週に一度歩く川の土手。僕はその川の匂いには慣れている。もう都合五十年は共に過ごしたから。そしてその川は、季節と風向きによってはひどく臭い。生活の、工場の排水。都会の川の寂しい宿命だろう。
しかし今日ばかりは華やいでいた。たぶん来週だろうな。土手道には赤い提灯が並ぶ。まだ梅の時期であり、少しばかりフライングかもしれない。でもソメイヨシノが満開になるとしたら、街はピンク色か。来週か、再来週。うまく当たればよいな。
僕は足もとに白、そして黄が広がったことに気がついた。見事なラッパスイセンに思わず屈んだ。東京湾を目の前に見る房総の鋸南町。内房総の穏やかな里。新年になると水仙が見事に咲く。それが横浜では三月か。
水仙はそれほど好きでもなかったが、この千葉の小径のおかげか、良いなと思うようになった。移り住んだ高原の地でも見かける。匂いも優しい。海抜千メートルでも越冬するのかと驚いた。もっとも、あの球根。さぞや栄養も豊かなのかもしれない。
庭先に水仙があればな。
一昨年、季節外れに萎れかけたスイセンを植えた。昨年も植えた。今年は球根も植えた。そして暖かかった一月。ポットで買った白い花も。
しかし二月から三月にかけて何度も氷点下の朝が続く。高原の夜は、切れる。
ああ、球根は腐り、花は枯れてしまった。黒土も入れて栄養剤も加えたのに。腐った球根は、冷蔵庫の中で忘れ去られていたニンニクと同じく、しわくちゃでブヨブヨしていた。申し訳ないと思う。
赤土の庭。ここには無理なのかな。しかしこの土地は、どこも全てが火山の噴火した土なのだが。庭先でも道端でも見かけるのに。
ウチには無理なんだね。
縁がないんだよ。
そんな話、寂しい話。どこも同じ土。良すぎる日当たり。かさだつ霜柱。
ホームセンターの花売り場が鮮やかになってきた。色はうれしそうに踊り、「色彩」という漢字に収まるには窮屈でたまらないよ、そう言っている。
黄色い花。ああ、もう一度やるか。顔を見合わせた。駄目だよな、うちの土地。酸性の土。でも一株二百円。
もう一度やるか。
僕はある70年代の少し切なく甘いソウル・ミュージックを思い出していた。ソウルミュージックのガイド本でたまたま知っただけのシンガー。シカゴに咲いたデトロイトの豊かな旋律、フィラディルフィアの華麗さ。ジェフリーは胸を揺らす素敵なナンバーを残してくれた。
僕にチャンスをくれ、一度だけの。最後のチャンスをくれ。
たまたま園芸コーナーで見かけたスイセンを前に僕は歌う。ワン ラスト チャンス と。
十六で流れるハイハット、ためて揺れるベース。その上であの切ない音が泳ぎ、踊る。出来るはずだ。
僕はもう一度穴を掘って、そこに小さなポットを優しく置いた。黒土を被せて栄養剤を少し。多めの水はたちまち土に吸い込まれる。頼むよ。
最後のチャンス。一度だけの。あのサウンドはフェードアウトして消えていった。ヘッドフォンには風の音が聞こえた。

https://www.youtube.com/watch?v=cJC7o_yEGbo
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