難攻不落、そんな言葉を思い出した。薪を割ろうとしても割れないのだ。この硬さ、シラカシあたりの木だろうか。「なかなかね、固いのよ、ガードが。難攻不落でね」そんな話を学生時代にしていた。友の一人がある素敵な女性を口説こうとしていた。なかなか口説けないという焦りの混じった気持ちを、そう奴は言っていたっけ。
薪を割ると言っても原木を持ってきたわけではない。薪屋さんから買ったほぼ35~40センチに切られた薪をさらに縦に割ろうというものだ。針葉樹はすぐに火がつくが燃え尽きるのも早い。乾いた広葉樹の太い薪はゆっくり燃えるがなかなか火もつかない。細い木は燃えやすい。少し小ぶりにして割った断面にささくれでも出来たらそこは火にとって格好の橋頭保となる。針葉樹と広葉樹、太い薪と小ぶりの薪を混ぜて薪ストーブにいれる。火付けにはさらに小さなものがあるとよい。自分は道を歩けばいくらでも落ちている枝などを使う。
薪も針葉樹と広葉樹でやはり断面が違う。針葉樹をえいやと縦に割ると柾目が綺麗に出る。広葉樹の柾目はもっと密度が濃いように燃える。この密度が火持ちの差を生んでいるのかもしれない。ハンマーで叩いても割りやすい木もあればそうでないものもある。
手持ちの小さな斧で叩きつけて大きな薪を割っていた。しかし斧が食い込むまでは巻をおさえてトンカチで叩かなくてはいけない。これが如何にも危ない。いったん薪に食い込むと後は薪ごと持ち上げてコンクリートに叩きつけていた。何よりも最初の工程が嫌だった。親指を間違って叩いたらどうなるか。
キンドリングクラッカーという薪割り機を知った。数千円で手に入る。上向きになった刃が鉄の筒の中に溶接されている。薪をそこに縦に入れ、上からハンマーで薪の頭を叩けば割れる。手の指を叩く恐れもない。針葉樹はすぐに、広葉樹はその倍程度のハンマーを叩けば割れる。薪が二つに割れてカランと落ちる音も心地よい。無敵に思えたが叩けど叩けど歯が食い込まない木もある。十回もハンマーを振るう事はまずないがこれは無理だ。まさに難攻不落だった。
CWニコルさんに憧れていた。ウェールズから空手を学ぶために来日していたがいつか日本に住み結婚され、信州は黒姫山の山麓に小屋を建てて森の暮らしをしていた。自然保護を訴え、作家として幾多の本を書きウィスキーのCMやメディアにも登場していた。惜しくも数年前に逝去された。
そんなニコルさんの印象は髭と薪割りだった。髭はもみあげから口髭顎髭とつながって、まるで彼が出演していたニッカウィスキーCMの髭の男の様だった。薪割りはキンドリングクラッカーなど使わずに、切り株あたりに薪を立てて、あの丸太のような腕で斧を一太刀。それでスパンと割っていく、そんなイメージがあった。
ニコルさんに憧れるのだから、残された時間で自分を縛るものは何もないのだから。僕は髭を生やした。文章を書く時間を増やした。そして甲州は八ケ岳の麓に越してきた。ニコルさんに近づけたら嬉しいな、今もそう思う。ふと黒姫山の彼の森の小屋を訪ねてみようと思った。彼が育てた森は有志によって引き継がれているが、住まいに関してはなんと今は売りに出されているようだ。寂しい話だ。
せいぜい沢山薪を割っていきたいと思う。建築材の為か薪づくりの為か、伐採された森林をこの地では時折見かける。植林はどうしているのだろう。暖を取るために木を叩き割れば、少しはニコルさんの感じていたことがわかるかもしれない。そういえば難攻不落の女性に悩んでいた奴も、アタックする事数年、とうとう彼女と結婚しお似合いの夫婦となったな。
そんな事を思い出しながらキンドリングクラッカーに薪を入れてハンマーを振り挙げた。固い木は割れるだろうか?