日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

メンタル不調はゆっくりと・適応障害

知人がメンタル不調でしばらく仕事を休んでいたと聞いた。休む前からの兆候は知人との会話を通じて自分も感じていた。どこかで似たような風景を見ていた。職場復帰予定は数週間が数か月に伸び、やがて未定となったという。連絡も途絶えた。しかし風の噂ではゆっくりと復帰して、少しづつ社会に戻る準備をしているという。辛さを早く職場に・上司に伝えるべき、と本人の背中を押した自分としても、それは嬉しい話だった。

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「なんでそんな方針なんですか? おかしいですよ。前言っていた事とは違うではないですか」
「自分はあなたより仕事ができるよ。自分の好きなようにやりますよ」
「あなたは給料泥棒だよ、それでは」

そんな言葉が毎日続く。上司からではなく、ある部下からだ。面と向かって二人で話すように促しても。構わず会議や日常業務の中で続いた。

確かに自分は管理職としては超が付くほどの無能だった。それは自分でもよくわかっている。ロジカルシンキングは苦手、判断はその場限り。真面目に、懸命にやっているつもりでも、結果は出ない。皆のいる前でそう言われるのだ。

部下全員からの信頼が加速度的に失われていく事を感じていた。また誰もが自分を白い目で見ているような気もしてきた。「こそこそ話」も自分が通るとぱたりとやむ。

特定本人の自分に対する公衆面前での誹謗中傷は続いた。自分は言葉のパンチでコーナーポストに追い詰められたボクサーだった。クリンチをしたいところだがそんな相手にはもたれかかりたくもなかった。

いつしか産業医、そして、精神科のお世話になっていた。「適応障害」が自分につけられた病名だった。投薬はあまり効果が感じられなかった。ただ、精神科医はゆっくりと傾聴してくれる。それが嬉しかった。気の持ち方、考え方を変えてみようとも言われた。それもわかるが簡単ではない。

投薬されていたジェイゾロフトSSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)に分類され、幸せホルモン・セロトニンの分泌を促してくれるという。あまり効果は感じなかった。しかし飲み続けた。状況は変わらぬどころか、悪化する一方だった。人格攻撃は続き、周りの白い目はますますきつくなった。もはや組織としては機能していなかった。

会社に着いてPCを立ち上げても、ログインの後は手が動かなかった。キーボードの上で手が震えた。音にならない誹謗中傷が全身を包んでいるように感じられた。医師から処方されていた頓服の精神安定剤アルプラゾラム)を飲むと5分で落ち着いてくる。しかし同時に脱力感と眠気もやってくる。廃人といえた。

ある朝、ベッドから起きることが出来なかった。頭は動いても体が動かなかった。妻にはもう頑張るなとこれまでも何度も言われてきた。そうしよう。その日は体調不良と、初めて休暇を取った。何度か上司にも相談してきたが、とうとう「限界です。環境を変えてほしい」と申し込んだ。それは上司は前から思っていたようで彼は色々その実現に向けて手を尽くしていてくれた事を知った。

だれしも「あるべき自分の姿」と「今の姿」のギャップを感じるのではないだろうか。その溝はやはり埋めたい。それだけなら頑張れる。しかし公衆の面前での罵倒の日々に耐えられる人はそうはいるまい。給料泥棒はきつかった。人格否定と言ってよかった。上司は自分の事を「ず太い」人間と思っていたようだった。実際仕事でミスしても、事業報告で経営幹部から怒られてもそれは自分の至らぬところと真摯に受け止めることが出来た。しかしこれは違った。自分の無能さと未熟さが許せなかったのだろう、それにしても人格攻撃を衆目の下で行うのは、卑怯としかいえない。

自分はと言えば、環境を変えて頂いた。相手とは滅多に顔を合わすことのない職場に異動したのだった。異動先の新しい上司にはとても良くしていただいた。穏やかで暖かい方だった。メンタルの状況は一気に改善してきた。しかしその相手とはたまに顔を合わせる。その時だけは自分の心はさざめき、とても椅子に座っていることも出来なかった。

決定的な回復は、その本人が目の前から消えたことだった。彼は自分が去り新しい標的を見つけたのだろう、新たな犠牲者に会社は事態を放置はしなかった。人事異動という形で去って行った。自分のメンタルはこれで完全に癒えた。痛快でもあった。

会社生活を離れた今でも思う。彼は彼で何かの心の病があったのかもしれない。そうでもなければああも攻撃的にはなれないものだ。攻撃する自らの姿に酔う人もいるだろう。彼をそうさせた自分はやはり社会人としては無能だった。その無能ぶりにイライラしたのは当然だろう。しかし己に非があったとしても自分は一生許す気にはなれない。自分にここまで「人を憎む」という感情があることが今でも信じられない。残念ながら自分は仏さまでもなく、ただの俗人だった。

メンタル障害はゆっくりとやってくる。ストレス要因は埃がたまるように少しづつ日常の中に積もっていく。初めは気づかない。積もってしまったら掃き出すのも容易ではないだろう。そこから逃れるのは、ストレス要因とばっさり縁を切る事だ。その後の自分がどうなろうと、閑職に甘んじても、メンタルが崩壊するよりも遥かに良い。昨今は自分が社会に入ったころの様に「気合不足だ。やる気が足りない」と片付ける事は無くなったと信じたい。メンタル障害に対する社会の認知は高まった。多くの救済があるはずだ。

メンタルの病を通じて、憎しみを知り、また同時に人の温かさも知った。メンタル要因とは即座に縁を切ればストレスは嘘のように消えていく。人間は絶海の孤島で生活でもしていない限り社会生活を営む。他人との交流は必ず生じる。気があうあわないは必ずある。言葉と身振り手振りがコミュニケーションの手段。それを駆使して素の自分を出して理解してもらう。どんなに気が合わない人間にも、何かしらの共感点があるだろう。そこを愛する。「相手を愛すれば相手も愛してくれる」と信じている。しかし通じない相手もいる。だめならばすっぱりと縁を切る。残念ながら人類皆兄弟とはあり得ない話ではないか。冷めたことは言いたくないがメンタルの障害に陥らないために関してはそのくらいの割切り・強さが必要なのではないか。

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最近復職した知人、環境が変わったと聞きほっとした。快活で素敵な男性だった。連絡する手段もあまりない。が新しい職場の場所を聞いたので手紙でも出そうかと思っている。

冷たい水の中でもしっかり花を咲かす。水芭蕉の様な強さを持ちたいと思う。