日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

脳腫瘍・悪性リンパ腫治療記(23)「血液内科にて化学療法(6)」クール2 点滴漬けが続く

第2クールの治療は第1クールと同様な時間軸だ。ただし抗ガン剤は一種類減る。(プロカルバジンの内服はない。)月曜日に分子標的治療薬・リツキシマブ。火曜日に細胞増殖抑制剤・メソトレキセートとDNA阻害剤・ビンクリシチン。これらが終わり次第腎機能保全のためにロイコボリン、ゾルデムとメイロンの点滴。

リツキシマブ点滴は事前に抗アレルギー剤服用があり、副作用の激しい脱力感で数時間は動けなくなる。明日からのメソキソトレート点滴に向けて、点滴が終わる夕方には再び導尿間の挿入だ。相変わらず大量に排尿させる必要と、定期的な尿成分の確認が必要なのだ。今度の挿管は若い先生だった。これまた上手く、えいやとばかり管が挿入された。管内径2.4㎜。入れられるほうもたまったものではないが入れるのも大変なのだろう。挿入が終わると再び意図せぬ放尿が始まった。

これに3日付き合うのか。前回と同じだから、ただ耐えるだけ。導尿管をすることで膀胱に尿が溜まることなく尿パックにスルーして流れていくのだが、面白いことにそれでも残尿感や尿意を感じることがある。いくばくかの尿が膀胱に残っているのだろうか。しかしこれもコツがあった。導尿管を少し上下左右に動かして、上手く膀胱の中の尿を管の中に入れてやる。するとそんな不快感は消えていく。大したもんだ。なかなか悪くない。

幸いに点滴が終わるとシャワーが認められた。気を遣うのは二の腕から挿入されている点滴用カテーテルで、ここは防水のラッピングを施してもらう。一方で股間には導尿管。チューブが排尿器官の先端からだらりと伸び、尿袋は扉の向こうへ。こんな風にシャワーを浴びるのもつくづく「冴えない」図柄だとおもう。しかしなのだ。シャワーは暖かいし気持ち良い。人間の欲望は、自己を取り巻く環境が過酷になればなるほど周囲をそぎ落としたエッセンシャルなものになるのだと、知った。

金曜日の夜に導尿管は外された。自由だ。ベッドからの寝起きも、移動も、シャワーも随分と楽になる。今度は第3クールの第1週目月曜夕方まで、導尿間はさようなら。これで尿こぼれの可能性もなくなるので紙オムツを履き続ける必要もないのだが、何かしらの不安があり脱ぐことが出来ない。脳外科以来、紙オムツは長い友達だ。

翌週にはいよいよCTによる全身スキャン。解像力を上げるために造影剤を併用。すべて経験済だ。

CTの結果は良好だった。すでに血液内科入院時のCTでも腫瘍が切除され残腫瘍がほぼないことは確認できていた。今度は2クールの抗ガン剤治療の後だ。今回脳腫瘍のあった部分は、入院時にはむくみと空洞であったがそれが縮小されていると、画像で示していただいた。全身スキャンはもちろん多臓器への転移を確認するのが目的だが、これも特に問題ないという所見だった。

「2クールで確実に効果が出ましたね。残り3クール、その後に続く放射線プログラム等、頑張っていきましょう」ドクターの励ましが、嬉しい。

2クールが終わり、結果も目下良好。小さな、いや大きなご褒美が待っていた。土曜昼から、第3クールが始まる前日の日曜夕刻まで、自宅に戻って良いという事だった。二の腕のカテーテルはぶら下がったままで、病院でのシャワーはきちんとテープで防水するが、自宅ではサランラップをしっかり巻く、という原始的な対応方法だった。しかしそのやり方も実は病棟でも少し前まではシャワーの対応などで行っていたという事で簡易ではあるが効果は実証済だった。

久しぶりの帰宅か、嬉しい。脳外科に入院してから2カ月が経っていた。コロナ下で家内と病院で顔を合わせることも限定的だった。抗ガン剤の影響で白血球の低下があるためジーラスタ皮下注射を行う。これで白血球値を戻すという。しかしそれでも白血球値はまだ低めなので、感染予防のために刺身などは控えるように、と言う事だった。病院の外に出ての食事か。何を食べるか、楽しみで仕方ない。病院の食事は決して不味くはないが、「娑婆」の魅力には勝てないのだ。多少の後ろめたさもあるが、アルコールがOKというお墨付きも嬉しかった。

迎えに来た家内とタクシーで戻る。家の玄関を開けると犬が人待ち顔だった。全てが懐かしかった。ここに自分の生活があった。しかし、今は仮の場所だ。ほんのひと時の、里帰りだった。