日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

検診上がりの凶暴さ

「えーと、A定食一つね。こちらは日替わり定食で。まずビールね。オタクは生?それとも瓶? ええぃ、瓶一つで。 あ、あと焼き餃子ね」

5秒で注文してしまった。流石に相手もビールは直ぐに出してきた。こちらの殺気を感じたのだろう。

なにせこちらは前夜から何も食べていない。15時間経っていた。そして信じられないことに、アルコールも昨夜は諦めていたのだ。これはきつかった。枯渇。今のカラダは極めて凶暴な状態。ビールへの渇仰。カロリー高そうな料理。こちらは禁酒禁食明けの身、反動はでかいぞ。これでいいのか。いや、昨夜から我慢はしたのだ。胃の中も無遠慮に覗かれたのだ。今日はよくやったではないか。

渇水期で水のなくなったダムに雨が降ったらどうなる事か。たちまちに枯れた地面に吸い込まれるだろう。自分の胃の腑もそれだった。脂っこい料理が出てきた。乾いた胃の腑はすでに3杯のビールで地ならしした。炒め物の美味しさを今日ほど感じたこともない。こちらは凶暴なので少し残した細君の皿も、食べてしまった。ああ、この背徳感たるや。

4コマ漫画で有名な東海林さだお氏は食にまつわるユーモラスなエッセイをたくさん書かれている。似た話があったな、と思い帰宅後に文庫本のページをめくった。「ドッグ上がりのトンカツ」という笑えるくだりだった。人間ドッグ上がり。16時間飲まず食わずの東海林氏は人間ドッグを終え、”血に飢えた狼が羊の群れに放されたように”東京八重洲の飲食店街を彷徨い、ビールとトンカツ定食に辿り着く。そのさまは、笑ってしまう。この文章を読んだから自分もそうしていたのか、自分もそうだった所へ裏付けるような文章に出会ったから膝をたたいたのか、どちらだろう。

会計も終え木枯らしの吹き始めた戸外に出て、のどがカラカラ、お腹はペコペコ。体がひたすらビールを欲していることに気づいた。いや、そうなる事は前日から分かっていたのだが、それを改めて体感したのだった。そして検診無事終了とのお祝いと称して食欲全開放になるのも例年通りだ。共に検診を受けた細君。彼女はすでに胃カメラを別の機会にやっており今日は割愛。こちらは胃カメラで使った鎮静剤の残りとビールへの渇望でフラフラしながら彼女の肩をかりて歩いた。まるで海を目指すウミガメの赤子。自分たちが目指すは駅前中華。短い脚がせわしく動いた。

ああ、満たされた。…いや、しまった、肝心の検診結果は今日ではなかった。3週間後に郵送だ。会社の健保による人間ドックとは違い、市の無料検診と癌検診とはそんなものだろう。しかもこれでは血液データが良かったとしてもUターンだろうか。ああ祝杯は早すぎたかもしれない。来年の検診では、もう少し我慢を身に着け、大人しく楽しむとしよう。

まったく検診上がりと言うやつは…。

1本の瓶ビールはたちどころに消え、唸る中華が出てきた。検診後の凶暴さを鎮めるには、このくらいが必要だろう…

いつ読んでも楽しい東海林さだおの食のエッセイ。山の帰りにこれらの文庫本を読んでいて余りの可笑しさに車中で笑っていたら、横に座っていたオトウサンも笑っていた。「この本はなんという本なの?笑えるね」と聞かれた。なんだか嬉しかった。25年以上前の話。