日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

生粋のスバリスト!

スタジオジブリの映画「風立ちぬ」。飛行機技師・堀越二郎を描いたこの映画を自分は見ていない。彼ばかりが何故映画の主人公なのかも分からないし、他にも自分の持っているイメージが壊れぬかと思ったのだ。

昭和三十年代の生まれの男子なら、子供の頃にはまだ戦後を感じさせる文化が、残っていなかっただろうか?

軍事将棋、戦記モノ、プラモデル、いずれにも当然のように自分も夢中だった。戦車や戦闘車両、戦闘艦艇にも凝り、その名や主要諸元などをすべてを諳んじたが、何よりも航空機が好きだった。ヒーローはゼロ戦撃墜王と言われる坂井三郎。戦後に彼の書いた「大空のサムライ」は少年時代の自分が一番熱心に読んだ本で、今も買い直して書棚にある。

空を飛ぶという人類の夢は歴史も長く、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたヘリコプターの絵は余りにも有名だろう。たとえ戦争ででもそんな空を自由に駈けた坂井三郎の空戦記は幼い自分に空と飛行機への大きな夢を抱かせた。

坂井の乗機「ゼロ戦」そして同時代の「一式戦闘機・隼」は、どちらが優秀な飛行機だったのだろう。かたや海軍機、かたや陸軍機。設計もメーカーも違うが両機のエンジンは共通、「栄(さかえ)」エンジンだ。名うての名手がそれぞれに乗りドックファイトをすればいずれが勝つのか?それは少年には尽きせぬ楽しい空想だった。

事実真珠湾からミッドウェイまで。ある時は航空母艦から、そして小唄にもなった南太平洋はラバウルを基地として、太平洋で向かうところ敵なしのゼロ戦。一方の隼もマレー半島を中心にこれも無敵だった。

ゼロ戦は三菱が作った戦闘機。設計者がジブリ映画になった堀越二郎。隼は中島飛行機が作った戦闘機。設計者は小山悌。堀越技師はその後迎撃戦闘機「雷電」を、小山技師も同じく迎撃戦闘機「二式戦闘機・鐘馗」、そしてマルチタスクの「四式戦闘機・疾風」へと設計を続ける。もちろんこの二社以外にも川西航空機(現、新明和工業)の海軍機「紫電改」、川崎重工の陸軍機「三式戦闘機・飛燕」も忘れてはいけない。これらはいずれも単発エンジンの戦闘機の話で、これに雷撃機や急降下爆撃機偵察機を、そして、双発機をも加えると、一冊の本になってしまう。

「ワレニ追イツク敵機ナシ」とは日本海軍の艦上偵察機「彩雲」が母艦に打電した電信だが、名台詞だと思う。彩雲は中島の生んだ快速偵察機の名機だ。また、戦後良質なハイオクガソリンで多くの日本軍機の実機をテストしたアメリカ軍の結論は、四式戦闘機・疾風が戦時中の日本の戦闘機では最も優れている、というものだったことも有名だ。言うまでもなく疾風もまた、中島の飛行機だ。

先日ハイキングにでかけた群馬県太田市にはスバルの大きな工場が駅前にあった。その住所表示は「太田市スバル町」。垂直統合の典型的な産業であった自動車産業は本丸を中心に部品業者など多くの雇用を生み出す。城下町なのだ。

街を歩いて、スバルの工場。ここで湧き上がる好奇心が抑えられなかった。思わず門をくぐり、受付の女性社員に聞いてみた。

「この工場や付近の工場には「隼」や「鐘馗」、「疾風」の実機やレストア機が展示されてないですか?エンジンでも良いです。「栄」は展示されてないですか?」

彼女は何のことかわからないようだった。それが自分には落胆だった。ヒコーキと言い直して、ここにはないです、と、来た。自分の質問の意図は通じたのだろうか。屈強な守衛さんでも来そうなので、踵を返した。

無理もあるまい、もう80年近くの前だ。スバル、前社名は富士重工。そして戦中戦前は中島飛行機。世界に伍する航空機を作り上げ三菱と並び日本一の航空機メーカーだったことを知っていてほしい。

自分はスバルの車には憧れるが個人的には乗ったことがない。しかし、航空機で培った技術力は随所に残り、「スバリスト」という熱狂的なスバルファンが居ることは広く知られている。水平対向エンジンなど名前とコマーシャルで見るメカニズムからして、痺れる。そこには間違えなくゼロ戦と隼の心臓であった星型14気筒「栄」エンジンのノウハウが残るに違いない。

しかしこうしてスバルの本丸まで来て、改めて中島飛行機への憧れと、そして空中で命を落とした日米双方の搭乗員への追悼の想いが湧いてくる。後者の思いは最近になって感じるものだった。群馬に多くあった中島の工場は格好の米軍の攻撃対象だった。多くの中島の飛行機が迎撃に上がっていったのだ。

スバリストは北米にも多く、スバルの車は同地ではバックオーダー状態と聞く。かつてはボーインググラマンなどの米軍機と互角に渡り合った中島の飛行機が、今の世に今度は「自動車」でアメリカを席巻するとは、痛快の極みだ。

もうアメリカ人は理解して降参しているだろう、ナカジマヒコーキの造るクルマは実に凄いと。

こんなに素晴らしい技術をもった航空機メーカーがかつて日本に、群馬の太田にあった事をもっと知ってほしいと思う。そして、さすがに社名を「スバルから中島に戻してほしい」とは声を大にして言いたくともとても言えないが、できればまた戦闘機を作って貰いたい、そう密かに応援している。

車には乗っていないのだが「自分は小学生のころからの生粋のスバリストです」と、胸を張って言っている。今後も言うだろう。

中島飛行機製のエンジン・栄を搭載した三菱製の戦闘機「ゼロ戦52型」。排気管の曲線美に惹かれる。自分は残念ながら中島製の実機は四式戦・疾風を京都嵐山美術館で見たことがあるのみ。せめて一式戦・隼は見たいものだ

中島製エンジン「栄」を前面から。プロペラスピナーからエンジンカウルまで、見事な曲線美。せめてエンジンでもかかってほしい。(写真は二枚とも靖国神社遊就館にて)