八王子駅で中央線下りの特急列車を待っている。所用で都心に出たがその用事が済んだのを見計らっていたかの様にスマホの警戒アラートが鳴った。神奈川で地震発生と言う。横浜から転居した山梨の高原まで帰れるのだろうか。新宿駅発特急あずさの指定席無し特急券を持っていた。夏のこの時期に、乗車の当日に指定券を買おうという無計画さを悔いた。
「♪まぁるい緑の山手線、真ん中とおるは中央線」と歌われたオレンジ色の通勤電車は遅れに遅れていた。高尾付近の大雨、遅延した満員電車で体調を崩した乗客。何とか新宿まで出た。が、ここから目指す特急列車が果たして来るのかもわからない。人いきれの新宿駅ホームは何時にもまして蒸し暑い。こちらも参りそうになる。
まずは、と冷房の効いた八王子行き特急に飛び乗った。回送列車を上手く使っての通勤特急のようなものだろう。本来の列車はどうせこの後だから、八王子で捕まえようと。座れた。ダイヤは乱れており車窓はゆっくりと流れる。特急あずさ以外で中央線をすべて乗り通したことはない。荻窪へは丸ノ内線で、吉祥寺には井の頭線で、立川へは南武線で。そんなふうに中央線で必要な駅には他の路線を使って行くばかりだった。横浜市民にとって中央線とは近くて遠い存在だった。
山登りが好きな横浜市民に最も馴染みのある中央線の駅は、横浜線の終端駅である八王子だろう。そこで中央線に乗り換えて山に向かう。
今回新宿駅から中央線にのり終点八王子に着いた。夜十時をとうに回っていた。普段と異なるルートで降りたプラットフォームはなんだか違う駅に思えたが、そこは紛れもなく飽きるほど乗り降りした八王子駅だった。こんな時間の中央線下りの八王子駅などまずは用がない。あるとすれば横浜線のホームだった。しかし幾度かこのホームにこの時間に立った。いずれも真夏だった。
日付が変われば有効な切符。青春十八切符は一日間乗り放題。が特急には乗れない。しかしうまく使うもので特急のように停車する季節列車には乗れるのだった。ベテランの山ヤや、サイクリストなら必ず口にするのが「急行アルプス」。新宿発の信濃大町駅行き夜行列車だった。それはやがて「ムーンライト信州」と名を変え行き先も白馬駅まで延び、やはり夏季限定運行していた。自分の時代はそちらだった。白馬岳、常念岳、そして五竜岳に鹿島槍。これら北アルプスへの山々への登山はすべてはムーンライト信州のお世話になった。横浜から八王子に出て一旦改札を出る。日付が変わってすぐに青春十八切符で改札をくぐる。すると新宿からムーンライト信州がやってくる。五百円で全席指定、並びの二席を確保してゆったりと乗る。格安の夜行列車になる。
ムーンライトを待つ夜の八王子駅は少し空虚だった。駅の南側には操車場があり普段はそこで石油を積んだタンク車が入れ替えでイモムシのように構内を動いている。しかしそんな時間ではレールは鈍く光り、タンク車は動かぬシルエットだった。その冷たい光はこれから一人で夜行列車に乗り山に入る自分には少しばかりの、いや、大きな不安を与えてくれた。
地震、大雨、そんな事柄がなぜ重なるのだろう、そして今日もまた八王子駅の構内は鈍い光を放っていた。今日は本来乗るべき列車が来るのかが不安だった。
ああ、家に帰りたい。今すぐに。そう、思った。一時間遅れで、本来乗るはずのあずさが入線した。満席で自分は通路に立った。これだけ遅れて誰もがすでに疲れていた。帰宅したら日付が変わっているだろう。
夜の八王子駅のホームは懐かしい風景だが出来ればもう歩きたくない。安全な我が家が一番だ。