日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

共同作業

今では顔見世興行としか思えない、一台誰のためにやっているのかも定かで無い、そんな宴がかつて存在した。そこでは友人はかくし芸をして歌を唄い、お年寄りには詩吟や日本舞踊をする人もいた。当の宴の主たちは洋装から和装に。いやその逆か。着せ替え人形だった。そして何故か宴席の燭台に二人で火をつけて回る。その時にヤンヤの拍手や冷やかしの声がテーブルで湧く。わざと火を消そうとする人も出てくる。

そんな宴の最初は俗に「二人による最初の(愛の)共同作業を」などと司会が言うセレモニーで幕を開ける。二人でナイフを持ってのケーキ入刀だった。キャンドル・サービスはその次だっただろう。

共同作業か。棚の上のものを頼まれて取る、年末の掃除を分担する、食料品を買いに行く。その程度か。それは行動を共にしているだけで共同作業ではない。特別なことは思い浮かばない。ケーキ入刀、あれが最初で最後の共同作業だったのか?

この人しかいない、運命の出会いだったと、あれほど大切に思えて結婚した。しかし今の普段の生活で相手を思いやることがあるのだろうか。夫婦の間に会話はいらない。目と目で通じ合う、いや空気感でわかりあう。そんな西洋人なら決して理解できないであろう夫婦の距離感。自分達は辛うじてそんな価値観を、賛同はしないが理解できる世代だろうか。賛同しないと書いたが、実は無意識に実践しているのだった。かける言葉は文章にせずに単語だけ。応える言葉は是か非かを伝えるだけの最低限の一言だけ。いつからこんなに寂しい関係になるのだろう。だからといって不仲なわけでもない。常に愛情表現を豊かに行う西洋人には理解できないと書いた自分も、よくわからない。

会社生活を終えてから、娘たちがそれぞれ家庭を持ち家を出てから、夫婦の共通の話題が減る。頼みの綱だった愛犬も天国へ行ってしまった。しかしこちらはこれ迄なかった自由な時間を手にしている。今更胸襟を開いてなにをどうするのか。無理があるように思う。もう少し緊密な関係を維持しておくべきだったと思うのは後の祭りだった。学生時代の友人はこうアドバイスしてくれた。「奥さんが好きなテレビや音楽を一緒に聞くのがいいわ」と。しかし彼女の言うとおりにしようと思ったが、自分にとってつまらないものはつまらないのだった。とんでもない頑固者だと知るのだった。

ねえ、クリスマスツリーを飾りたい。押し入れから出して。

その頼みを聞いた時、僕は舌打ちした。もう子供達も居ないだろう、僕らにサンタさんがプレゼントでもくれるのかい?一体だれのために出すのか、面倒くさいと。かなりぶっきらぼうに返事をしてしまった。しかしその後に気づいた。あ、これは良いチャンスだと。

分割式のツリーと木組みの人形などはドイツに住んでいた時に買ったものだった。ドイツのクリスマスマルクトは夢があった。北緯50度を超えた街の十二月は凍てつく。しかしクリスマスマルクトと称して商店街や大通り、旧市街辺りにずらりと出店が出る。どんな小さな街にもある。白い息を吐きながら手袋越しに手にするのは暖かいグリューワイン。それを飲みながら店を覗くのは楽しかった。そこで買った木造りのクリスマス用品やザクセン州ザイフェンの木のくるみ割り人形辺りが我が家にもある。自分は余り関知してなく家内が大切に保管していたものだった。それを押し入れから出した時、毎年楽しそうに飾っていた妻と娘たちを思い出した。自分はいつも傍観者だった。

どれ、手伝うよ。だから飾りは残しておいてねと話した。やや遅れて玄関に行くとまだ作業が進んでいた。木彫り細工をぶら下げた。あ、これは「共同作業」だな、と初めて思った。久しぶりのそれは、楽しかった。今度は小さなケーキを買って、二人で小さなナイフを握ってそれを半分に切るのも楽しいだろうな。そんな思いが湧いてきて何故か含み笑いをしてしまった。

一体何十年振りだったろう。共同作業は悪いものではなく、むしろ楽しいものだった。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村