日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

いつまでもヒーローです

私が社会人になった時に引退したのですね。だからもう35年以上か・・。

随分と「看板スター」を張っていたように思うのです。1960年代のデビューでいて、吊りかけ式ではなくカルダン式の駆動方式。だから軽快でした。いかにも早そうな湘南型の正面2枚窓も生かしてました。同じ湘南型2枚窓でも、国鉄70系よりもずっと「粋」な感じも漂っていましたね。

間違えなく自分は小学生の頃何度か横浜駅から品川駅まではこの車両が充てられていた「快特」に乗り、東海道線を追い抜くカッコよさに痺れたのです。

京急600系。主役は後の1000系になりますが、2扉・クロスシートという「優等列車」のフォーマットを採用した、京急初の車両ではないかと思うのです。好きだった1000系も、最後の昭和の残党800系も廃車となった今、京急は好きな鉄道会社ですが、車両に対しての思い入れは昔ほどはなくなりました。

快特」主役でありましたが、流石に2扉車では通勤者増にも対応できず、1000系がその座を奪っていきます。 自分にとっては600系と1000系が「京浜急行」でした。もちろん4扉を意欲的に取り入れた700系も、空港線大師線などの支線で頑張っていた400系も郷愁の車両です。

そんな600系が、横須賀線の沿線でひっそりと余生を過ごしているとは聞いていましたが、見てきました。逗子市の第一運動公園の中に静態保存されているのです。

神武寺の駅で新1000系を降車し、しばし歩いて公園に到着です。片隅に、ありました。赤い電車。正面の2枚窓は精悍です。18m級の車両ですから今見るとコンパクトです。もうパンタグラフは畳まれ、近づいてみると金属車体も腐食が進み塗装も劣化しているのです。しかしもっとひどい状態だったのを愛好家立ちの手によりここまで復活したと言います。

車内に入れました。シートも破れまくっています。仕方がないです。転換式のクロスシートと思っていましたが、固定式でした。しかし1960年代の近郊型通勤車両としては画期的な設計だったと思います。

運転室へ。運転席は埃が多く座るのが躊躇われました。しかし中腰でマスコンを握ってみます。とても前面視界が良いですね。これなら「飛ばしたく」なるわけです。

思うのです。今の車両製造技術をもってすれば、軽量素材と最新エレクトロニクスを使用して、デザインだけ昔の車両を作ることは可能でしょう。今の鉄道車両は、鉄道会社を問わずして皆ほぼ同じプラットフォームです。受注ロット、部品の共通化、製造設備の統一化・・・。わかります。しかし、間違えなく鉄道車両から個性は消えました。どこかで義憤に駆られて、「昔の名車を最新テクノロジーで寸分たがわずデザインするぞ!」という車両会社は出ないですかね・・。あるとしたら、この600系は、その第一候補であると、間違えなく思っています。

赤い電車。走る稲妻。京浜急行。それはまさに1960年代にカルダン駆動を取り入れ、空力特性を求めた2枚窓を採用した600系そのものでした。生麦辺りで東海道線をぶっちぎる赤い稲妻。いつまでも自分のヒーローなのです。いささか走り過ぎて疲れたのかもしれません。彼はゆっくりと公園の片隅で、変わりゆく街並みを見ている事でしょう・・・。ヒーローだから、それもありです。

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