日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

秘すれば花 と言うけれど

若き頃。憧れた女性。どんな所に住んでいるのだろう。どんな街で生まれたのだろう。そんな風に好奇心が湧いてくるのは、憧れが好意に変わって膨らんでいくのと裏表だった。彼女自身は目に前に居る。しかし彼女のそれ以上は分からない。

気になり始めたきっかけはほんの一瞬の笑顔であっても、そんなミステリアスな部分があると夢中になる。恋焦がれるという状態に至るには時間の問題ではないか。

果たして彼女は深窓の令嬢か、つつましく温かい家庭で育った庶民派なのか…。手紙に書かれた住所を見て色々考えるのも、楽しい空想だった。

旅行にでも行くか。今宵の宿は何処だろう。スマホに住所を入れると行先はたちどころに表示される。あろうことか、その場所の街並みの画像もすぐにわかる。だいぶ前からそれが当たり前の世界となった。

これを便利というのか、ひどい話と言うのか。恩恵にもこうむるし、そこまでやる必要は無いだろう、と思う事もある。プライベートな空間を人に撮影される、その許可はどうなるのかと疑問は絶えない。集合住宅はまだしも一戸建てはすべてがトランスペアレントになってしまう。

年賀状でやり取りする友人や知人。その住所を入れれば、地図は表示されるし更にワンクリックでストリートビューもすぐに出てくる。しかし旅行や旅のルート検討などの目的をもって以外はストリートビューは使わない事にしている。地図だけで充分だ。ここまでの押し付けの便利さは誰が欲しがっているのだろうか。

朝の散歩で目の前を青い車が通って行った。何気なく見て、あっと思った。ルーフに全方位に向けたカメラが設置されていたのだった。あ、これ、あのストリートビューの更新か。そんな風に苦々しく思った。泥棒猫の様な車は狭い路地に入り、ぐるりと回って1ブロック先から出てきた。そして次の路地へ入っていくのだった。

彼らの努力が奏功し、憧れの君の家などはその風景がすぐにわかってしまう。豪邸に住まう令嬢だろうか、つつましい庶民的な家庭だろうか、などという胸焦がす想像もこの世から消えた事だろう。

知らないことがあるから自分も楽しい。隠された中に感動あり。「秘すれば花」とは世阿弥の言葉だが、今は何も秘することができなくなった。

全方位カメラを付けた小さな車を、苦々しい思いで、思わず追いかけていた。どうか頼むよ、夢を奪わないでほしい、そう言いながら。

普通の自動車だが、ルーフには見馴れぬものが。まったくこの泥棒猫は許せない