日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

創作・モウセンゴケ

この花は余り気持ちが良いかたちではないな。そんな事を遠藤康太は考えていた。ギアをPに入れてサイドブレーキを強く引っ張ったのは停車地が坂の途中だったからだ。車に同乗したトレーニングウェアの女性が後扉をスライドさせ軽やかに出て行った。左側に一段高い敷地があり、そこにはやや古びた小さなアパートがあった。「清風荘」と書かれている。コーポ何某とかメゾン何某だろう。今時「荘」とは珍しい名前だ。そんなことを思いながら目線を敷地に向けると、生えていたのだった。モウセンゴケ。初めは名前が分からなかった。しかし自生している雑草とは明らかに趣の異なる草で、誰かがそこに植えたのではないか、と思うしかない程に異質だった。

建物の横についた錆びた鉄階段をトレーニングウェアの女性介護員に付き合われて杖を突いて下りてきたのは、白髪を刈り上げた初老の男だった。歳は75に届くまい。浅黒い皮膚と骨太な体つきは現役の頃は体を使う仕事をしていたのだろう、と想像させるものだった。

大井さん、どうぞ。そう女性介護員に促されて大井寿一郎は杖を彼女に渡しやれやれと助手席に乗り込んだ。彼女は後席に飛び乗ってスライド扉を閉めた。まずは大井さんが今日の最初のお客様だな。いや、利用者さんと施設では呼んでいる。これからあと4名の利用者さんか。坂の多い街だから気をつかうな。そんなことを康太は思うのだった。

細い坂道を下りきって交差点に出ると助手席の大井は身を乗り出し、はい、左オッケー、と言うのだった。康太はそれを信じるわけにもいかず、確認する。ただでさえ寿一郎が身を出すのだから康太は頭がフロントガラスにあたるまで身を前に持っていく必要があった。

安全確認が済みハンドルを切ると、寿一郎はいつものように誰に聞かせるでもなく言うのだった。「ずっと長距離のトラックをやっていたから、これは身に付いた習慣だな」。実際彼の確認はなかなか痒い所に手が届くもので、多いに助かるのだった。

康太が老人介護施設の送迎運転手を始めてひと月経っていた。康太は前年に好条件もあり35年以上勤めた会社を早期退職していた。骨休みと思っていた時期に病に罹患し、半年をその治療に費やしていた。腫瘍摘出、薬剤投与、放射線。治療のフルコースだった。治療が終わり、暫くしてから試しにと始めたのが今の仕事だった。週三から四回、一日数時間の仕事は病後の再出発には手頃に思えた。

自家用に使っていた車よりも二回り大きな施設のワンボックスカーの運転は康太にとっては特に心配もなかった。むしろ送迎に向かう方の顔と氏名、場所がなかなか一致せずにそれが康太を悩ませた。病の治療の一環で脳に放射線を13回ほど浴びせている。認知力低下の恐れがあることを承知の治療だったが、この記憶力の劣化はそれか、と康太は思うのだった。

二人目の利用者さんは林に囲まれた公園の緑道沿いの家だった。狭い上に屈曲する路地をバックで入っていくのは気をつかう。カーブを曲がったところだ。この時間帯はヘルパーさんが家に出入りしている。送迎に行くとゴミ袋を両手に抱えたヘルパーさんが出てきて、その後に介助員に手を取られて白髪頭の女性が出てきた。尾形タキ江、それが彼女の名前だった。タキ江は中肉中背で杖を突く以外は余り不自由さを感じさせない。平凡な顔立ちの、何処にでも居そうな女性だった。朝の挨拶をすると意外に野太い声で返事をするのだった。その後車は近所で二人の女性を載せてから、施設に帰り着いた。介助員さんは素早く下りて館内へ誘導する。康太は彼らに手を添える事は許されていない。安全を見守るだけだった。最初の4人は迎い入れた。今朝はあと2回にわけて8人を迎い入れなくてはいけない。介助員さんが飛び乗りギアをバックに入れた。

康太は初めてこの車を運転した時を思い出していた。乗せる利用者さんは日によって異なるが、その時は今日と同じ面子だった。後部座席に乗った利用者さんに気を配りながら運転するのは疲れる仕事だった。初めに乗り込んだ大井寿一郎の隣には尾形タキ江が座った。タキ江のシートベルトを介助員さんが確認して発車したのだった。ミラー越しにそれを見た時に康太は運転の緊張による目の錯覚か例の認知力の低下のせいか、と思ったのだ。

寿一郎の右手は隣席のタキ江の胸元に差し込まれていたのだった。その為に寿一郎の痩せた体は不自然に左に向き右肩のシートベルトがピンと張っていた。タキ江もまた何故か右肩をシートに寄せつけ結果的に胸元が広がっていた。うん、と咳ばらいをしたがひるむ筈もなかった。白髪と思っていたタキ江の髪の毛が薄紫色に染められている事にも気づいた。タキ江はもともとの地声である野太い声でなにか短く呻くのだった。喘いでいるのか、と康太ははらはらした。

後ろから元気な日常の会話が飛んできた。事態を察した介助員さんの一言で車の中は何事もなかったかのようになった。康太はほっと一安心して施設に彼らを送り届けたのだった。

後日職員の朝礼で二人の話が出た。送迎のみならずデイケアの席上でも事あるごとに「お近づき」になっていること。積極的なのは寿一郎ではなくむしろタキ江だという事、そんなことをデイケア部門のリーダーが話していた。二人の関係は施設の中では知られた話だったらしい。施設としては彼らの関係は法に触れるわけでもなくそれを止める権利はないのだ。かといって他様の目もあり好き放題させるわけにもいかないのだった。次回から送迎には席が隣り合わぬように変えましょう、そんな話を経ての今日の送迎だった。寿一郎とタキ江には列の異なる席をあてがった。タキ江は少し眠っているようだった。車は今日も何事もなく施設に到着し介助員さんがそれぞれついて皆デイケアの部屋に向かっていくのだった。

運転手の仕事は神経が磨り減る。本人や家族を載せるのとはわけが違う。それは脳の病を経た康太には大変つらいものだとわかって来たので数か月で辞める事にした。代わりに同じ施設で部屋や用具の貸し出し・管理、催し物への参加などの仕事を続けることになった。

* * *

ある晩にタクシーに乗った一人の女性が施設にやって来た。キムラと名乗っていた。用向きは「車いすの貸し出し」だった。施設には何台も車いすが用意されており、予約すればだれでも利用が出来た。康太が予約台帳を見ると確かに「木村景子」と言う名の予約が入っていた。一カ月の貸し出し予約は長期間であるが木村景子のギブスに覆われた右足と、初めて使うのであろう不達者な松葉づえを見ると、骨折で当面車いすなのだろうと思うのだった。

木村景子は車いすにお尻が入ることが信じられない程巨大な体躯で、その上右足を骨折しているのだからどうみても不自由の極みだった。汗ばんだ顔には深いしわが刻まれて髪の毛はねっとりとしている。白髪対策で染めたであろう茶髪が中途半端に色落ちしているのもまた、寂しい雰囲気だった。このお方は毎日辛いだろうなと要らぬ想像をするのは、施設のドライバーとして送迎に携わり色々な家を垣間見てきたからだった。大邸宅の玄関からきれいな身づくろいをしたおばあさまを無関心そうな息子の嫁が送り出してくる家もあれば、すぐに倒壊しそうなアパートから一人で出てくるおばあさまもいた。幸福とは何だろう、と康太はハンドルを握りながらいつも考えていた。

木村景子が貸し出しの申請用紙に書き残していった内容を見て康太は愕然とした。景子の年齢はまだ50歳になったばかりだった。書き間違えが無いのならあの老けようは一体何なのだろう、そう思うのだった。

* * *

ある日の職員同士での世間話で、康太は驚くべきことを知った。車いすを借りに来た木村景子は、あの大井寿一郎の「内縁の妻」という事だった。康太はますます何が何だか分からなくなった。年齢も親子ほど離れている。筋肉質で痩身の寿一郎に呼吸すらつらそうな景子が寄り添っている風景は想像できなかった。

寿一郎の持つ鋼を思わせるようなどこか危険な匂いに若い景子は魅了された。何時しか二人は同棲する。長距離トラックで疲れ切った寿一郎は帰宅しては荒れ、ばくちあたりにも手を出した。若き日の過ちだったかもしれぬが景子は別れたくとも鋼のように勁い寿一郎への呪縛から離れる事は出来ない。いつか生活は乱れ、はた目にも健康を害しているとわかるほどに身をやつした。寿一郎も又、そんな景子を何処かに捨てる事も出来なかったのだろう。そんな勝手な想像をせざるを得ない程、まったく理解のできない話だった。寿一郎の持つであろう「情」も、景子が備えているのであろう「一途さ」も、それが本当ならば康太にはわからない世界だった。

そんな世界に身を置きながらも寿一郎はタキ江に手をだし、こちらはこちらでのっぴきならない状況になっている。施設に顔を出す以上は二人ともに何らかの障害を持っている。タキ江が杖を突いているのは老化で歩行が怪しいからだった。一方知るかぎり寿一郎はトラックの運転で事故に遭い高次脳機能障害を持っている。その影響なのか。生来の性なのか。寿一郎の旅は終わりを持たぬように続いている。

久しぶりに大井寿一郎の家である清風荘の前の路地を車で通った。マーケットに行くには便利な抜け道だった。安普請のアパートの二階の錆びた通路に自分が貸し出した車いすが所在なさそうに置かれていた。一階の草むらにはモウセンゴケが今日も元気だった。モウセンゴケは虫を捕食する食虫植物だ。必要以上に鮮やかな色彩と怪しげな触手がそのすべてを物語る。

モウセンゴケだな。と康太は思う。尾形タキ江が深紅のモウセンゴケなら木村景子は紫のモウセンゴケだった。また違う色のモウセンゴケが出てくるかもしれない。大井寿一郎はそんなモウセンゴケを自由自在に往ったり来たりしているうちに、逆にいつしか双方の触手にしっかり捕まれてしまったのだろう。やつれはてた木村景子を大井寿一郎が切れないのは、情けではなく景子の粘りだと思った。触手から出てくる粘液でいずれ寿一郎は溶けてしまうだろう。モウセンゴケを敷地に植えたのは景子だと思った。

色々な人生があるもんだな、モウセンゴケに捕まる人生も人間臭くて面白そうだ。しかしどうもこの路地はこれからは避けたほうが良いな。そんな風に康太は思い路地を抜け出した。

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