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山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅8・真珠湾の代償 (福井雄三)

真珠湾の代償 (福井雄三 毎日ワンズ 2022年)

外交官というとどんなイメージなのだろう。語学堪能・華やかな社会。そんな印象だ。国の政策は政府が決める。しかしその判断に向け外交官としては自国を取り巻く国際情勢を把握し国益の為に進むべき方向を提案しなくてはいけない。そんな世界とは知らなかった。辣腕外交官が尽力し今があるのだな。それがこの本を読んだ率直な感想だった。

この書は、激動の昭和を生き抜いたある外交官・加瀬俊一氏(1903年~2004年)の生き様を書いていた。著書福井雄三氏は大学教授であり加瀬氏と子息に直接の知己を得て本著をまとめたとある。
明治36年伊能忠敬の血を引く千葉の名家で生まれた加瀬氏は幼少のころから優秀でずば抜けた英語力があり一橋大学在学中に22歳の若さで外交官試験を異例に突破。キャリアが始まる。アメリカへの語学留学、ドイツ駐在、英国駐在。そんな輝かしい経験を通じて列強の実力や国民性に触れていく。一方国内では軍部の独走が満州事変という形で始まり外交が混乱していく。北方資源のあるロシア・中国を仮想敵国とみていた陸軍に対し、日露戦争でその存在を世界に示した海軍は陸軍への対抗意識から米国を仮想敵国と捉えていく。一つの国家内に政府の制御の及ばない強い二つの勢力が台頭していく。政権首脳は戦争は反対で外交官は戦争を避けるべく努力したが、様々なボタンの掛け違いもあり太平洋戦争になり、泥沼化。

終戦に向けて、国体維持すなわち皇室の存続だけは譲れないが、何処にどんな姿で落とし込むのか。腹の探り合い、権謀術数を見抜いての交渉術。外交官はただの政府の伝令ではなかった。加瀬氏が歴代の外務大臣の補佐官として辣腕を振るい、終戦に向けて御前会議へのストーリを組み立てたとあった。東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号での降伏調印式にも立ちあう。くしくもその写真がこの本の表紙だった。白黒写真は現代の技術でカラー化されている。右端に立つシルクハット氏が加瀬氏だった。

何が正義で何が不義かも当時の混沌とした情勢下では何もわからなかっただろう。国民の多くは軍部とマスコミの意見を鵜呑みにするだけの烏合の衆にしか過ぎなかった。本書を読むと、優秀な一外交官が海外経験を経て体得した自らの国際感覚と語学を武器に正確に世界の風向きを察し、戦争を回避するには誰とどう手を組みのかに腐心。敗色濃厚になった際には如何に日本を正しく着地させるかにエネルギーを払ったが分かる。

加瀬氏自身は戦後は吉田茂のブレーンとして働きその後は外交から身を引き文筆家となったが、政府は彼の早期リタイヤを良しとせず再び国際社会の舞台に呼び出され国連加盟に尽力する。それは日本の失地回復でもあった。国連大使に任命されたところで本書は終わる。ヒトラームッソリーニチャーチルスターリン。彼らに直接面会し渡り合った外交官が日本に居たとは知る由もなかった。

冷静に自らの状況を他者との間で分析し、行くべき方向を決めていく。上手く収まるよう周囲を固めていく。これは、国家という大それたものでもなく、身近に在りそうな話だった。

ある事例を思い出した。現役だった頃の上司だった。事業を取り巻く環境を冷静に把握し競合の弱み強みを知る。何を押さえたら誰がどう悲鳴を上げるか考える。手書きのフローチャートを前に何時も色々考えられていた。勝つための逃げ道や回り道をいくらも準備し、速やかにプランAからBへ変えられるようにしていた。鮮やかだな、と感心したのだった。

我が身を取り巻く環境は極めて個人的なものに過ぎない。けれど現状を冷静に判断し最適解を見つけていくというのは自分にも何か応用できないだろうか。目を閉じ考えるが何も浮かばない。そんな事を考えるきっかけを与えてくれたことで、まずは良しとしよう。

白黒写真は2022年の刊行本ではカラーに復元されていた。敗戦国と戦勝国。やはり鮮やかな対比が感じられる。