日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

炎のマエストロ

炎のように熱き心がある。燃えたぎる心。マエストロとは芸術家の敬称だが西洋音楽においては指揮者を指している。燃えるような指揮者と言うべきだろうか。

演奏会のパンフレットを街で見てからチケットをすぐに買った。山梨県で彼の音楽に触れることが出来るのかとは驚きでもあり喜びでもあった。

「炎のマエストロ」とは自分が考えたわけでもない。誰がそう名付けたのかも知らないが彼が特別客演指揮者を務めている楽団のWEBサイトにそう記載されている。楽団から見て炎のように情熱的な指揮をする、そんなところだろうか。

地元に根差した楽団があると良いなと思い、山梨県に移住するにあたり自分はまず地元のオーケストラの存在を確認した。山梨交響楽団がヒットした。梨響と略されていた。アマチュアオーケストラとあるがかなりの大規模のようでその演奏会を楽しみにした。するとそこにあの「炎のマエストロ」が客演するとあった。

小林研一郎氏はコバケンという愛称で呼ばれている。炎のコバケンというキャチコピーもある。エネルギッシュな指揮なのだろうなと思っていたがなかなかその指揮に触れる機会はなかった。演目の目玉は余り好みではないのだがコバケンならば、と思った。

ヴェルディの歌劇・運命の力序曲、エルガーの威風堂々、そして目玉はマーラーの第一番「巨人」だった。どの曲の終わりにもブラボーが飛び交った。それが演奏の全てを物語っていた。目をつぶって聞けばそれがアマチュア交響楽団とはとても思えぬものだった。今回は楽団五十周年記念という事もあったのかクラシックコンサートには異例の司会者が付き団員へのショートインタビューもあった。また驚いたことに、マーラーの演奏前にコバケンさんによる曲の解説があった。自身で舞台のそでにあるピアノを弾きマーラーの歌曲「さすらう若人の歌」を唄われた。この歌曲をモチーフにしてつくられたのが交響曲第一番・巨人であること、歌曲の若人の想いをわかりやすく話してくださった。ピアノも達者だったが歌はあかたもバリトン歌手の様だった。八十四歳というご年齢など熱いピアノと歌声に何処かに飛んでしまった。力を入れる時と抜く時、楽団に任せる時、そう指揮には緩急があった。

鳴りやまぬカーテンコールは何度続いたか。最後にコバケンさんはこう言われた。「この楽団の五十回記念に読んでいただき嬉しい。わずか三日間の顔合わせで素晴らしい演奏になった。私はこんな年齢だが(まだまだ若い!と観客より声あり)、機会があったらまた皆様の前で棒を振りたい」と。何度も舞台袖から戻られたが終演のアナウンスがあり客電が付いてしまった。

ベルディには梨響のジュニアとシニアから団員が加わり力演された。エルガーの威風堂々は自分の小学校の卒業式で証書授与の際に流れていた曲で印象深いが、余りに聞き馴れていた。しかし今回は梨響コーラスによる合唱が付き迫力があった。ジュニア、シニア、コーラス・・梨響の音楽の裾野は広いように思えた。苦手なマーラーが今日ほど胸に迫ることも無かった。こんなに素晴らしい曲だったか、と思ったのは意外だった。

日本人でありながら日本人の音楽指揮者を自分は余りに知らない。録音にせよ実演にせよヨーロッパ系の指揮者でのヨーロッパの楽団による演奏ばかり聞いていた。唯一パリで故・小澤征爾氏の指揮に触れることが出来た。横浜で、川崎で、井上道義氏、秋山和慶氏の指揮に触れたのはここ数年の話だった。そして今日のコバケン。なんだかこれ迄の時間がもったいない話だった。もっと楽しめたかもしれないのに。

炎のマエストロは確かに熱いものを心に残してくれた。達者な棒さばき、しっかりとした足取り、見事なテノールと素敵な話術。全体にオーラがあった。それが炎の所以なのかもしれない。まことに幸いだった。

このパンフレットは県内の店舗や様々な施設に貼られていた。苦手な演目なのに販売開始とともにすぐに買い求めた。炎を浴びたかったのだろう。