日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

山道具の歌・旧友

いったい幾つの山の夜をこいつとともに過ごしたのだろう。

彼は少し気難しい。火をつけるのはコツが必要だ。チューブに入ったメタか、固形のエスビットか。はたまたティッシュをこより状にまいて、そこにスポイトで少しガソリンを垂らすか。このプレヒートさえうまくいってくれれば、少し開いたノズルの先端から「シューッ」という気化したガソリンの音が聞こえてくるのだ。ほどなくプレヒートの火が引火する。ここからは、さあ、大変だ。彼の一人舞台。独壇場。

孤独の山の夜は彼が作る猛烈な燃焼音と、すぐに怒り狂ったように真っ赤に燃えるノズル蓋のお陰で、たちどころに小さなテントを前にした「君と僕」だけの世界になる。頼もしい燃焼音は小さな彼の雄叫びだ。「あんまり怒るなよ。ちゃんと火をつけてやっただろう。」少しなだめてあげなければきっと鹿もカモシカも、そして熊さえも、驚いて闇の中で踵を返すのに違いない。

鳳凰北岳塩見岳赤石岳聖岳・笊ケ岳・山伏で。甲武信岳・和名倉山・雲取山で、丹沢で、谷川岳で・・。テントから顔を出し一人で不安な夕暮れ時。ひと気のない避難小屋の板敷きの上。彼でこしらえる簡単で暖かな夕食が楽しみだった。なによりも音と色。「ごおーっ」と唸ったかと思えば少しノズルを絞ってやろう。すると今度は「ボッ、ボッ・・・」とアイドリングに入る。

まるで生きているみたいだ。いや、間違えなく彼の小さな黄金のボディには命があり、ザックに入れて彼の重みを感じながら山の上にもって上がれば、いつでも眠りから覚めてくれるよ。「生米を上手く炊き上げるか否かはあなた次第だよ」、何度彼に言われたことか。いつもコッヘルの底を焦がしてしまう持ち主に愛想のひとつでも尽きただろう。

山ヤにとってストーブは一番愛情をもって接していたアイテムではないだろうか。学生パーティはラジウス。安全だしね・・。いやいや、予算もない。国産が一番さ!マナスルだよ。いやホエーブスでしょう。ガソリンもOKだぜ。そんな中に現るは「プレヒートなんか要らないよ、時代遅れな。ポンプアップだよ、僕はコールマン・・」。

そんな群雄割拠していた感のある灯油やガソリンストーブだが、自分を一発に虜にしたのが「スベア123(オプティマス123)」だった。円筒形のコンパクトなボディでガソリンストーブの中では軽量。蓋がコッヘルになるという設計の妙にも唸った。同じバーナー部で箱型ボディの「オプティマス8R」というのもあり友が愛用していた。Made in Sweden。これにもまた惹かれた。北欧の火器は信頼ある印象だった。

ザックの中の納まりの良さから自分は円筒形の「123」派。これを入手してからはバイクでの長距離テントツーリングや山歩き・縦走のお供として連れ歩いた。バイクツーリングではキャブレターの上のホースをはずしてオプティマスのタンクに直接給油。白ガス専用といわれていたが、赤ガスでも文句なく燃焼する。縦走ではタンクを満杯にしておけば2泊程度の山であれば予備燃料いらずだった。

やがて高出力で風にも強い直噴式のガスストーブがEPIからもプリムスからも販売された。風に強く低温下でも強く燃焼する、という彼の利点は後発の、より軽量で簡単に火が付く新参者の手によって目立たぬものとなってしまう。彼は力強いけどやや重いし、火をつけるには「儀式」が必要だ。儀式も楽しいが、やや疲れる山歩きではすこしだけ面倒と思うこともあった。

かくいう自分も、いつしか黄色ボンベのユーザーになった。

先日山道具入れを整理していたら、出てきたのだ。「ずいぶんとご無沙汰してくれたね。お陰で俺は、体が汚れたままだよ」。苦情を言われた。確かに黄金に輝いていた彼の体も光は失われくすんでいた。悪い悪い、と灯油で体を磨いてあげた。少しは往年の光輝を取り戻したように思える。

彼は、実は自分が買ったものではない。結婚する前の話、当時付き合っていた女性と山道具店に行っては「これカッコいいなぁ、欲しいよな」と言っていたのでその女性は覚えたのだろう。するとある時にプレゼントとして渡してくれたのが「彼」だった。

さてくだんの女性はそのことを覚えているのだろうか。少し奇麗になった彼を前に思わず「似顔絵」を書いた。そしてそれを見せてみた。

「ああ、これ私が買った山のストーブだね、懐かしい・・」。家内は覚えていた。

家内に買ってもらったガソリンストーブを荷物に入れ、バイクで、山靴で、いろいろ旅をした。まだ火はつくのだろうか。車の燃料タンクを満タンにしてスポイトで彼のお腹に燃料を移し替えてみるか。昔のように、唸るのだろうか。もしそうであるならば「ずいぶんと俺を放っておいてくれたな!」との怒りのメッセージだろう。

「悪かった。俺も歳を取って重いのが苦手になったよ。今度日帰りのハイキングに連れていくよ。」そんな約束をしてしまった。スウェーデン生まれの懐かしい旧い友人は「これからの楽しみの水先案内人」のように思える。ブランクあったがこれからはのんびりお付き合いして頂こう。

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久しぶりの彼。磨いたら少し身奇麗になりました。さて今度は「火入れ式」!

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テントの夜も避難小屋の夜も、彼が居てくれたので安心でした。