日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

信越トレイル山スキー 袴岳

GWは例年山スキーだ。今年は友人と信越トレイルの鍋倉山。となるともう一か所は何処にするか。

9年前の鍋倉山では野沢温泉スキー場から千曲川の七ケ巻集落へ尾根を下るというクラシックツアールートを絡ませた。それは上部にはルートファインディングの楽しさが、下部にはひどい藪が、そして下山した集落では素朴な地元の方の厚意に触れるという、思い出深い山スキーツアールートだった。今回は鍋倉山と同じ信越トレイルにある手頃な袴岳(海抜1135m)を選ぶ。

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飯山市で借りたレンタカーを万坂峠に停めて信越トレイルに足を踏み込んだ。僅かな残雪にスキーを持つべきか悩むが一応ザックに刺して歩きだす。標高差90mの登りは雪もなく藪にスキーが引っ掛かり難儀する。そこからは下り小広い湿原。ここでようやく一面の雪に面した。しかしこの先の登りも見えない。友人は夏道を正確にトレースしながら雪原を横切り尾根にとりついた。50メートルも高さを稼ぐと雪は消える。この先はスキーの出番はないか。ここでスキーはデポだ。

その先緩い下りから登り返しへ。道々に芽吹くフキノトウが素晴らしい春の香りを放っていた。一年、芽吹きを待っていたんだよな。摘んで帰りたいが彼ももっと伸びたいのだろう・・。袴岳への登りでようやく山は全面が雪に覆われた。山頂はブナが点在する大きな雪原。

眼前の妙高山が圧巻だった。地下のマグマが怒りを一気に放出したのだろうか、成層火山だった筈の妙高山も太古の噴火にその姿は変わり果て、噴火の傷跡も残る荒々しい姿を見せてくれる。しかしそれとて1500年前の話というから古傷と言えるのだろう。荒々しいがその痕跡はすでに柔らかい。そこに年月の経過を感じるのだった。

爆裂火口の例にもれず複雑な地形で、あの中を自分はどうやって登ったのだろうと目で追ってみる。山頂直下の長い鎖場が思い出された。それもここからでは何処かは分からない。人間の営為など取るに足らないのだろう。

自分と友人以外は誰もいない山頂だ。しかし時折パキパキと物音がする。登山者が来たか?熊か?耳を澄まし目を周りに配る。しかしそこには静寂。・・・そうか、雪で圧迫され埋もれ倒れ込んでいた若いブナの樹が、引いた弓が返るかのように、雪解けの季節にピンと重荷を跳ね飛ばして本来の姿に戻っているのか。

・・素晴らしい生命力だな。病を経た自分にとって個人的には多くの山谷があったこの一年半だった。しかし山はそれよりもずっと長いスパンで、いつもの長いリズムの中に組み込まれて時間の経過を見つめている。時が来たら背を伸ばそう。そんな片鱗を垣間見て、自分が今この山にいるという意味は何だろうかと考える。個人的な想いで日々の出来事や病の進捗に胸を痛めても、残雪を跳ね飛ばして上に伸びようとする若いブナの枝の力の前にはそれはひどく些細なことに感じる。

妙高山の右隣に姿を見せる純白の三角形は火打山に違いないし、ずっと左手、黒姫山の稜線の北側にきりりと峰頭をもたげる白い峰は高妻山に相違ない。またもっと目を南に向けると、ゆったりと飯縄山が座っている。そこかしこにそれぞれの山頂の思い出があった。自分が確かにそこを歩いた記憶は残雪をはねのけるブナの若木ほどの力はない。しかしそんな事実が自分を励ましてくれ、次なる飛翔の機会はないか、と勇気づけられる。

山頂展望を頭の中に焼き付けて、袴岳の山頂を辞した。山スキーの出番はなかったがそれも構わない。湿原の雪原でクロカンを味わうのみ。すると湿原の端、ここにも長い時間軸の中を生きる素晴らしい命があった。水芭蕉だった。今年の邂逅にも感謝しかない。

雪の季節は去り全てはそれを待ちきれずに自らが覚醒する。それが山の春なのだと知る。全てが満たされて、万坂峠まで帰ってきた。

2022年4月28日 万坂峠9:40-袴岳11:35/12:55-万坂峠14:20

地下の怒りが噴出したのか、圧巻の妙高山。自分も辿ったはずのルートはとても分からない。自然の前に人工の痕跡は無に等しいと知る。
(中央:妙高山、右奥の純白の三角形は火打山

雌伏一年。今年も強い香りを放った。摘んで天婦羅にしたいという想いを抑えられない。が自然のサイクルを思えばそれも取りやめ。成長して下さい、フキノトウ

名もなき湿原にて、ここにも長いサイクルを生きる命があった。清冽な水が美味しく嬉しいに相違ないね、水芭蕉

万坂峠から袴岳へのルートGPS図。(JI1TLL氏提供)