日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

懐かしの街、神田界隈を歩く

社会人になっての最初の勤務地は神田でした。事務所が新しい場所に引っ越すまで、約15年間ここで働いたのです。

家内と所要で神田に行く必要あり、これを機会に少し歩こうか、と彼女を誘います。

35年以上昔、そんな当時の面影はもうありません。ビルが立ちテナントもいれかわりました。35年というスパンの中でも忙しい現代の時の流れの下では、それに合わせて変化していくのですね。

すこし新旧の想いでも取り混ぜながら、神田から神保町、お茶の水あたりを歩いてみましょう。


・神田駅駅前にあった中華料理店、会社の上司が好きでした。それも今はもうない。違うテナント。何よりも寂しいのは三角形の形をした路地の一角にあった「讃岐うどん店」、カウンタ式でしたが限りなく店の回転はは約立ち食いに近い店でした。丸亀製麺はなまるうどんよりも遥かに早く35年前にはここでしっかりとした讃岐うどんを出していました。いつしか時の流れの前に消えました。

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・駅前の山スキー道具店。会社員時代はお世話にはなりませんでしたが、テレマークスキー山スキーを始めてからはテレマークブーツ以外にシールやクトーなど、様々な用具を買うのにお世話になってました。店主さんはやはり山スキー歴が長く、しかもテレマーカーでしたのでお話を伺っているだけで楽しかったです。都内いや日本随一と思うクロスカントリースキーの在庫量も圧巻でした。もう店は半年以上も前に閉じ、窓から見る限りまだお宝は多そうです。しかし今はあの軽妙なご店主さんお元気だろうか。それだけが頭を去来しました。

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・会社への通勤に使っていたのは西口通り商店街、という小路でした。当時会社は8時45分開始でまだフレックスタイムもなくしかもタイムカードでした。いつもぎりぎりだった自分は定刻前にガッチャンするためにはここを7分程度で走破する必要がありました。いつも走りかけていると後ろから自分よりも数年先輩の、背の高い女性社員がこれまた走って追い抜いていきました。彼女は足も長かったようで。あっという間に喧騒の商店街を駆け抜けていくのでした。視線をお店に向けると。老舗の煎餅屋もありこれは健在でした。しかしバッタモン臭いネクタイを撃っていた店やディスカウントストアは跡形もなくなくなっていました。数百メートルの長い商店街にも、時の流れはあったのです。そういえばこの商店街のとある交差点にあったミスタードーナッツ。今思い出しましたが、ここで初めて今の家内に話しかけたのでした。当時彼女はなぜかわからないけれど、やたらと大きなドーナッツの箱を持って歩いていたのです。それがきっと面白かったのだと思います。そんなこともあり僕は今でも、ミスタードーナッツには頭が上がらないのです。

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・会社、こんなところにあった。大きなビルだと思っていましたが、小さな建物でした。色々教わったのです。このビルで・・。

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・会社のあった個所から小川町方面に歩いてみます。ああ、クラシックで良い感じのYMCAの建物、いつしか新しい建物になり、それさえも代替わりしました。古くて歴史を感じさせる建物も、民間が所有している以上仕方がないのでしょう。さらに歩くとありました。「顔のワイシャツ」店。多分にワイシャツの仕立て屋さんなのでしょう。この看板インパクトありすぎて、結局入ったことはないのです。

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・スキーショップ通りと勝手に思っていた靖国通りですが、今も健在。スキーがボードになり。ファッションも変わりました。この街を、さて年末のボーナスが出たら板一式買い替えだな。国産板を贔屓にしていた自分としては、ニシザワのデモンストレーターか、カザマのジェネシスか、小賀坂のユニティか。ビンディングはサロモンはメジャーだからパス。チロリアかマーカーか。そんなことを考えると楽しくて時があっという間に過ぎた、そんな楽しい場所でした。ゲレンデスキーにある時期興味を失いいったん離れたスキーの世界ですが、テレマークスキーをを覚えてから世界が変わりました。テレマーク山スキーを始めたからです。山スキーもこなせる上に、テレマークの持つ自由な感覚とその軽快さにとりこになりました。とあるお店では山スキーテレマーク用品が置いてあり、最新の器具の動向を知ることが出来ました。今自分が使っているテレマークスキーの道具も、もはや主流ではなくなりレトロな部類です。仕方ありません。これも20年以上前からやっているのですから・・。

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・神田界隈は自分にとっては、時期によっては山やスキーよりもウェイトの重かった趣味、ギターショップがずらりです。学生時代からどっぷりつかっていました。御茶ノ水駅から駿河台下に下りる通りが一番多いですが、小川町付近にもありました。この店は国産の自社ブランドのギター。それがなかなか好評でプロもたくさん使っていました。この店の壁に大きく描かれいたのはジミー・ペイジ。ある時からジミーペイジは絵が小さくなり、その上にキース・リチャーズの絵が書かれるようになりました。キースもジミー・ペイジも甲乙つかない自分のギターアイドル。素晴らしい選択に拍手です。

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・神保町はB級グルメの聖地です。特にラーメン。35年ほど前、支那そばと言われる類のラーメン屋はかなりこのエリアに多く良い店がありました。しかし今ではそのほとんどが消えました。ラーメン以外にもいろいろ贔屓ありますが、家内のリクエストもあり今日は天婦羅。実は同じ屋号の天丼屋の方に昔からよく通いましたが、そちらは数年前に惜しまれつつ閉店したのです。天婦羅屋は健在でした。相変わらず美味しい。職人の味をたっぷり堪能です。少し気取った店ならこの店の倍以上の価格がついてもおかしくありません。とてもコスパの高いお店です。45分間寒風の下並んだ甲斐がありました。いずれにせよ、お店の方の高齢化、跡継ぎ、さまざまな懸念すべき点があるのでしょう。ファンとしてはただいつまでもやっていてほしいと思うだけなのです。

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仕事に向かう家内とはここで別れ、少し遅れて山仲間と合流して更に街歩きです。

・山の本、といえば神保町のココです。昔は出張に行く前の週末などに、飛行機の機内で読むための山の本を買いに良く来ました。今日も2階の山の本古書コーナーに趣き、なかなか手に入れることが出来そうにない信州の里山のガイドブック2冊手に入れました。掘り出し物です。

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・このまま秋葉原に向かいました。パーツ屋は楽しいですが今日は買う部品もなく、スルー。リチウムイオンバッテリー関連に強い店もあり、これまた刺激を受けました。30年ごろ前まではアマチュア無線も人気ある趣味でしたので沢山の専門店があり活気もありました。それらはもうかなりシュリンクしています。自分には楽しいですが一般には忘れ去られて苔の生えた趣味なのかもしれません・しかし相変わらず自分は「CQ,CQ・・・こちらは」と言っているのです。

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・自分が始めて食べた博多ラーメン店。35年前と変わらぬ場所で経営していました。ここ、一体何回行ったか!

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時間が経ち、街並みも変わりました。残っている店もありますがそれは少数派かもしれません。多くはテナントが変わり、あるいはビルそのものが新しくなり、記憶をたどってももう追いきれない場所も多いのです。神田の街にある大学に行きたくて受験しましたがそこには縁がなかったのです。それでも未だにこの街をときめきを持って歩ける。これは嬉しい話です。近いのに今となってはなかなか来ることもありません。また次回来ることがあったら、多くの店が入れ替わり、また自分の知らない街になっている事でしょう。それも、楽しみです。懐旧は大切ですがむしろ変化を受容できる、そんな風に過ごしていきたいと思うのです。

(2021年12月27日・記)