クルマの中で付けていたFMラジオ。そこから流れ出たピアノで始まる懐かしい合唱曲に、釘付けになりました。
小学生だったのでしょうか。忘れました。しかし、半ズボンを履いて、一生懸命唄ったことだけは覚えています。本当に、力を入れました。
https://www.youtube.com/watch?v=t4FZ2uS3T9g
担任か、音楽の先生かも覚えていません。そんな教師にパート分けされた自分は副旋律担当でした。しかしそんなことは気にせず、主旋律に負けじと歌ったのです。僕の唄う副旋律が、あの主旋律を持ち上げるのだ、そんな気概だったのです。熱中の余り、鼻の頭に、汗の一つでもかいていたかもしれません。「・・力を入れすぎないで」、そう先生に注意されたことまでも思い出しました。
合唱コンクールの定番でしたね。
FMラジオで聞きながら、気づいたら口ずさんでいました。大の大人が、懐かしさに目頭も熱くなりました。
歌詞も素晴らしいですね。僕には「時には」ではなく「いつも」かもしれません。「風に乗って、野原を飛び越えて・・」。この歌は自分に幼心にも「見知らぬ地への憧れ」を植え付けてくれたのかもしれません。「空への憧れ」は社会人になり出張で飛行機に乗ることで、何時しか満たされていました。しかし「星座の世界へ、何処までも行く」事は未だ出来ません。歌によると「そこに輝く夢があるから」となります。
こんな歌詞を信じるようなピュアな気持ちはもうないかもしれません。でも今でも自分は「見知らぬ地」への憧れが尽きません。その先に「輝く夢」が本当に待っているのでしょうか。
ああ、又歌いたい。とても。歌詞も覚えられるか、タイミングも覚えられるか、分からない。でも「見知らぬ地と夢」があるのなら、歌います。子供の歌ではありません。大人も歌える歌なのです。・・・多分涙が出るな。唄いながら、泣くな。構いません。歌います。
「高い空」はいつも自分の傍にあるように思えます。それに気づけば自分はいつでも「旅人」。そう、それは「心の中に在る空」なのでしょう。だからいつもそれを持ち、何処までも、飛んできたいものです。・・そう言えばかの映画「80日間世界一周」も旅の始めは「気球」でした。
明日の朝、冷気漂う外に出て、ゆっくりと深呼吸をして空を見上げるのです。見えるはずです。そこにゆっくりと飛んでいる「気球」が・・・。