日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

鉄の歓び スイッチバックを歩く 長坂駅

中央線。山梨県に入ってからはスイッチバックの駅がいくつかあります。もっともレールは残っているもののスイッチバック自体はもう使われていません。その意味で廃線とも、遺構とも言えます。

暑い盛りには生い茂る夏草に覆われ、北風の季節には寒風に草は枯れ砂利敷の道床も霜に覆われます。レールはとうに赤く錆び、枕木も長い年月をかけて割れていき、全てが崩れていくのです。

そんな侘しさも鉄道の持つ魅力の一面かもしれません。「たけき者も遂には滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ」。古来から日本人はこんな万物のうつろいの中に何かを、もしかしたら美しさすら見出していたのでしょうか。

長坂駅です。自分が知る限り、初狩駅韮崎駅。このあたりが中央線のスイッチバック遺構といえば思い出されますが、ここにもありました。

駅舎を後に西へ歩きましょう。駐車場の脇から線路横の舗装道路に出られます。すぐに見つかりました。向かって左に緩やかにRを描いて高度を上げていく本線。そのRを無視するかのように分岐している一本の側線。その側線の途中から今度は手前に向けて一本分岐して、自分の今いるところまでゆるく登りながら伸びてきました。もちろん上には架線もありません。使われなくなって久しいのでしょう。

こんな盲腸線路のレールの端部の処理はいくつかパターンがあります。枕木をレールの上に交差するように無造作に置いているもの。何もしないで盛り土の中に消滅しているもの、そしてどうやるか見当もつかないが、レールを左右併せて綺麗に折り曲げているもの。

このスイッチバックの端部は「折り曲げ」型でした。

おおお、声にならない唸りが出ます。かつてここに入れ替えの車両が来ていたのか。今や車両の動力性能が上がり、もう標高差を稼ぐにも直球勝負で登っていけるのです。

便利になった世の中。失われていく何か。進歩と消滅・・・。

次に訪れた時、この寂れたレールはまだあるのだろうか。時の移ろいは誰にでも平等です。

遺構に背を向けて駅に戻ります。と、背後から鋭いタイフォンの音が聞こえ特急列車が通り過ぎて行きました。それにつられて一瞬強く吹いた高原を渡る風は、トゲが刺さるように冷たいものでした。

「これが生きるという事だよね」そんなセリフが頭に浮かぶのでした。

 

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