日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

都会の終電車

都会の会社員。遅くまで仕事。コロナ前なら仕事帰りにちょっと一杯。減らない仕事量、不条理に思える会社の指示をネタに、不遇な我が身をネタに、尽きぬグチと話で気づけば終電。そんなことも身に覚えがあるのではないだろうか。

もう会社員を離れた自分。今何故か、日付が変わろうとしている電車の中にいる。コロナ禍で在宅が増えたのか電車に乗るとその人数は自分の知る往時のものほどでもない。それにせよ満員の半分か六割がたの乗車だった。

今日は飲み会があった。以前の会社の同僚二人との飲み会。彼女たちは自分が結婚した時期に入社し、その後は何だかんだとずっと仕事をともにしてきた仲間だった。

三十年以上の知り合いということになる。会社人の頃は会社に九時間から十時間居たわけで通勤二時間としても、半日は会社と通勤。睡眠時間を除くと、家族の顔を見るよりも長い時間を会社の同僚と過ごしてきたことになるのか。辛うじて週末と休日で帳尻合わせだった。

にわかには信じられないがそれはかなりの時間なのだ。

話題は尽きなかった。苦労したことも失敗したことも、お客様、出会った方々との豊富すぎるエピソードも、全ては笑い話になった。決して会社だけの人間にはなるまい、自分の楽しみは他にある、と週末の趣味に没頭していた自分でも、好まざるともやはり会社生活のウエイトが重かったことを改めて感じるのだ。

気づけば時計は進み、五時間以上経過していた。駆け付け二杯の生ビールは即座に消え、紹興酒のボトルは空となり、飽き足らずに続いたグラスがゴロゴロ。豪快に呑んで豪快に笑った。こんなに飲めるものなのか!話すことはまだまだあるように思うが日付が変わってしまう。今日はありがとう、また次回ゆっくり逢いましょう、と、駅で別れた。

往時より人は減ったがまだまだ街にも駅にも人が沢山居る。この時間帯の電車は酔っ払いも居たりで「非常停止ボタンが押されました。安全確認で停止します」のアナウンスが流れることも多い。当時もその都度イライラしたが、そんな生活を離れた今、加齢に加え病の後遺症なのか、ストレス耐性の減った自分にはもう耐えることもできない。

良くぞこんなふうに何十年も過ごしたことか、と改めて呆れてしまう。耐えられたストレスも貯まりに貯まり、ダムの決壊のごとく自分の場合それが病という「分かりやすいカタチ」でありがたくもない恩返しをしてくれたのかもしれない。

そんな生活から離れることが出来てつくづく良かったと思う。

減ったとは言ってもまだまだ人の多い終電車。幸いに非常停止ボタンは押されなかったようで、勝手知ったる地元の駅はもうすぐだ。

何十年来の仲間たちはまだ若く、もう少し第一線で活躍するようだ。これからも貯まっていくだろうストレスが爆発せぬよう祈るばかり。いやすべてを笑い飛ばせる彼女たちはうまく吐き出してやっていくことだろう!それはよかった。素敵な時間を過ごさせていただいた長年の知己に感謝。そして次回が楽しみでならない。

そうだ、今度彼女らと会うときは、遅い電車にならない時間帯にお願いさせてもらおう。都会の終電車は、これをもって終わりです。

調子よく飲んでいたら…。おっとストレスなきように!