日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

錆び切った「新・社会人」

病の治療が明けて5ヶ月経ちました。頭の手術瘢痕の違和感、頭部のしびれとふらつき。これにはずっと付き合うしかないようです。予後の経過観察もあと5年近くは続けるでしょう。しかし投薬の副作用であった指先のしびれもいつしかなくなり、失われた頭髪も年相応に戻りました。体力も少しづつ回復です。

少しアクセルを踏んでみようか、微速前進。それで来年から新しい社会人です。

いわゆるパート、非正規雇用社員です。半日程度が週数回。健康保険も対象外、厚生年金も払えません。

しかしいいのです。少しでも生活への足しになること、自分の遊ぶ費用位になれば。何よりも、社会との繋がりを持ち何か自分でも役に立てれば、そう思うのです。

新しい仕事先は地域行政・福祉関連の団体。高校生のアルバイト程度の時給ですが、少しだけ社会のお役に立てそうです。

社会の役に立つ、そんな発想は製造業で営業や企画などの仕事に携わっていた自分にはないものでした。自社の製品が社会の貢献に役立っているのかなどと自らを省みたことはありません。数字が上がればよく、あるいはその実行計画がきちんと作れ、未達成の場合は説明責任を果たせればよかった。故に、「お役に立つ」という事は微塵も考えたこともなかったのです。

この十年か、私の家内が地域密着の福利厚生的なパートに就いて、人に感謝の言葉を貰う嬉しさを話してくれました。仕事で誰かに感謝される。それは素晴らしい話です。家内は疲れるものすら楽しそうで、自分の仕事の可能性を広げるようにいくつかの資格を取りはじめていたようです。

そんな頃当時の会社で会社都合退職の募集がありました。条件は悪くない。子供も自立し何も負うものはない。職責や人間関係でメンタルを崩していた時期もありました。営利団体にはもはや興味も未練もありませんでした。躊躇は、なしです。

人に感謝される仕事。それに加え、海外と接する仕事を通じた中で感じていた日本の国際感覚の少なさ、海外の人の日本に対する認識の浅さ。何とかならぬか。そんなことから、地域密着、国際交流、そんな言葉をキーワードにして職を探しました。三ヶ月後にその線での職が決まり、大喜びです。

その入社と仕事始めが1月4日でしたがその二週間後、入社研修の後半で入院し長い戦いが待っていました。雇用の試用期間中に治療は終了せず自己都合退職。悔しかったのです。しかし病のお陰で自分の中で更に新しくなった価値観を前に、これは色々なことを見直す良い機会なのだ、と捉えることにしました。

今度の仕事、地域のお役に立てれば、と思っています。頭の上で色々考えて実践していた以前の仕事ではありません。どれだけ相手を慮り気を使うことができるか、自分の素の姿を出してそれを地域社会に受け入れていただけるか。そんな事を思います。

入社前の手続きで新しい職場に顔を出しました。ちょうど職場は朝礼中。新参者にも大きな声で皆さん挨拶をしてくださいます。こんな身の引き締まる光景、久しぶりです。怖いくらいに思えます。

初出社日は発病して退職に追い込まれた前職の事例を避け1月4日ではなく。一日ずらせてもらいました。少し縁起を担ぎたかったのです。

なまった自分の頭と体。働けるのか、不安もあります。

頑張れ、錆び切った新・社会人。髪の毛も薄くなった、世間体には「くたびれ果てたオジサン」。君にもまだ可能性はあるはずです。古谷三敏のダメ親父も、最後は弾け、幸を得ました。そんな古い漫画を思い出します。去りゆく年を送り、新しく年を迎えるのです。

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