日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

追憶の百名山を描く(3)・火打山

●始めに: 

日本百名山深田久弥氏が選んだ百の名峰。山岳文学としても素晴らしい書だが、著者の意とは反して、このハントがブームになって久しいようだ。自分は特に完登は目指していない。技術的にも体力的にも出来ない山があると知っている。ただ良い指標になるので自分で登れる範囲で登っている。可能であればテレマークスキーも使う。この深田百名山、無理なく登れる範囲をどこかで終えたら、あとは自分の好きな山を加えて自分の中での百名山にしたい、その程度に思っている。

自分が登った懐かしい百名山を絵に描いて振り返ってみたい、そんな風に思う。いずれの山も、素晴らしい登頂の記憶が残っている。時間をかけて筆を動かす事で、その山行での苦しみや歓び、感動を、まるで絵を書くようにゆっくりと思い出すのではないか、そんな気がする。そうして時間を越えて追憶の山との再会を果たすという訳だ。

火打山(2462m、新潟県妙高市糸魚川市

ある年のゴールデンウィークにスキーで登山。十二曲がりの急登りはスキーを脱いで登った。富士見平まで登りついて目指す山を遠望する。純白の山。明日、スキーで登るぞ。待っていてください。

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以下、火打山山行記録です(長文注意)

もう20年近く昔の話だ。ある晩秋の日、週末の日課であった50メガを自宅でワッチしていたのだが、ふとノイズレベルかすかすのCQをFT655が捉えた。なにか「ひうちやま」と言っているように聞こえる。浮き沈みある波をしばらく聞いてしいるとそれは新潟の火打山であり、何とCQの主はJG1MIT局。これは是非呼ばなくては、とこちらも100W入れた。「とても寒いよ」というノイズに消え入りそうなMIT局の声は今でもよく覚えている。MIT局なので10W機にヘンテナだろう。それでこの程度の信号か、火打山は随分遠いなぁ、これが火打山の最初の印象だった。

妙高・火打・焼山の頸城三山は主立った信州の山に立てば、周囲から黒姫山を前衛に制して独立して存在感を示しているので良くわかる。殊に六月、残雪を踏んで立った高妻山山頂から見た火打山は素晴らしかった。それぞれ独立した個性を持つ頸城三山だが噴煙を上げる三角錘の焼山、拳が突き出した妙高山を助さん角さんよろしく左右に従える優美で無駄のない火打の姿は見ていて飽きなかった。まさに盟主の趣があった。そんな火打、そして妙高を縦走しようとある秋の連休夜行バスをおさえたが、台風の影響で取りやめ。以来なかなか登る機会がなかった。

実際のところ火打のベストシーズンは高谷池が草紅葉で燃える秋だろう。しかし、五月連休、この山域一帯が最高の山スキーのフィールドを提供してくれることは良く知られている。日本海からの雪雲を最初に受け止める海抜2500mの壁、まさに豪雪の山である。妙高外輪山と並び火打山を巡る山スキーのルートは多く紹介されている。秋もよいがやはりスキーで登ってみたい、そんな思いも大きかった。

2019年のGW、いつも山スキーをご一緒いただいているJI1TLL・Sさんは出張という事で参加は叶わなかったが、昨年の乗鞍岳山スキーにご一緒させて頂いたJK1NRL・Tさんと共に、そんな火打を目指すこととなった。いよいよ憧れの山頂を、それもスキーで踏むのだ。

4月27日、八王子近郊のTさんの自宅に向かいここで車をデポ。Tさんのデリカに同乗させていただきがら空きの関越から長野自動車道へ向かう。今夜中に登山口の笹ヶ峰牧場まで出来るだけ近づこうという算段だ。高速インターの手前黒姫野尻湖PAで仮眠。冬用シュラフを持ってきたがなかなか寒い。夜が明けて驚いた。辺り一面完璧な銀世界はまるで2月の風景だ。昨夜も降雪があったようでとても5月とは思えない。インターのコンビニで食料を仕入れてから笹ヶ峰へ向かう。途中のつづらおれから路面が圧雪状態となった。実は今回天気予報とにらめっこで好天を狙って一日リスケジュールまでしての入山となったがつい前日まで雨マークの妙高エリアではあった。これがここでは雪だったのか。

前をゆく車が道のど真ん中でスリップして打つ手なくこちらへ滑ってきた。間一髪で横をすり抜け牧場への圧雪路を辿るが内心ドキドキする。登りやすくて滑りやすい、そんなザラメ雪のいつもの山スキーとコンディションは大きく違いそうだ。いつもとは勝手が違う、これが頭に浮かんだ不安だった。

積雪10cm近い笹ヶ峰牧場の駐車場はそれでも関東関西ナンバーの車で満車に近かった。ほぼ9割がバックカントリースキーヤーだろう、想定外の新雪に不安はあるがここまで来たら登るしかない。高度計のセット、コンパスと磁北線の照合、板へのシール張り付け、ワックス塗布。いつものルーチンを淡々とこなすだけだ。

7:50、車道横の雪壁を登って、歩き始める。ここから直線で2.5キロ先の黒沢橋まではブナ林の中丁度よいウォーミングアップの緩い登りが続く。点々と前後にパーティが続く。新雪ではあるが良く踏まれており板が潜ることもない。赤旗をつけた竹竿をいくつもザックにつけた5、6名の先行パーティに追いついた。竹竿持ってのパーティとはかなり本格的なルートを行くパーティだろうか。近づいてみるといずれもまだ若い学生パーティだ。聞けば彼らは同志社大のワンゲルで今回は山スキーで火打をピークハントしてからから妙高外輪山へ進み杉の沢スキー場を下りて赤倉温泉に抜ける、というロングコースの一団だった。今宵は高谷池ヒュッテ、明日は黒沢池ヒュッテで幕営という。

パーティを追い越し更に進む。同じようなブナの林が続くがトレースがないと迷いそうでもある。沢音が近づいてきてそこが黒沢出合いだった。ここから無雪期ルートは十二曲がりとと呼ばれる壁に取り付くが残雪期までの限定ルートでこの黒沢を詰めていくというルートもある。いずれの道も上部の富士見平で合流するが黒沢ルートは急登もなく効率がよいという。しかしここはTさんが事前に最新情報を仕入れいていた。雪割れがすでに始まっており沢がでて危険という。

覚悟して十二曲がりの急登に挑むこととする。地形図上でも等高線が密に詰まっているのが見て取れる。このルートをスキーで登ったことがあるSさんからは、「十二曲はまたスキーで通るのはイヤな所だ」と伺っていたがそれなりの難所なのだろうか? 見上げる壁は擂り鉢状の斜面で、確かにシール登高では厳しそうだ。斜面半ばでグリップが利かずにズルリと板が後退するのが目に浮かぶ。これがシール登高では一番イヤな状況だ。ツボでも大して潜りそうにないのでここはシートラーゲンに変更。今回の山行から初めて板をロープで引っ張る方法を導入してみた。Sさんはいつもこの方式を使われていたが自分はロープワークが大変そうで今一つ敬遠していた。しかしこのルートは樹林帯の急登もあるので今回初めて導入しようと考え、あらかじめ板のトップにカラビナを通す穴をあけておいたのだ。事前の練習もあってか板の牽引は簡単だった。何よりもザックにくくりつけた時のように板の重みを一切感じないのが良い。思ったよりも軽快にこの斜面を登り始めることが出来た。

樹林帯の擂鉢状の急斜面が続く。シールで頑張る後続パーティはジグザグにトレースをのばしているがこちらはツボ足なのでほぼ直登で行く。案の定シール組は板がスリップして転倒、苦労している。先頭にワカンを履いた登山者が良い具合にステップを作ってくれるのでありがたくTさんに続き使わせて頂く。稜線が見えるが息が上がってなかなか登りつかない。時折振り返るが2本のスキー板もちゃんとひっついて登ってきている。重さを感じないから不安でもある。

ようやく稜線まであがった。ここまでは急ではあったが特に危険と思える箇所もない。ワカンの先行者にステップづくりのお礼をする。アイゼンとピッケルも持った完全装備だ。ここで大きく一本立ててから先を急ぐ。まだまだ等高線は急だがルートはこの尾根から小ピークを巻いて黒沢の谷を右手に見るトラバースとなった。眼下の谷が一気に落ち込みここを横切るのは良い気がしない。途中ダケカンバがルートを遮る。注意してくぐる交わす。ザックに板をつけていたら難渋しただろう。このトラバースは内心冷や冷やで、Sさんのいわれる難所もここではないかと考える。回り込んで再び樹林帯となり斜面にダイレクトに取り付くようになった。滑落の恐れがなくなりほっとする。ここからはもう大丈夫だろう、と再び板を履いた。

オシラビソの林を登っていく。傾斜は緩くなりシールも順調、スキーが良く進むようになった。二重山稜のような地形となり大きな樋の中を登る。左手には大きな雪壁が続き頂稜は雪庇状になっている。向かいからピッケルを手にした単独行がとぼとぼと降りてきた。調子が出ないので下山するという。

一頑張りでオオシラビソの林を抜けると広闊な雪原が現れ、ここで初めて火打山がその素晴らしい姿を遙かに現した。富士見平だ。Tさんとともに思わず見とれてしまう.点在するオオシラビソの林の向こうに立つ純白のすっきりした金字塔であった。左隣の焼山もボリュームあるのだが無駄のない颯爽さという点でまさに他を寄せ付けない気高さがあった。しかしいかにも遠い。ガイドブックにも、またSNSに溢れる記録にも火打山山スキーは日帰りで初紹介されることが多い。スキーの機動力を持ってすれば可能だろう。が、こんなスケール感の山を日帰りするのは少々もったいないようにも思える。もっとも自分の場合は足も遅く日帰りは技術も体力も追いつかない。そんな事もあって今回はこの先にある高谷池ヒュッテに泊まる計画にしていた。

先が見えたのでここで少し長めに一本立てる。背景の山が実に立派な姿だが果てどの山だろう?しばしピンと来ないがよく考えれば高妻山とわかる。端正な三角錐のピークもこうして横から眺めると全く違う形で、乙妻を右に従えた大きな塊りとなっている。6月の残雪に苦労した壁も、こうしてみると、あぁあそこを肝を冷やして登ったのか、とよくわかる。どちらかというと小兵のイメージがあった高妻山だがこうして見ると頸城三山にも伍する一大勢力を築いているのをみるのは嬉しかった。前方に黒沢岳が雪壁の向こうに盛り上がっている。無木立のバーンだ。地形図記載ピークなのでヤマラン有効だが自分はともかくもTさんも登る元気が出てこないようだ。思ったよりも疲れているのだろうか。

ここからは黒沢岳の西斜面をしばらくトラバースする事になる。左手は木も疎らな深い谷になっており若干の緊張を強いられる。前方の林の中に高谷池ヒュッテの三角屋根が見えた。ルートは緩い下りになったがその先の登り返しをみてシールをはがす気にはならない。黒沢池ヒュッテから妙高へ縦走する夏道合流地点と思しき地点にでるが黒沢方面へのトレースは一切無かった。

高谷池ヒュッテはちょうど一週間前に小屋開きしたばかりだった。人気の小屋らしく予約制で、4月1日の予約解禁日は電話もつながりにくくなるほどで、紅葉シーズンの日程などがすぐに埋まってしまうという。自分たちも解禁日に二人で連絡を取り合いながら予約にトライ、ようやく電話がつながり予約できたのであった。

まだ13時であるがもうこれ以上歩かなくて良いと思うとほっとした。難所はさほど無かったがやはり長いルートだった。まずは小屋でビール。これが楽しみで頑張れたようなもんだ。小屋のビールは350缶で300円と激安だが昨シーズンの売れ残りだという。疲れた体には味は上々、ありがたく頂く。

小屋の広間には小さな達磨ストーブが一つ。がいかんせん小屋の1階はほぼ完全に雪に埋まっている状態なのでこんなストーブでは全く効果はない。まるで冷蔵庫だった。

寒くて仕方ないので炊事用のストーブを持ち出してホットウィスキーに移行する。なんだ、しっかりTさんもマイウィスキー持ってきてる!お互い、好きだねぇ。

山で苦労を共にした仲間と一日の終わりに談話するのは楽しいものだ。そこに酒が加われば言うことはない。つまみを持ち出して、他愛のない話題ばかりだがそれが腹の底から楽しいのだからありがたい話だ。一人の山歩きでは行動中の自分の意識はひたすら内面に向き合う。それはそれでかけがいのない一時なのだが仲間との山はまたそれとは異種の楽しみがある。仲間と語り仲間を知る。これが醍醐味につきる。

ホットウィスキーがこんなに美味しいとは思わなかった。13時過ぎからだらだら、ちびちびとお互い3時間以上飲み続けている。その間に後から来た山スキーパーティがしっかり火打山頂を往復してきた。酒で撃沈している我が身にはひどく凄い事に感じる。雪の状態は思ったよりも堅く滑りずらかったという。夕方の雪面は早くも凍りかけているのだろう。食事を終えて部屋に戻る。蚕棚の寝床。同宿は17、8名程度か、殆どが山スキーのパーティのようだ。

小屋の夜は流石に冷えた。毛布かけ放題でなんとかしのぐ。トイレは凍っており大きい方はバケツの水で流さなくてはならなかった。

* * *

朝、凍った部屋の窓から覗く火打山の姿が赤く燃えていた。晴天だ。とはいえ余り早く出ても凍った雪面に苦労するだけだろう。出発時間を伺っていると昨日の同志社大パーティがどうしたことか丁度登りついたところだった。予定外のことがあったのだろうか?7時も近くなってから同志社大パーティを追って登り始める。
天狗の原に向け緩い下りの後に本格的な火打の壁に取り付く。先行パーティが豆粒のように急な片斜面をトラバースしながら高度を稼いでいる。足下は相変わらず堅い雪で、これでのスリップは勘弁願いたい。スキーアイゼンがグサグサ刺さり安心感がある。こいつの効果は1ヶ月前の上越・雁ケ峰で確認済みだった。更に進むと右足の板が重くなった。良く見ると板のトップでシールを固定している金具からシールが外れかかっていて隙間に雪が入っているのだ。金具とシールはハトメで止めているのだがシール面が破れてずれているのだ。参ったな。手はないかと考えるとメンテ道具のポーチに何気なく結束バンドを入れていたことを思い出した。こいつを取り出しハトメとシールを上手く固定することができた。こんなものでもあるとないでは大違いだった。修理を終え振り返る妙高本山が大きな拳骨のように盛り上がり異様な姿を見せている。左手は無木立の大斜面でここで滑落したらどの位滑るだろうか。

右手にハイマツ帯が近づいてきた。火打山山頂直下の肩である。先行の同志社大パーティが丁度上り始めたところだったが彼らはここでスキー板をデポしてアイゼン・ピッケルのツボ足に移行していた。確かに見上げる火打の山頂までは一気に盛り上がる急登、まさに最後の詰めだった。雪の状態は悪くないのでこのままスキーで行くことにする。斜度が強くなったのでジグザグを切る。足下の斜面は風で小さな波のような段差が続き登りづらい。きつい登りで思ったように足が前に出なかった。雷鳥がそんな自分たちをあざ笑うかのように軽やかに行く手を飛んで回る。冬毛の雷鳥は昨年の乗鞍岳頂上付近でも見たが、こんな間近で見るのはこれが初めてだった。

大きくうねる雪壁を乗り切る。スキーアイゼンをガシガシ利かせて堅い斜面を登っていく。傾斜がゆるんでとうとう火打山2462mの山頂だった。9:50。おぉあの遙かな純白の峰、念願の頂に立つことが出来た。

四周ぐるりと山々が出迎えてくれた。黒姫、飯縄、高妻、乙妻、雨飾、そして北アルプスの連嶺。白馬岳とその左手の大雪渓が真っ白く長い。JK1RGA・Kさんと白馬を歩いたのはもう15年近く昔の話となってしまった。

アマチュア無線運用。Tさんはゾンデ棒をポールにしてRH770を付けて430メガFM、自分はハンディ機直付けのRh770で144メガFMだ。CQ一発で声がかかる。新潟市松本市からのコールが続く。新潟市アマチュア局の多さは中部山岳や上信越の山を歩くと実感する。

念願の山頂での無線運用も終え言うことはない。もう一度展望をむさぼってからいよいよ滑降だ。シールを剥がしワックスを塗りながらルートをなぞる。真南の大斜面は良く滑られているルートだが一気に落ち込んでいるのでドロップには多少の勇気が必要だった。ここは往路を戻ることにする。少し降りてから右手に大斜面方向に回り込むと適度な斜度だ。洗濯板のように凸凹の続く斜面は決して滑りやすいルートではないが風の強い独立峰だから仕方ないだろう。余りこのまま下りていくと雪庇になるので注意が必要だ。大きく南から回り込んでから先ほどのハイマツの茂る肩に滑り込んだ。さてここからのルートだが一思案。往路のトラバースルートを行くか南面を降りて上り返すか、はたまたこのまま稜線をたどり一気に天狗の原に降りる斜面をとるか。出した答えは3つ目の選択肢だった。ノートラックのコンディションの良さそうな一枚バーンガあるのを二人とも登りの際にチェックしていたのだ。

からしばらく稜線沿いを歩いてバーンの上に出た。下から見ると急であったがいざ上から見ると滑れそうだ。斜滑降で飛び込むと雪は悪くない。心地よくターンしてダケカンバの疎林帯に滑り込んでから天狗の原まではあっとう言う間だった。

あれほど登りで苦労した山頂への登りもスキーではあっと言う間に下りてしまう。ここから高谷池ヒュッテまでは緩い登りが続く。シールを貼るまでもないが普通だと滑ってしまい戸惑うところだが、今回はそのままステップに体重をかけながら登ると難なく登り進めることが出来た。実は今回の山行の前に手持ちの板の裏面に砥石を当てステップ加工してきたのだった。下手な素人工作だがそれでも市販のステップ板にさして遜色ない登坂能力があることがわかった。テレマークスキーはもともと登坂・滑降・歩行をシームレスに楽しめる身軽な道具だが、更に小さなアップダウンが続くルートではステップ板が機動性に富んでいてより有効だ。一方自分が残雪期に使っているショートスキーはノーマルのソールだった。ファンライド用のゲレンデ板だから仕方ない。安上がりで実戦向きのバックカントリー板に変身して大満足だ。

高谷池ヒュッテに戻ってきた。いくつか張られていたテント村ももう引き払った後だ。時間はまだたっぷりある。軽く昼食をチャージしてデポしておいた荷物をザックに入れて下山にかかる。

行く手の高妻山の山頂部が重たそうな雲に覆われ始めているのが気になった。黒沢岳のトラバースは紐で板を引っ張り乗り切る。やはりこれは良い方式だと改めて認識する。富士見平まで登りついてから板をはいて、さあ十二曲りの丈夫までは快適な滑降が待っている。緩い下りでターンにも余り気を使う必要もない。富士見平の雪原から樋上の稜線直下を下りアオモリトドマツの森の中を滑るようになると十二曲りは近い。往路のトラバース道は避けたいがさて稜線通しはどうなるか。

とここでまたしても同志社大パーティがスタックしていた。今ここに居るとは計画変更だろう。彼らは眼下に一気に落ち込む急斜面を前に進退窮まっているようだった。Tさんによるとトップのリーダーはなかなかスキーも達者らしい。それでもこうばらけるのは後続の足並みが揃わないのだろうか。

往路のトラバースのトレースを左手に見送ってからこちらも眼下の急斜面に思案する。この急斜面をスキーで下りる自信はなかった。ツボにしてもスリル満点だ。今度ばかりは板をザックに括り付ける。幸いに雪面が柔らかいのでプラブーツの踵ををしっかり斜面に踏み込むことが出来るがそれにしても靴の接地面が少なすぎて不安だ。ピッケルがほしい。そろりそろりと下りていく。

ステップの確保がいまひとつだ。落ちたとしても雪の谷は滑り台のようでダケカンバが随所に顔を出している。なんとかならぬか。そんな風に思っていたから、思わず気が抜けて足が滑った。あれよあれよと言うまにその滑り台をすべって行く。が目の下3mにダケカンバの大きな幹が出ていた。冷静にこれを捕まえて事なきをえる。とはいえそろりそろりと下りて、ようやく平らな場所に着地だ。Tさんもようやく危険地帯を脱したようだ。登りのトラバースを嫌がった末の結果だが、果たして夏道はどちらなのだろう。これが夏道なら、ロープや鎖があってもおかしくない、そんな急斜面であった。Sさんが「十二曲がりをスキーで下りたくない」と言われていた気持ちをここでようやく理解したように思えた。

この先の擂鉢状の下りはブナの疎林の中を板をザックに着けたまま下りた。グサグサと踵を踏みこんで下りる。雪の状態も悪くなく滑る事も出来る斜度だったが何らかの先ほどの動揺があったのかもしれない。

十二曲がりを脱して黒沢橋を渡ると後はブナ林の中をすべって降りるだけだった。15:06、無事笹ヶ峰牧場に戻ってきた。
念願の火打山もTさんにご同行いただいたお陰で無事に登ってくることができた。豪快に滑る箇所と言えばやはり火打山の南斜面と言うことになるだろうか、その場合は登り返しも必要だ。それ以外のルートは滑りもあり、ノルディック的な要素もあり、と、単に滑りだけでは終わらない、バリエーション豊かな、まさに「これぞ山スキー」といえるルートだと思えた。黒沢を詰めるルートにも興味はあったが又いつかの機会にしたいと思う。

杉の沢集落の「苗名の湯」で山旅の汗を流した。ここからTさんの自宅まで送って頂く事になり感謝だ。

山スキーの楽しさを一言で言うとするとなんだろう? 高度計とコンパスを見て現在地を探り、地図と照合し思ったとおりの尾根を滑り、思わぬ障壁に出会う。持てる知識と技術を総動員してそこを切り抜ける。この一連が大の大人をわくわくさせる要素なのだろう。 いやしかしそれらはむしろ末梢なことであり、登って、歩いて、滑って、見知らぬ谷、見知らぬ尾根、見知らぬ台地、憧れのピークを踏む。それはスキーを履いた旅だ。そう、雪の山をスキーで旅をする。そこに尽きるのだろう。そんな楽しみを分かつことの出来る仲間とのスキーは実に楽しい。次の山旅は一体何処になるのだろう?素晴らしい山旅をご一緒させていただき本当にありがとうございました。

(登山日2019年4月28日29日)
本文は山岳移動通信「山と無線56号」より転載