日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

開けるか開けぬか

ジャズ喫茶、名曲喫茶。好きな音楽を素晴らしい音響設備で大きな音で聴くことが出来る場所。そこは自己の世界に深く耽溺できる。だからこそ会話厳禁という、一つ間違えば何かの道場のような雰囲気も漂う。

学生時代に友が住んでいた世田谷区・下北沢。狭い通りから細い路地を入るとそこには有名なジャズ喫茶があった。中は異様な世界だった。会社員になり千代田区は神田・駿河台下界隈を歩く事が増えた。裏通りには有名な名曲喫茶がある。余りにも息が詰まりそうなので入ったことはない。

- これはコルトレーンの「バラード」の一曲目だ。テナーが鳴いちょるじゃろ。
- こいつは知ってるじゃろ?ビレッジバンガードのライブじゃ。エヴァンスじゃ。

そうジャズ好きな友は耳元で囁いてくれたが、甘くて太いサックスの音に、そして静けさに知性を感じさせるピアノの音に、それはかき消されてしまった。それ以上の会話は誰もしない。誰もが眉をしかめ椅子に深く腰掛ける。机には冷めたコーヒーがある。

駿河台下はまた違った光景だった。建物には緑が絡まり異空間だった。店の中ではきっとこんな会話がされているのだろう。「第九はやはりフルトフェングラーだな。1951年のバイロイトの録音だ」と。しかしそんな会話も許さぬほど深い精神統一と陶酔の世界があるのだろう。

ジャズ喫茶も名曲喫茶も敷居が高かった。ジャズにはあまり詳しくないしのめり込まなかった。クラシックは好きだがさすがにフルトフェングラーの時代までは聞いたことが無い。つまりは広く浅いリスナーだ。一方それらの店には「通」しか来ない。初心者など遠慮願いたい、そうは扉に書いていないが様々なジャーゴンがそう言っているように思えた。

バンドのメンバーとリハの帰りに立ち寄るのは渋谷のロック・バーだった。どこもそうだろうがここはキャッシュ・オン・デリバリーで、曲のリクエストは紙切れに書いたものをカウンターに置く仕組みだった。水を得た魚だなと思ったら必ずしもそうではない。誰もが60年代から70年代の、「通」なサウンドのみをリクエストするのだった。自分はリトル・フィート、そしてハンブル・パイを入れただろうか。地下の店のJBLからは信じられない音が出てきた。こちらは会話厳禁ではなくそもそも何も聞こえず、ただうねるビートに体が動くのだった。

引っ越した県の県庁所在地の街へ出かけた。地方都市とは言え流石に県庁があるだけの事もある。駅前には商業ビルもあり裏通りには怪しげな店もある。「Rock&Soul」と書かれた看板の店があった。店名はフィルモアと書かれている。フィルモアか・・。オールマン・ブラザーズか?いや、アレサ・フランクリンだろう。どちらもありだ。間違えなくロック・バー、そしてソウル・バーに違いない。ソウル・バーとはいったい何が流れるのだろう?モータウンか、STAXか、ハイか。フィラデルフィアか、マイアミか、シカゴか、いやレアグルーブか? 何にせよご機嫌な音に違いない。昼下がりの裏道を店の前まで歩いたがその奥へは進めなかった。そして更に発見した。「ブラウン・シュガー」という店名であり、あまりに見慣れたベロマークに下品なミック・ジャガーのイラストが店先に書かれている。ローリング・ストーンズに魅入られて50年近く、血が騒ぐ。店内にはキース・リチャーズの太いリフとブルージーなミック・テイラーのスライドギターにチャーリーのタイトなドラムスがうねりを作り、ミックの納豆の様な歌が絡んで大きな音で流れているに違いない。

扉を開けるか、開けぬのか。手が震えた。もう還暦を過ぎている。今更何も失うものも無い。むしろ好奇心アンテナを高くし、迷わない。即断即決でありたい。

僕は知っている。今日でなくとも又ここに来て扉を開ける事を。そして爆裂のリズムに身をゆだねるだろうことを。何でもそうだ。未知の扉を開けるも開けぬも自分次第。震える手で扉を開く。嗚呼、極彩色が僕を包む・・・。

弾き始めはロックだった。しかし今はソウルへ。更にルーツへと好みは変わっていくだろう。そしてまたロックに戻る。楽器のプラグをアンプに繋ぐ。嗚呼・・。