのだろうか。確かに聴いたはずだった。・・・いったい誰の演奏だったのだろう。自分に交響曲39番のすばらしさを教えてくれて、他のどの演奏よりも輝いていた、そう思うのだ。
手持ち音源を聴くだけの「モーツァルト・チクルス」も楽ではない。苦しみを見つけてしまった。解明できないと夜も眠れないな・・。どなたか、39番の終楽章をゆっくりと演奏している録音をご存知だったら教えて頂きたいと思う。極端だけど、それを聴いたからこそモーツァルトの素晴らしが分かったのではないか、と思うのだ。