日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

常磐線にて

会社員として一番楽しかった時期は欧州に駐在していた40代半ばだろうか。それまでも海外営業の仕事をしてきたとはいえ、生活の拠点を移し現地人と膝を交えて仕事をするのは刺激的でやりがいもあった。異文化と「がっぷり四つに組む」必要があり、楽しかった。

帰国して海外と国内の営業をともに担当した。自分は国内営業の経験は皆無に等しかった。相手を知り提案し受注する。そんな行為の本質は洋の東西を問わずと思ったが、色々しきたりがあった。お膳立に始まり接待なども気を使った。合理的な世界に慣れていたので躊躇うこともあった。また役職上深い事前検討や厳しい交渉もあった。

すべてに腰を据える必要があった業務を通じ、いろいろなことを学んだのだと思う。

所要があり常磐線に乗った。もう僕はスーツは着ていない。肩が凝る重たい鞄もなく、磨いた革靴も履いていない。ザックにトレッキング靴といういでたちだった。

平日朝の常磐線。流石に水戸あたりから都内に出勤する人はいないのだろう。通学の高校生と僅かな務め人が乗っている程度で空いた車内だった。

昨日の山歩きと昨夜の演奏会の興奮での疲れが電車の揺れに重なりあい、何時しか眠っていた。と、ある駅名で我に返る。その駅にはお客様がいて何度も通ったのだ。大概は商談は上手くいかずに、苦々しい思いで電車を待った、そんな駅だった。

思い出に彩られた駅を何事もなく電車は出発した。

数年前なのに、ひどく遠い昔のようにも思う。

今自分が「がっぷり4つに組んて腰を据える」事はあるのだろうか。そもそもそんな必要はあるのか。病を経て思ったことは、自然には逆らえないこと。自分もその一部に過ぎないこと。ガツガツする必要もない事。そして抗うより丸くありたいということ。

甲高いモーター音に、再びいつしか眠る。田園の広がる車窓風景も忙しくなってきた。記憶の中の風景は不意に鮮明に目の前に現れたかと思えば、通り過ぎてしまった。それは再び、時間という「巻物」の中に巻き込まれていくのだろう。

常磐線は長い距離を走る。まだまだやりたいことが待っている。家内にも「ただいま」を言いたい。

早く家に帰るのだ。

一生懸命だった日々も、時間という巻物の中に巻かれていた。わずかの時間でも、遠い昔の様に思えるのだった。