日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

トッカータをチェンバロで聴いてみる

いわゆるバッハの「七つのトッカータ」、作品番号で言えばBWV910~916です。

バッハのチェンバロ向け鍵盤曲でも、「平均律」や「インベンションとシンフォニア」のように曲が小規模でもなく、また、組曲形式で馴染みやすい「フランス組曲」、「イギリス組曲」、あるいは「パルティータ」とも違い、それぞれが10分程度の長尺な曲です。トッカータとはWikiによると「鍵盤楽器による、速い走句や細かな音形の変化などを伴った即興的な楽曲で、技巧的な表現が特徴。オルガンやチェンバロの調子、調律を見るための試し弾きといった意味が由来」とあります。バッハのチェンバロ曲には1時間を超えるゴルドベルグ変奏曲などもありますが、組曲形式ではないこの7つのトッカータは、大きな砦のような作品のように感じます。

しかし7つの作品のそれぞれの中で出てくる緻密なフーガはどれもとてつもない興奮を聴くたびに与えてくれます。目を閉じながら聞けばそれは神への祈りにも聞こえるし、自己の罪の告白にも思える。そしてその背景にはドイツの濃密な森林の風景すらも浮かびます。主旋律に追随して出現する対旋律のニュアンスの豊かさはなんと表現していいのか、自分にその術はありません。

これまでこの作品群はピアノ一択でした。そう、グレン・グールドの1963年から1979年にかけての録音です。バッハの鍵盤曲は平均律やイギリス・フランス組曲から入ったので、正直やや難解なこの7つのトッカータはなかなか馴染めませんでした。しかし、長尺感のある序曲やアダージョに飽きかける頃に突如入ってくるフーガの構築美に気づいてから、この7曲もバッハの鍵盤曲の中で外せない存在となりました。 特にグールドの演奏はこの構築美を爽快に表現します。それにより構築要素が明確に、分明に浮かび上がります。フーガやカノンの線の明確化、これはグールドのバッハ演奏においてすべてに共通する点であると思います。

最近グールド(あるいはフリードリヒ・グルダアンドラーシュ・シフマルタ・アルゲリッチなど)のピアノ演奏で聞き馴れていたバッハのチェンバロ作品の多くを、やはり作曲当時に存在していた楽器であるチェンバロで聴いてみよう、そう思い、CDを入手したりネットで探したりしています。

やはりバッハのチェンバロ演奏の第一人者と言われるグスタフ・レオンハルトの演奏で探したいところですが、この7つのトッカータはネットで素晴らしい演奏に出会いました。オランダの現代のチェンバリスト、ピーター・ヤン・ベルダーの演奏でした。彼の名はこのネットで初めて知りましたが、自分とほぼ同世代なのですね。7曲とも実に生命感にあふれた演奏で、古雅なチェンバロの響きが美しい。バッハの音楽の構成美もここまで透明になるのか、と思えるほど綺麗に聴かせてくれました。

最近入手したグスタフ・レオンハルトチェンバロによるフランス・イギリス組曲も素晴らしい。グールド、グルダのピアノ演奏に加え20年ほど前に入手したボブ・ファン・アスペレンによるチェンバロ平均律も既に体の一部になっている音楽です。バッハの鍵盤曲はピアノが一番、それは早計でした。ベルダー演奏によるこの7つのトッカータを聴いて、まだまだ知らない世界があることを学びさせていただきました。

奥が深すぎてどうすればよいのか、途方にくれます。ただ黙して聴くのみ、でしょうか。

・7曲どれも甲乙つけがたいですが、フーガの構築美はBWV911が一番気に入っています。 https://www.youtube.com/watch?v=RFWyhTOeZFM
・全曲、本当に素晴らしいです。いずれも大曲です。 https://www.youtube.com/watch?v=mYGNyXzvzRY

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