日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

寄席が街へやって来た

ドンドン、チコシャンシャン…。

出囃子の音を正しく表すだけのオノマトペの語彙が自分には無い。はっきりしていているのはそれがとても陽気で、ワクワクさせてくれる類の音楽であるという事だろうか。

日本人でありながらも恥ずかしながら「寄席」をしっかり見たことが無かった。寄席の花形でもある落語に至っては、「寿限無」や「芝浜」のストーリーくらいしか知らない。高校の授業の一環で落語家に来ていただき体育館で聴く、という時間があったが、正直、楽しさが分からなかった。落語が好きな友から教えてもらい動画サイトで見た桂米朝師匠の「まめだ」には泣けた。がそれも何度が聴いて、更にはオチを友に確認してからの話し、というお粗末さだった。

寄席を何でもありの芸能座といってしまうとファンに怒られるだろう。そんな簡単なものではないと。それは失礼しました。もっと高尚なものだろう。無知は恥ずかしいもの。寄席、特に落語に対してはそんな少しゆがんだ思いがあった。自分にはわからないのだ、と。しかしそれではつまらぬと、横浜は野毛にある「にぎわい座」あたりにはいつか行ってみたいと思っていたがなかなか機会が無かった。敷居が自分には高く思えた。

地元の区民ホールに、寄席がやってくる。そんなチラシを町内会掲示板で見つけて、それなら行ってみるか、と家内と二人で行く事とした。木戸銭がお手頃だったのも魅力だった。演芸ホールではないのだから、初心者でも楽しめよう、そんな軽い気持だった。

出囃子からして魅力的だった。前座の噺に続いて、三味線漫談。噺は自分には早い口上で脳が若干追いつかなかったが、三味線漫談は分かりやすく面白い。テレビでおなじみ、林家たい平師匠のお弟子さんという。次の噺は二つ目になるのだろうか。こちらは声のトーンと表情の作りが見事で、その話芸に惹かれた。休憩を挟んでの紙きりの芸、観客席からのリクエストにも応じて、「月とスッポン」や「萩と月」といった秋らしいお題にも見事に対応した。お題を出した観客は別にサクラでもないのだから、それは見事な芸だった。なんでもこの世界で髪切りの芸人は20人も居ないという話だった。真打は、物故された桂歌丸師匠に師事した方で、これも見事な話ぶりだった。お題は多分「加賀のお千代」だったのだろう。

二つ目と真打、ともに話し方の素晴らしさ、声音の使い方と豊かな表情。前口上から噺へ淀みなく持っていく巧さ。そんなたくみな所作も話芸も厳しい鍛錬を経て見に着くのだろうという事は想像に難くない。が、江戸っ子口調のお陰か、聞き馴れないお陰か、お話を満喫するところまでは至らなかった。全く寂しい限りだが、自分の芸能に対する理解力はこんなものだろう。

しかし落語とは本来は庶民の楽しみのはず。こちらが身構えて聞いているから、笑いが分からないのかもしれない。事実並んで聞いた家内は愉しかったという。音楽と同じか。ともに理解するものではなく、感じるものなのだろう。そう思うと良くわかる。しかし、自分はなかなか感じられない。構えずに自然体で。古典落語ではなく現代落語のほうが入りやすい敷居のだろうか。

知らない世界に触れることは楽しい。あまり難しく考えずに、また敷居の低そうな寄席に行ってみたい、と思っている。素敵な出囃子に心躍る時が楽しみだ。

唄ものや切り絵などの色物から、笑いや人情話まで。寄席は庶民の気楽な娯楽の箱だったのだろう。次回はもう少しリラックスてみよう。




2022年11月15日ほうじん劇場

・開口一番 古今亭菊一
・三味線漫談 林家あずみ
・落語 古今亭志ん彌
紙切り 三遊亭絵馬
・お楽しみ 桂歌春