日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ペースメイカー

幸いな事に自分は目下心臓は悪くない。激動の昭和を猛烈なサラリーマンで駆け抜けた父は心臓を悪くし、長い喫煙習慣も手伝ってか重篤だった。ペースメイカーまではいかなかったが心臓血管にステントを挿入した。もう30年以上も昔の話だ。治療が奏功し心臓に関しては父はその後平静を戻していた。

ペースメイカーと呼ばれる心臓機能補助器具を目にしたことはない。しかし自分にもそれに近いものが必要と感じている。脳外科手術を受けて大きく変わったことがある。常に手術瘢痕を中心とした神経の違和感。しびれ。疲れやすさ。失われた持久力とバランス感覚。また、手術後からずっと服用している薬は脳の異常電気信号発生を阻害する役割を果たす。ありていに言えば「癲癇の発作止め」となる。脳全体の活動レベルを落とすことになるので、色々と副影響が出る。

これらには一生のお付き合い。そう決めて、仲良く過ごす事しか考えられない。すべてを無理しないで、ゆっくりとこなして、失われた、いや、錆びた機能を元に戻すのが日常となった。運転、サイクリング、登山、スキー、ウォーキング、楽器演奏、仕事。すべてが昔通りではないが、ゆっくりと戻してきている。しかし完全には戻らないだろう。

ペースメイカーは心臓の補助器具ばかりではない。マラソン長距離走で選手を引っ張る役割を担う走者も、そう呼ばれる。

自分が必要なのは、それだ。別にマラソンをするわけでもない。単に車で走る際に、適度なペースで走り自分を牽引してくれる車が欲しいだけだ。一般道ではなく、高速道路。もう以前のように100キロ、110キロでクルージング、走行車線と追い越し車線をマシラのごとく行き来する事もとても出来なくなった。頭のブレーカーが働き警鐘が勝手に鳴る。首都高速のように高度感のある立体のジャンクションなぞ、ガードのセメント壁を吹っ飛ばしてそのまま空に飛んで、海や川に落ちる錯覚がする。

そんな時に、ゆっくりと70キロ程度で巡行する車。多くはトラックなどだが、それの後を走るのが楽だと知った。以前ならば「なんだこいつは!」だった。しかし今はありがたい。なにせゆっくりなので、後続はしびれを切らしてどんどん抜いていく。つるんで走れば怖くもない。こちらは前方車を見て追随するだけなので、頭の負担が大きく違う。

2カ月ぶりに高速道路を走った。自宅に戻る際に、「相模ナンバー」のタンクローリーが前にいた。「高圧ガス」と書かれている。「行先は自分と同じ方面だな。彼ならスピードは出すまい」そう踏んで、彼をペースメイカーにした。

狙い通り、時速75から80キロをピタリと維持してタンクローリーは巡行する。登りも下りも、彼の後に居れば自分は安心だった。盆地の平たん路も、分水嶺の長いトンネルへ向けた登りも、羊腸のごとき谷あいの道も、彼はペースを維持した。まさにペースメイカーだった。自分はまるで見えないロープで牽引されたかのようにタンクローリーに追随する。彼我の間によその車だけは入れたくない。

搭載物の「高圧ガス」。高圧とは威圧的だ。如何にも危険っぽい。人を載せる高速バスもツアーバスも緊張するだろう。危険物ならばそれを載せて走るタンクローリーの運転手さんには一体どれほどのストレスがかかっているのか、自分には想像もつかない。事故は即大惨事だろう。危険でないとしても大きな体はやはり緊張しよう。かたや自分は妻と犬が小さな車に乗っているだけ。こちらも大切だが、高圧ガス搭載の大きな車の緊張感と較べるとどうだろう。自分はただタンクローリーの運転手さんのご苦労とストレスにタダ乗りするだけだ。
東西に走る高速道から南北に走る高速道に彼は向かった。相模ナンバーなのだから、そうだろう。自分もそのルートだ。するとすぐに彼は高速を降りた。「おいおい、ちょっと早いだろう。」別れが寂しかった。彼の目にも届かないのに自分は車の中から彼に手を上げて挨拶を送った。バイク仲間でのツーリングで、それぞれが別れる時の挨拶と同じだ。

そこから先は長かった。新しいペースメイカーは直ぐに見つかった。しかしこれも途中まで。いつしか彼もとあるインターチェンジで道を外れた。あとは自分一人。ハンドルにしがみつく猿のような姿勢となり、慎重にアクセルを踏んだ。かつてのマシラは、慎重な猿だった。

ありがたきペースメイカー。もう高速を心地よく巡行する必要もないのだ。安全第一。今日のタンクローリーさんとは150Km以上のランデブーだった。本当に助かった。高圧という銀色のタンクの中身も、無事に送り届いたことだろう。さて次回はどんなペースメイカーさんがいらっしゃることか。出会いはいつも期待に溢れる。ゆるりとお付き合いを。

タンクローリーが今回のペースメイカーだった。運転手さんのストレスにタダ乗りをしてしまった。しかしとても助かり、感謝しかありません。