日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

●脳腫瘍・悪性リンパ腫治療記(10)「生きたい」脳外科ICUにて(2)

まだまだICUで昼夜の境もつかない時間が経過している。

髪をずっと洗っていないせいかやたらと頭が痒い。ある日看護師さんが、「頭をきれいに洗いましょう。」と言ってくれる。ベッドの上に座ったまま、ここでやるという。頭を洗えるという事は脳外科手術の手術跡はもうふさがったのか、そんなことが頭に浮かぶ。どんな魔術かわからないがそれはとても気持ちが良いものだった。看護師さん、ありがとう。

昼夜問わず明るいICU。そんな中、時の経過とともにいつしか自分は自らの置かれた立ち位置がようやく理解できるようになった。

「脳腫瘍摘出が終わった。」
「腫瘍なのだから組織検査で良性・悪性の判断を行うだろう。その結果は今からだな。」
「良性ならすぐに退院だろうか。しかし脳の手術だ。すぐには社会復帰は出来ないだろう。」
「早く夢の実現の手はずを整えなくては。そうだよ、好きな山が見える緑豊かな場所で、スローに生活をするのだ。自分は病には負けたくない。この生活を絶対に実現させる。」

そう思うとむくむくと「生きる」事に対しての強い思いを感じた。自分はこの病気を直したら、・・・夢を実現する。そのためには病に負けるわけは行かない。ひどく確信をもってそんな思いを強くした。夢の実現・・そう、それは自分の大好きな山の見える場所に生活を移す。自分は会社都合の早期退職プログラムで退職金を得て退職をした。つい先日再就職したばかりの会社はこんな状態では勤務できないかもしれない。でも子供たちは一人は手が離れたし、もう一人は4月から社会人だ。だからもう彼らの人生に自分たちは経済的援助をするという意味において必要ない。だから自分は奥さんと共に好きな環境で生活をして、ゆっくりと好きなように過ごす。こんな病気を経て今でもこうして生きているのは、生かされたようなもんだろう。もう人生もお釣りのフェーズだ。だからこそやりたいように生きる。もう都会は充分。酸素をたくさん出してくれる緑の下へ行きたい。・・・それを妙に強く認識したのだった。

好きな山が見える緑豊かな場所・・・そこには具体的なイメージがすでにあった。山の先輩が15年前に移住していた八ケ岳山麓だった。月に一度は登山をしていた自分は信州の山に出かけると帰路にその先輩に立ち寄ることを常としていた。南に南アルプス、北に八が岳、東に奥秩父、そんな山々の見える贅沢な眺めを前に、木漏れ日を浴びて日々の生活をゆっくり楽しむ友人のご夫妻。自分もいつしかそれに憧れていたのだった。

退職したら実現したい、そんな程度の憧れではあった。しかしそれは、確実に今の自分にこそ必要な環境だと、強く感じたのだった。この夢への強い思いが、病には負けない、という意味で自分を力づけてくれたと思う。

少し離れた隣のベッドからしきりとうめき声が聞こえてくる。「Oh、I want to go home」ただそれだけ。そして奥さんの名を呼ぶ。「Sachiko、I want to see you」。 外国人が居るのだな。奥さんはサチコさんか。しきりに繰り返されるこの言葉に、無力な隣人としてはただただ回復を祈るだけだ。貴方も異国で辛いのだろう。頑張れ、としか言えない。自分も頑張っているのだから。看護師は翻訳アプリを使って会話を試みている。ああ、日本人って何年も英語を学ぶのに、結局会話できないよな、と昔から思っている事が頭に浮かぶ。

とにかく、負けるわけにはいかなかった。自分も好きな山々の見える場所で、暮らさなくてはいけない。とにかく「生きたい」。今くたばるわけにはいかない・・・。