日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

●脳腫瘍・悪性リンパ腫治療記(13)「脳外科一般病棟にて(1)」

2021年2月2日、果てしもなかったように思えた集中治療室から出る日が来た。一般病棟への移動だ。

同じ階だが大きな自動扉の向こうは外光が大きく入りまるで別世界だった。部屋は大きい。8人部屋だという。尤も室内は5人程度の入院者であった。コロナ対策。換気のために時々病室の窓が開けられた。するとしきりに鉄道の音がする。下を覗くと何のことはない、自分がつい先日まで使っていた通勤の電車だった。突然の病の発症で苦しみに抗いながら過ごしてた自分とは別に、違う時間軸で社会は動いていたのだった。今、階下への距離は果てしなく遠い。

同室の患者さん、どうみても周りの人は健康に見える。自分のような脳手術を経たような重篤そうな方はいない。しかし血糖値の測定をしきりにしている。あぁ、なるほど、糖尿病患者か。糖尿病で脳疾患になった方々なんだ。

ICUから一般病棟に移って、スマホをあまり気にせずに使えるようになった。自分は搬送から手術までの7日間か、あるいは術後のICUで過ごした期間か、記憶は曖昧でよくわからないが、山の仲間、バンドの仲間、学生時代の仲間。そして会社関係でお世話になった方、そんな自分が大切に思う方々に次々と連絡をしたのだった。自分の置かれた状況と、手術後突然具体化した自分の夢・「山の見える静かな場所でゆっくり暮らす」を語っていたようだった。友人とのつながりを保持し、自分の夢を語ることで、自分の置かれた苦しい状態から少しでもあがき、もがき出そうとしたのだと思う。選挙公約を掲げ、それをよすがにして生き延びよう、それはある意味本能的な行いのようにも思えるのだった。

学生時代の友人がライングループを作ってくれた。卒業して35年、時々合う仲間も、全く合わない仲間もいた。しかし何かにもがいていた青春時代を共に過ごし、お互いを知りすぎる仲間たちにどれほど救われたことだろう。好きな趣味を通じて知り合った仲間、彼らとの間には何の鎧兜もいらない。そしてごくわずかだが自分がメンタルを患ったときに親身に対応してくれた一部の会社の方々。皆さんから大きな力を頂いた。仮に自分の交友が少なく孤独であれば、この厳しい異常事態に対して深く沈殿したいただけかもしれない。社会の何らかの組織に属していること。その大切さ。特に交流に気を使わない、インフォーマルで大きな社会が身の回りにあったこと、それが自分を救ってくれる、その時そう確信したのだ。彼らに又、会わなくてはいけないのだ。何というありがたい話だろう。

バンドのメンバーからバンドのグループラインにメッセージが届いた。「今日は節分ですね。今年は節分は一日早いんですよ。壮幸さんの代わりに豆をまいておきますね」

ああ、もう2月2日なのか。なんだか時間の感覚もない。しかしそんな季節感を教えてくれるとは、嬉しい限りなのだ。

換気の為に夜間でも僅かに開いた窓の外から、2月に暦を変えた冷たい空気が流れ入ってくる。しかしそれは要塞のように堅牢な病院の一部屋にはむしろ心地よさを運んできてくれた。と、共に、時折流れ来る階下の鉄道の音が、この場が現実社会とは違う環境だという事を、改めて知らしめてくれるのだった。

自分は今、時間感覚の無い集中治療室から、日常の時間の流れが深い隔たりをもって壁一枚向こうにある世界まで来た。「戻ってきた」というべきかもしれない。