日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ラーメンエレジー

映画「男はつらいよ」が大好きだ。最後の二作品を別とすると実質的に故・渥美清が寅さんこと車寅次郎を演じた作品は四十八話になる。盆と正月に年二度のペースで上演されていて誰もがそれを心待ちにした、まさに国民的映画だったのだろう。細切れであるいは通して、一体自分はこの作品群を何度見て、飽くことなく何度涙をながしたか数えられたない。気に入った話だけをDVDで持っている。癌病棟に居た時にそれらを買った。ベッドでいつも嗚咽した。それは二十七本に及ぶ。癌が消えたのは寅さんのお陰かもしれなかった。泣く事で幸せホルモン・オキシトシンが活性化しがん細胞を蹴散らした、そう思っている。では二十一本が何故ないのか?まぁそこはマドンナの好みもあるだろうし、ワンパターンながらにもこれは、と思う何かがあるのだろう。たとえばそれは地方の鉄道や力走する蒸気機関車だったり、美しい日本の山河だったり、ラーメンだったりするかもしれない。

寅さんはラーメンが好きなのか、いや安易だからだろうか、いつも食べている。定番は上野駅の地下だろう。故郷の葛飾柴又に帰ってきてはいつも家族と喧嘩別れ。捨て台詞のあとは旅に出てしまう。それも夜汽車で、それも上野駅から。北へ向かう夜行列車が出発する前に彼はいつも駅の安食堂でラーメンを食べる。時に充分お金がなく、駆け付けた妹・さくらが「お兄ちゃん、これ」とお金を渡す。一体このシーンが何本に渡るのか数えたことが無い。上野ばかりではない。函館にて、そして沼津で。寅さんがラーメンを食べるのはいつもせわしい。発車の時計を見ている。しかし沼津のシーンは違う。彼はここでとある少しだけ障害を持つ女性にあう。彼女は出稼ぎで故郷津軽から沼津の紡績工場に来たが口車に乗せられたのか厄介払いをされたのかもわからない。夜の街で働く事になり肌に合わずに青森に帰ろうとする。しかし駅前のラーメン屋でお金も払えず釣り錢もわからない。榊原るみ演ずるうろたえるマドンナ花子。このシーンでの寅さん、柳家小さん演ずるラーメン屋主人、そして犬塚弘演ずる警官のくだりは人情が渦巻いて涙が出る。その渦はラーメンのナルトのようだろう。上野駅のラーメンも、函館も、そして沼津でも。そのラーメンはただ、ひとつ。「中華そば」だった。醤油スープ、黄色い細麺か中太麺。チャーシューとそしてナルト。

そう、自分は昔からラーメンが好きなのだ。「中華そば」あるいは「支那そば」とよべれるものが。マシマシ?油少な目・大目?かため?違う。そんな選択肢など無い。ただ澄んだ醤油スープに浮く油。お決まりの具。あれだ。ラーメンが好きなのは車寅次郎氏がそれを愛したからなのか、あるいはラーメンが好きなのだから彼に共感したのかは分からない。

ラーメンの好みなど人それぞれで良い。だから自分もここで好きな店名を列挙する野暮な事はしない。目黒、武蔵小杉、日吉には絶対外せない三店がある。横浜伊勢佐木町荻窪三鷹、浜田山、永福町にも。神奈川東部と都内城西地区ばかりなのはそれが自分の行動圏だったからだろう。地方も外せない。栃木・佐野で好みと言えば五つに絞るのも難しい。福島は喜多方、白河で、山形は米沢に、いずれも複数におよぶ好きな店がある。ああ、群馬は藤岡、埼玉は毛呂山、千葉は竹岡。忘れられない。その写真をずらりと並べれば、やはり好きなラーメンには一本の共通項がある。ブレがない。

引っ越した新天地は森の高原だった。と言っても住民は居る。ラーメンは流石に国民食と言われるほどにそれを出す店は意外に多い。ずっと探し歩いている。すでに十軒は探訪した。どこもそれなりに美味しい。しかし上に並べた実在店に及ぶ店には未だ出会えていない。

車寅次郎は架空の人物だが、失われつつある日本人の矜持と美しさを体現する人物として描かれ、まるで布教のように彼は全国を流浪した。彼のいくところにはいつも笑いと涙があった。それにラーメンも。寅さんは好きで放浪していたのではないだろう。それしか生きざまが無かったものと理解している。旅の果てに彼は何かを見つけたのだろうか?そして僕はラーメンを探し続けるのか。それもわからない。美味しかった。だけどこれも違う、そう悲嘆にくれるのか。いや、加齢で味覚も変わるかもしれぬ。しかし見つからないほうが良いかもしれない。自分に残された時間、答えをすぐに見つけるよりも永遠に何かを探すほうが楽しい過し方のようにも思う。

こんな姿に惹かれる。あ、大切なナルトを書き損じているが・・。