日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

鉄道とツーリズム

鉄道ファンで読書が好きならば必ず出会うであろう作家さん、宮脇俊三氏。時は昭和50年代、時刻表に記載されていた旧国鉄の全路線を乗るという鉄道紀行文を世に出し、多くの鉄道エッセイが続いた。自分もワクワクして読んだ口だ。一体何冊手にしたか覚えていない。何度かの書棚の整理を経て、今手元には宮脇氏の本は三冊残っているだけだ。それが余程気に入ったのだろう。

その一冊に「夢の山岳鉄道」という書がある。鉄道に乗りつくした宮脇氏はやがて空想の山岳鉄道を考える。それがこの書だった。ただの夢物語ではなく、その鉄道を設置することの意義をふまえ鉄道敷設が出来るかどうかを地形図を精査して検討し次にダイヤ迄考えてしまうのだから、鉄道ファンも行きつけばこうなるのか!と嘆息を漏らしたのだった。

上高地鉄道、富士山鉄道五合目線、奥日光鉄道、奥多摩湖観光鉄道など、関東在住の鉄道ファンならば、ははあなるほどね、と直ぐに肯ける空想の路線が実に詳細に検討されている。奥多摩駅から残るダム工事用廃線跡を利用して東京都の水がめ・奥多摩湖まで観光路線・・。それはいささか観光資源としては弱いと思うが、前者三つはどれもが地形の厳しさから来る環境問題と人気の観光地と言う二律背反したものがいつも話題になる場所であり氏はそこに30年近く前から着目し嚆矢としていた。まさに刮目すべき慧眼だった。

上高地は昔からシーズンには一般車は進入禁止としている。下界の沢渡でバスに乗りかえて山中に入る事しかできない。積雪期は釜トンネルからは人もはいれぬ雪の世界だ。富士山五合目はスバルラインのオーバーユースが話題となりここ数年で様々に見直しが入っているようだ。五合目まで通常40分がハイシーズンには4時間かかるという。奥日光では紅葉シーズンのイロハ坂の大渋滞はきっと50年経っても無くなることは無いだろう。そこに鉄道を敷いて車をシャットダウンする、という実に痛快な路線案だった。

40年近く前、大学で選択した授業に「観光論」という講義があった。環境破壊とツーリズムは両立するのかというテーマがあった。当時は未だエコツーリズムという単語も、ましてやオーバーツーリズムという概念もなかったのかもしれない。例に出されるのがスイスのツェルマットだった。マッターホルンを擁する随一の観光地だろうツェルマットには自家用車は入れない。その村に入るには鉄道か、自家用車なら終点・ツェルマット駅の一つ手前の駅に駐車して鉄道で乗り継ぐしかない。ツェルマットの街中は、馬車が行きかう。その講義を聞いて、夢のような話だ、と憧れたものだ。ただその時に環境保全の事を真面目に考えたわけでもない。時が経ちその村へ行った時に、なるほどと思った。実際その街はとても静かでマッターホルンが正面に立ちアルペンホルンの演奏が村の広場でなされている、そんな集落だった。馬車以外には地元住人用のバッテリーカーも走っていた。15年近く昔の話だ。もちろんツェルマットの街にはゴルナーグラートへ行く鉄道やスキーリフトがある。メンテの為の車や業務用の車は入れるのだ。しかし長閑さは明らかに自動車をシャットダウンしているおかげだった。

アイガー北壁を望むグリンデルワルトもまた素敵な街だった。ツェルマットのように車を制限してはいないが冬の村内には馬ソリが行き交っていた。宮脇氏は富士スバルラインの勾配なら不要かもしれないが急坂にはラックレール鉄道、言い換えるとアプト式鉄道を考えられていた。レールの真ん中に敷いた鋸葉のようなラックレールに機関車の歯車を噛ませて登る急勾配専用鉄道だ。日本では今は大井川鉄道井川線で見ることができる。グリンデルワルトもまた、ラックレール鉄道の宝庫だった。歯車がラックレールを噛み始めるときには特段のショックはなかったが少し減速してから噛み合ったのかもしれない。明らかに強く山を登っていくのだった。スキー客満載の電車と末尾に連結されたスキー貨車は冬のスイスのスキーリゾートの典型的な風景だろう。

山梨に旅行した際に富士山五合目までの鉄道についての記事が地元紙の山梨日日新聞に載っていた。宮脇氏の空想の世界が現実的なものとして議論されているのを知った。地元では電気バスとしてマイカー制限で対応できると言う話もあり鉄道にはどうやら賛否両論があるようだった。宮脇氏の持論では鉄道が必要とする道幅は車道よりも狭く、自然界へのダメージもミニマム。富士スバルラインは鉄道スペースを除き自然に戻していきたい、という話だった。

今でもネットでは議論の記事が出てくる。鉄道ファンの自分としては鉄道がツーリズムの主役に位置することが嬉しい。しかし電気自動車の性能向上は宮脇氏の時代とは大きく変わったので必ずしも当時の氏の主張が今も通用するかは考える必要があるかもしれない。オーバーツーリズムに対しては入山制限などがあるだろうが地元の観光業とどう両立させるかが課題だろう。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見るには予め予約しないといけない。当時自分も伝手を使って予約した。サンタ・マリア・ディッレグラツィエ教会は厳しく入館制限しているのだ。何か参考になるかもしれない。

ラックレールの精巧で力強いメカニズムを思い浮かべると胸の鼓動が収まらない。議論されている富士山登山鉄道の話題も気になるところだ。どう転ぶにせよツーリズムをめぐり様々な議論がされることは長い目では良いことだと思う。観光資源は文字通り貴重な「資源」なのだから。

宮脇氏の書、沢山あったのだが今はこの三冊しか残っていない。惜しい事をしたと思う。

山梨日日新聞朝刊より。宮脇氏が書にして30年、地元でも話題なのだと知った。

マッターホルンを静かに見る村。ツェルマット。自分のような物見遊山なトレッキング客でもツーリズムとはどうあるべきか考えさせられる。

アイガーを望むグリンデルワルト。ラックレールの鉄道で人々はクライネ・シャイデック駅まで登ってくる。貨車にはスキーが満載される。素敵なウィンターリゾートだった。こんな鉄道なら富士山にも上高地にも日光にも、欲しくなる。

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