コスモスが咲ているのよ。そう細君は嬉しそうだった。
コスモスなんて植えていないのに何言ってるんだろう。半信半疑で庭に出た。ノリウツギとドウダンツツジの間に確かにピンと伸びた茎がありピンク色の花が付いていた。さだまさしが山口百恵のために書いたという曲。「秋桜」という漢字は当て字だろうが秋に綺麗に咲くその様は桜のイメージがあるのかもしれない。歌にうたわれた通りにここ数日この高原では「小春日和の穏やかな日」が続いている。山の木々と野草だけの我が家の庭にそれはひどく異質に見えるかもしれぬが、堂々と根を張っていた。
八ケ岳山麓のこの地は風が強い。八ケ岳下ろしとも言われるそれは家の北側の八ケ岳から吹いてくるのだが、時に正面の南アルプスから吹く事も、またはるか北アルプスを越えて西の諏訪から吹いてくることもあるだろう。隣家の庭には丁寧に植えたであろうコスモスが幾株も咲いている。丁度今が見どころだ。強く吹く風はもしかしたら種子を運んでくれるのかもしれなかった。
庭に作った畑のカバーの中に白いものが浮遊している。近づくと何処から迷い込んだのだろう、それはモンシロチョウだった。迷い込んだのか、あるいは畑のキャベツを散々食べていたあのアオムシが成長して蝶になりそのままカバーから出られなくなっているのだろうか。僕はカバーをずらして蝶を逃がした。彼女たちは風に舞って喜びを表す。自由を満喫しているようにも見える。そんな蝶は幾種も飛んでいる。もしかしたら彼らもコスモスの引っ越しに手を貸したのかもしれなかった。
風。蝶。だれもが気まぐれに何かを運ぶ。そんなことは只の自然現象だと言ってしまえば身も蓋もない。やはり風と蝶の悪戯だと思いたい。彼らが悪戯をするのか?何のために。まあ良い、何にせよそう思うとなにやら夢があるではないか。我が家にまた花がやって来たか。それは嬉しい悪戯だから。でもさ、願わくばコスモスは一株だけだと寂しいからもう五株ほど、お願いできないかな?