日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

満ちる光

一枚のCDを聴いている。自分が住む高原のコンサートホールでそれを手に入れてから何度再生した事だろう。そのジャケット裏にはサインがしてある。それは奏者自らが目の前でサインをしてくれたのだった。そして僕はその奏者の手を握るのだった。ぎこちなくしかし確実に差し出された右手に僕は触れ、握った。硬質とも思えた音なのに奏者の手も指も柔らかかった。固い音ばかりではない、時に力を抜き柔らかいタッチもある。それを可能にするのはそんな手指のお陰だろう、そう思った。

ステージの上に一台のピアノが置いてあり何気なくそこに会場の光が集まっていた。ピアノは見慣れたスタインウェイではなくベーゼンドルファーだった。ああ、これで今日は自分の好みの音になるな、そう期待した。

フリードリッヒ・グルダが演奏するバッハの平均律。彼は徹底的にピアノの残響を廃して乾いて硬質の音を出そうとしているように思えた。名盤とされるリヒテルは残響が豊かだった。グールドでは粒立ちが良い。バッハの鍵盤曲が書かれた当時、豊かな残響を持つ現代ピアノは存在しない。チェンバロの音に近づけようと思ったのではないだろうか。彼の愛機がベーゼンドルファーと知り、頭の中には図式が出来てしまった。このピアノなら乾いて硬質な音が今日は聴けるな、と。

客電が落ち舞台袖から演者が出てきた。どうやって出てくるのかと気になっていた。スーツを着た男性が手引きをしていた。二人の息はぴたりと符合しソリストが動きを止めると隣の男性はベーゼンドルファーソリストの左手を当てた。彼は迷う事もなく椅子に座り、最初の一音を出した。そこからは夢の世界だった。

幸いに自分は目も見え耳も聞こえる。世間話やうわさ話を聞く耳にも異常はない。しかしそのピアニストは黒いサングラスをかけていた。盲目と言う事だった。目が見えなくてどのようにしてピアノを習得したのかは分からない。そこに導いたであろう親の慧眼や本人の努力は如何ほどなのだろう。

演目はバッハのイギリス組曲第六番、モーツァルトピアノソナタ第八番、シューマン組曲パピヨン、そしてベートーヴェンピアノソナタ十四番「月光」。馴染みのあるドイツ物で固めていた。すべてが心に響いた。ベーゼンドルファーは硬質な音が出る、それは自分の勝手な思い込みだった。豊で柔らかくときに固く煌びやかだった。

何度もカーテンコールが続いた。都度手を引かれて舞台正面に立たれた。そしてアンコールとしてショパンの練習曲から「雨だれ」を、そして自らが十歳で書いたという歌曲を演奏された。柔らかいメロディだった。全盲の少年が書いた歌には優しくて哀しい歌詞が付いていた。いつか観客から合唱が湧いた。僕も歌った。何故か、泣けた。最後にご本人がマイクを握り、観客への挨拶とお礼があった。「空気の美味しいこの土地で演奏できてうれしい」そう言われていた。

閉演後の会場では彼のCDの頒布会があった。迷った挙句やはり自分が一番好きなバッハを選んだ。ゴルドベルグ変奏曲だった。ホールでの演奏は一期一会だが録音のお陰で僕はいつも彼の作品に触れることが出来る。手にした演奏会パンフレットには奏者・梯剛之(かけはしたかし)氏についての略歴が書かれている。

生後一カ月で失明、小学校卒業と同時にウィーン国立音大準備科入学、そして様々な欧米でのコンクールに入賞、小澤征爾氏を始めとした多くの内外の指揮者、オーケストラと共演、CD多数…。

ため息が出た。それは再び感嘆に変わり、スピーカーから出てくる音に耳を傾ける。演奏会のチラシにはこう書いていあった。「いつも僕の中は光」と。

そう、バッハの書いた「アリアとそれに基づく三十の変奏曲」は自分の頭の中で柔らかく立体的に膨らんでいく。まるでそれは暗闇に満ちた光のように前向きな確信に満ちていた。

演奏会は自由席だった。自分は最前列正面で聞いた。暗い会場にピアノが光を浴びて佇んでいるのだった。