日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

新年早々ご苦労さま 雷電山

案の定薄暗い山だな そう彼は独りごとを言っていた。こんな山に登るやつはいないだろう、そう思ったようだが意外に山中では他の登山者に会ったようだ。青梅市のハイキングコースという看板を前に彼は頷いていた。

新年早々彼はなぜあまり楽しそうでない地味な山に来たのだろう。

アマチュア無線という世の中の認知はあまり高くないものを彼は趣味として30年は経つ。正月は多くの無線局が山に登り電波を出す。周波数帯にも依るが基本東京タワーと同じ、高いところからは電波は遠くに飛ぶ。だから山に登る。沢山交信出来る。毎年のはじめに山に登るのは彼のルーティンだった。

登山をする方なら見たことはないだろうか。山頂の一角で釣り竿とアルミパイプやワイヤーなどの妙チキリンな造営物をを立てて、一心不乱に謎の言葉をひとり喋っている人を。あるいは交通整理の方が手にするようなカタマリを手に握りしめてそこに語りかけている人を。彼らは自己の世界に没入し一応にシーキューシーキューと、まるで蒸気機関車のピストン運動のように呪文を唱えている。

どうか多めに見てほしい。電波という見えないモノに自分の声が乗り、誰とも知らぬ人がそれに応答してくれることに喜びを見出して人がいることを。喋るばかりでなく時に彼はトンツートンツーとモールス信号を発信し解読する。別にスパイを目指しているわけではない。更に彼は電気回路、高周波回路の本を読み、工具片手に技術を研鑽している。努力しているのだ。人によっては無線機を自分で作るツワモノもいる。少なくともアンテナや、電源周りなど周辺の装置はちょちょいのちょいと自分で作ったり改造したりするのだ。彼らにテスターを渡し、半田ゴテを手渡すべきではない。更に向こう側に行ってしまうだろう。

しかし彼らは知っている。何事も我が手を加えた器具が実用的で未知なる実力を発揮するのなら、これほど科学的好奇心を刺激するものはないという事を。

鼻水を垂らしたような小僧の頃から、週間少年漫画の裏に書かれた広告、「趣味の王様アマチュア無線。ハムになろう」。そんな1ページに心惹かれて今の彼がある。ハゲ頭のその中は、驚くほどに純朴な子供そのものだ。

植林に囲まれた日の差さない山頂に寒そうに震えながらも謎の言葉を発している彼は誰が見てもくたびれたオジサンだ。そんな彼が特に展望も期待できないこの山を歩いているのは単に都会の近くの山で電波が良く飛びそうだったからだ。強いて言えば「雷電」という名前にも惹かれた。三菱が作った局地戦闘機だ。彼はプロペラ戦闘機マニアでもあったのだ。

多くの局と交信しようという思惑も寒さの前に萎えたようだ。2,3局と交信したようで、彼は不思議な道具をザックに仕舞った。どうやら科学的好奇心をも年齢と気温には弱いようだ。しかし彼は一応は来る人に気を使うようだ。「すみませんね、うるさくて。景観乱して」と。

長い山道を彼はたどり行程の最後に鉄道公園があるのを目にして彼は夢中にシャッターを押していた。閉館していたが庭にある錆びたレールに乗ったチョコレート色旧型国電を前にして、彼は恍惚の表情だった。

傍にはスパイ活動としか思えないアマチュア無線、プロペラを回して飛翔するジュラルミンの鳥、そして古びた鉄の車両とレール。ヲタク趣味のデパートの彼も普通に社会生活をしているようだった。なんだか電話している。「ごめんね、今下山したよ。夕食なんか買ってこか?」

彼は満足げに電車に揺られ、少しうたたねをする。さしずめ頭の中には無事にルートを歩いた満足感と、また一つ新しいピークに立ってアマチュア無線をわずかでも運用した、そんな満足で満ち足りているのだろう。

こんな奴が周りに居たら、変人としか思えない。うたたねから覚めて、はっと彼は周りを見回した。なんと、変人はまさに自分だった。新年早々ご苦労様だった。

* *

毎年正月2日3日は、日本アマチュア無線連盟が主催する行事がある。「QSOパーティ」と呼ばれるそれは、既定の局数を交信すると連盟から干支のステッカーが貰えるという。それで十二支を集める。それを何ラウンドもしている強者もいる。自分はステッカーには興味もなくただ山に登ってせいぜい5局程度と交信するだけで満足する。毎年続けているとそれがルーティンになり、山に登らないと年が始まった気がしなくなる。今年こそは「普通のお正月」を過ごそうとしていたがやはり何かが物足りなかったのだろう。今年も参加した。

山の上から運用しやすい周波数は50メガヘルツ、144メガヘルツ、430メガヘルツ、1200メガヘルツあたりだろうか。いずれも見通しが伸びれば交信距離が延びる。そこに電波形式というこれまた謎な単語が出るのでこれ以上はヲタクは語るべきでもない。個々の周波数に対応できる別々のアンテナと無線機をそれぞれザックに入れて歩いた。善意に解釈するならば、まあこれも体力作り。体が動くことは全くありがたい。来年も何処かに行くことだろう。

・ルート:JR青梅線軍畑駅から車道を北上。30分ほどで榎峠に達し道標に従い右手に雷電山へ。雷電山(494m)は北東方面の僅かな展望のみ。ルートは青梅丘陵ハイキングルートとして整備されており指導標も完備。青梅線の駅へ降りるエスケープコースも多い。ルートの最後は青梅市の鉄道公園。ここから青梅駅は徒歩20分程度だろう。
スマホの計測結果 合計時間: 4時間53分(休憩含む)、平面距離: 11.40km、沿面距離: 11.72km

単三電池四本で動くこの無線機などは大人しいもの。もっとデカいのも持ち歩く。写真は西無線NTS-620 (50MHzSSB/CWトランシーバ)

ハイキングルートは植林帯が続くがたまに広葉樹の林に。すると歩く気分も軽くなる

今回のルート(赤線)。夏は暑くて遠慮したい。適期は晩秋・早春だろうか。(アンドロイドソフト「山旅ロガー」にてデータログ取得)