日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

限りない物

中学の友人 A君宅は帰り道に立ち寄るには丁度良い場所にあった。路面電車の郊外線で四駅乗って通学していた。専用軌道とはいえ路面電車の延長だから四駅とて歩くことも可能だった。学校から歩き、三駅目に彼の家はあった。

A君は今で言えば少し早熟でかつアイロニカルだった。彼の部屋には大きなオーディオセットがありそこで井上陽水かぐや姫。そしてNSP、ふきのとう、赤い鳥。そんな音楽を僕に聞かせてくれた。彼はまたフォークギターを弾いていた。ヤマハとモーリスの二本だった。なぜ二本必要なのかわからないが、モーリス持てばスーパースターも夢ではないからね、とコマーシャル通りに言うのだ。と言いつつ彼はヤマハを取っては井上陽水の「心もよう」をつまびいた。彼はきっと陽水が好きだったのだろう。LPで言うならば「氷の世界」の頃だ。大きな音で聴かせてくれた。

井上陽水は中学生の自分にはあまりピンとこなかった。むしろオリビア・ニュートン・ジョンカーペンターズに心が動いた。彼はまたラジオの深夜放送を教えてくれた。オールナイトニッポン笑福亭鶴光の回は下ネタ満載だった。中学生男子にとりそれはとても大切な事だった。彼はにやにや笑いながらこれ聞きなよ、と言うのだった。手淫はすでに覚えていたが、それは日陰で行う禁忌に思えた。しかしそれを日向での明るいものと彼は教えてくれた。

大好きな男だったが彼は中一か中二の途中で東京に引っ越した。豊島区の東長崎が転居先。それだけ覚えている。歌や大人の世界を教えてくれたK・A君。その後の行き先は分らない。

彼の置き土産がもう一曲あった。♪限りない物、それが欲望・・そんな唄だった。「限りない欲望」という題だったと記憶する。彼はそれもよく歌っていた。残念ながら彼の教えは自分にはあまり届かず僕は井上陽水をじっくり聞く事はなかった。彼が少しだけ聞かせてくれた荒井由実は心に残り、今もよく聴く。

さて、井上陽水が唄うように、まさに欲望には限りが無いのだった。欲望と言えども色々ある。三欲とは睡眠欲、食欲、性欲。わかる。大学で学んだマズローの欲望五段階説によると、第一段階がそんな「生理的欲望」、そして「安全欲望」「社会的欲求」「承認欲求」そして「自己実現欲求」と続く。 生理が満たされ安全が担保されると社会に帰属したいという欲に至る。そしてその中で認められたいと思う、最後はその中で自分自身が最高に満足できる状態になりたい。これが五つのステップだ。すると物欲はどこに属するのだろう。物心つかぬ幼児が玩具が欲しいとジタバタする。幼童に見られるのならばなるほどそれは、第一段階辺りのレベルだろう。欲しいものは何でも手に入れるべきなのだろうか。迷うのだった。しかし気になったものがあれば買えばいいではないかという奸計の如き誘いも頭の中には浮かぶ。

僕はあろうことかベースギターを一本買ってしまった。楽器屋で試奏したのがいけなかった。暇つぶしで覗いたのだ。中古のそれは思いのほか表情豊かな音を出した。十本の指しかないのに今はベースは四本もある。何故もう一本必要なのだろう。決して好みの形でもない、むしろ嫌いなシェイプの一本だった。豊かな表情は電池で駆動するアンプを内蔵しているからだった。アクティブタイプのベースは五弦しか持っていない。四弦もあってもいいだろう、そう自分を納得させた。

買ったはいいものの彼の出番は何時なのだろう。まぁ良い、彼が出す豊かな音色に惹かれたのだから仕方がない。実際彼は乾電池が無いと音も出ぬが、その分重たい低音からパキッと抜ける高音迄自在な音色だった。一万円札四枚しなかった。まぁいいではないか、欲望は限りないのだから。そう思った。

K・A君がいたらどう言っただろう。彼の部屋には何でもあった。きっと「好いんじゃない?」とニヤリと笑ってくれるかもしれない。もう彼に会う事は叶わないが、新たに買った楽器は何故か彼の事を思い出させてくれる。あのシニカルな笑顔で東京の空の下の何処かで少し斜めに構えて元気な還暦を迎えている事だろう。そう思うと何故か嬉しい。

フラフラと買ってしまった一本。軽いオクメ材のボディにバルトリーニのピックアップが良い音を出した。しかし初めて試し弾きしてから購入するまで一週間悩んだのだ。彼が居たら言うだろう。安いじゃん、さっさと買いなよ。と。はい、そうなったよ。