深夜に目覚めた。開けた窓から冷気が入っていた。一雨来たのだった。高原の雨は冷たく気まぐれだ。朝晴れればよいなと二度寝した。雨は一晩中続いたように思えた。
朝五時にはカッコウとホトトギスが音楽を奏でる。そんな重奏が自分達を起こしてしまう。閉めていたリビングのカーテンを開けた。ウッドデッキの先にある庭は最近ようやく形になった。山の木を植樹し庭の体裁を整えた。小さな畑を作った。そこは自分達、とりわけ家内が夢を膨らませていく場所だった。畑には培養土を入れただけで畝づくりはこれから始まる。鍬もレーキーも揃えた。もう少しだけ培養土を入れたら作業開始だ。そんな風に意気込んでいる。
昨夜に来客があった様だった。一筋の足跡がふかふかの培養土に残っていた。それは我が家に隣接する沢とそれを囲むミズナラの森からやってきたのだろう。足跡の主は誰だろう。歩幅と崩れた土に残る足跡をじっくり見た。僕は雪の森の中に残る動物の足跡を思い出していた。足跡は4から5センチ。歩幅は20センチ弱か。培養土は柔らかく、加え昨夜の雨で土は崩れてしまい足形は明瞭ではない。が足跡のつき方は嘘をつかない。鹿でもイノシシでもない。ウサギも違う。狐ならばもっと歩いた跡が真っすぐに残る。しかし足跡は酔っ払いの様に左右にぶれていた。
…あいつか。まぁいいか。
作物への害は困るが僕は決して彼らを嫌いではない。憎めない。なにやらユーモラスで可愛いとも思う。
高原の地に住み始めてから動物と人間の共生を考えるようになった。土地を探していた時、この地に鹿の糞を見た。薄暮の道にハンドルを握れば林に駆け込む彼らを見ることが出来る。彼らは林の奥に家族を営んでいる。県道をタヌキが横断している。小さな商店街を狐のシルエットが横切る。つい先日は猿が谷を降りていた。彼らが人間のテリトリーまでやって来たのか、もともと彼らの住むエリアに自分達が住んでいるのかは分からない。ただ人間はそれらを害獣とみて駆除を行っている。
人間の住む場所には植えている野菜や果実がある。また生ごみも出てくる。砂浜に打ち上げられた魚にプラスチック袋がまとわりつく、そんな海洋ゴミの映像を見にしたのはSDGSが言われ始めていた時期だろうか。人間が造り上げた社会が自然と動物界を壊していくのも寂しい話に思える。畑に足跡があってもあながち文句は言えまい。
タヌキの夫婦の置物がある。手のひらサイズのこれは分福茶釜で有名な群馬・館林の茂林寺の参道売店で買った。信楽焼きと同様に旦那はしっかりと酒徳利を手に抱えている。奥様の赤いリボンも可愛らしい。そう、昨夜の来客は彼らに違いない。実際の彼らがヨチヨチと畑を歩いたのなら僕はくすりと笑う。施しをすれば恩返しをしてくれるという義理がたさは民話や落語の世界ではあるが、それだけ身近なのだろう。置物は誇張されているが実際の容姿も歩き方も何処か憎めないから。
未だ作付けしていなかったので実害はなかった。しかし野菜や果実を食べられてしまうのも悔しい。病原菌を持っているかもしれぬ。柵でも建てるか、と考えている。と同時に思う。タヌキが庭に遊びに来るなんて夢があると。また遊びに来てね、と。
共生とは難しい話題だろうが、笑ってやり過ごしたい。