日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

日陰の文化・亡き人宛の手紙

実家には老いた母が一人で住んでいる。介護保険の点数を使い切るように様々なサービスを入れている。ヘルパー、デイサービス、介護器具・・。ありがたい世の中で一週間絶えることなく人が出入りしてくれる。そのサービスまで持ってくるのは大変だった。いつも初めに拒否がある。宅配弁当も嫌がった。しかし「お父さんが建てた家で過ごしたい」というのだから仕方なかった。母あての郵便物は全て自分の家に来るように手を打った。

実家のポストを開けて気づいた。なぜか郵便物があり「親展」とあった。それは父宛だった。彼が勤務していた電機メーカーからはしばしOB会の連絡が着ていたので逝去の旨は伝えていたのだが、誰だろう。

封筒の出し主は個人で知らない人だった。しかし中を開けて声が出た。あれ!これはヒ〇ヤ大黒堂からだ。それを見ていた母はいうのだった。「お父さんは随分と苦しんでね、いろいろやっていた」と。

ヒ〇ヤ大黒堂とは知る人は知るだろう。痔の薬を作っているのだった。何故かその広告は中学の頃読んでいた少年雑誌の最後のページに乗っていた。広告では悩めるオジサンが背を向けて椅子に座りその向かいに禿頭に黒ぶちメガネのオトウサンが拳で机をたたいている写真が載っていた。「安心しなさい。これで治ります」とでも言っているように見えた。ご丁寧に無料お試し申し込みの切り取り式の葉書も同封されているのだった。

若い頃に父は痔の手術をしたそうだが当時の外科レベルが低かったのかあまり予後はよくなく、時折、いやしばし下着を汚していた。それは自分も知っていた。痔には、肛門辺りが切れるキレ痔、肛門内部にいぼが出来るイボ痔、そしてそこに細菌が付き内部に侵食するアナ痔とある。アナ痔は痔瘻と呼ばれ厄介と言う。母に聞いたが父のそれは何痔なのかは知らないようだった。

自分が何故詳しいのかは問わず語りだろう。父の血を引いたのからか、いや「罰が下った」のかわからないが、痔と長い友人だからだ。自分は幸いにイボ痔だった。何度も医者に指を突っ込まれた。まだ結婚前だっただろうか、余りに痛くて椅子に座れなくなった。「切るか?」と髭を生やした外科医は豪放磊落に問うたが父の苦しみを知るので切らずに済むようにと頼んだ。山の様な座薬を処方されて乗り切った。痔の出やすい体質なのか、疲れているときなどは今も時々出る。市販薬の座薬で済む程度だった。ステロイドにリドカインが配合されている。しかし自分が好きなのはそこにメントールが配合された物だった。痔はしばしかゆみを伴うのでメントールが患部に与える清涼感は一筋の明かりだった。

罰について告白しなくてはいけない。中学生の自分はいたずら小僧だった。肥満気味で体育も苦手な冴えない中学生だったのになぜ悪戯をする側に回ったのは分からない。中学の悪戯になると手が込んでくる。仲間と組んで大人しそうなクラスメイトの宛先を葉書に書いたのだ。それは少年雑誌から切り取った例のヒ〇ヤ大黒堂のものだった。彼は困っただろう、突然痔の薬が送られてきたのだから。彼は何も語らなかった。僕も謝るタイミングを失した。今でも謝りたいのだが連絡先などもうわからない。お前には罰が相応しい、と言う事になったのだろう。回り回って痔に悩むのだった。

思えば身体にまつわる日陰文化は多い。痔、ハゲ、包茎・・。尻の穴から血が出て何が悪い。ハゲで悩む必要があるなら西洋人はどうする? 皮が長くて何が悪い。出るものが出ればよいではないか。そんな事は沢山の陽光を浴びる場所の話題にすべきだと思う。

何事も日なたにさらすと気持ちが良い。もう隠す必要のない年齢だ。僕はそうしたい。合理的だった父親が何故肛門外科に通わなかったのだろう?「お父さん悩んだのか。痔は秘する病じゃないよ」。そう口にして亡父への手紙はありがたく捨てさせてもらった。

日陰の文化は終わりにしたい。雲の中から顔を出す太陽に総てをさらすと気持ち良いだろう。

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