日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

小さな秋の使い

小さな秋の使い

夏の終わりを分明に感じるのは何時の事だろうか。9月に入っても日差しはぎらぎらするし気温は30度を越えることも多い。この時期はまだ夏が優位で秋の気配もない。しかしふとした時、例えば風向きが変わった時、陽射しが陰ったとき、木陰に入った時。空気の中の水分が随分と薄くなり、遠景が近づいてくることを感じることがある。これが、秋の使者のようにも思える。やがてその使者は夏の暑さと抗いながらも、ゆっくりと勢力を増していく。

夏と秋のせめぎあいが始まってしばらく、あれほど濃かった太陽の光ももう薄くなり、陰影ばかりが目立つようになる。暴力的ですらあったあの暑い空気もいつしかその温度を下げる。秋を思う季節だ。

空気ばかりではない。季節の移ろいを感じさせる食べ物が食卓に登ることになる。

ブドウはやはり秋の使者ではないだろうか。冷たく冷やしたトマトとキュウリが美味しかった季節に比べ、冷やしたブドウはもっと重層的な味わいがあるように思う。その味の複雑さが少しだけ秋の気配ではないか、と思う。

友人から、地元、栃木のブドウを頂いた。一晩冷蔵庫で冷やして、ありがたく頂く。水分に富んだ果肉感が美味しい。あぁ、もう秋が、すぐそこだ。今年も無事に秋がやってくる。小さな一粒だが、それは確実に過ぐる日々を感じさせるものだった。

今年も、小さな秋の使者がやってきた。もう少し立つと秋もたけなわ。季節を味わって生きる喜びを覚えたのはいつだろうか。

季節の経過が自分には嬉しい。また長い一年のスパンが、自分を巻き込んで、繰り返されていく。とても、嬉しい。とても、楽しい。

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