日本百名山。深田久弥氏が選んだ百の名峰。山岳文学としても素晴らしい書ですが、著者の意とは反して、このハントがブームになって久しいです。自分は特に完登は目指していませんがただ良い指標になるので自分で登れる範囲で登っています。またこのうちで自分で登れる範囲は山スキー(テレマーク)で登っています。この百名山、どこかで終えたら、あとは自分の好きな山を加えて自分の中での百名山にしたい、その程度に思っています。
●紅葉の伯耆大山
兼ねてから気になっていた伯耆大山に登ってきました。中国地方唯一の日本百名山。中学高校の頃中国地方に住んではいましたがまだ登山はしておらず、また以降中国地本に住む機会はなかったので、遠い山でした。
脆い岩質でできていて山体崩落が激しいという大山。一般に登れるのは弥山(1709メートル峰)で最高峰の剣が峰は稜線の崩落により侵入禁止となっています。一般登山者の自分はもちろん弥山までです。
夜行バスで米子駅についてすぐに乗り継いだ大山寺行きのばす。門前町らしい大山寺集落から入山。登りはじめのブナ林から見事な紅葉でした。
登山道保護の観点から真新しい木の階段が延々と続きます。歩幅もあわず疲れることこの上ありません。
六合目避難小屋を過ぎてから三合目辺りからの愚直な登りから開放されますが階段が減りやや歩きやすくなります。六合目避難小屋は小さな小屋でしたが堅牢です。
ナナカマドの実の向こうに、弥山からユートピア方面へつづく北壁が絶望的なほどの厳しさを見せてくれます。美しさも度をこえると厳しいのです。見ているだけで震えそうです。このあたりから森林限界が近づいているようで風が容赦なくなってきました。休憩すると即座に体が冷えてきます。ガスの中になり展望が閉ざされました。
八合目から傾斜は緩み、楽になります。
ガスの中から山頂避難小屋が見えてきました。そのすぐ上に目新しい山頂標識が、ありました。山体崩落でこれも移設されたのでしょう。寒くてとても長居できずに小屋に入り湯を沸かしカップ麺でホッとしました。小屋は二階建て、トイレ完備の堅牢なものですし、今日は売店もひとがいるようでした。
アマチュア無線は、144メガFMで地元局と交信、わずかに2局です。交信できたので即下山。食事を含め山頂エリアには30分も居ませんでした。
天気は良くなりガスもすぐに抜けました。今回下山時に使うトレッキングポールを持ってくるのを忘れてしまいました。いや、急峻なルートでもなく、なくても大丈夫、と、荷造り時に思い、外したのです。しかし登りながらかなりの急な坂にこれは失敗と思い後悔したのですが、実際にはポール無しでも下山には全く問題ありませんでした。
無事下山。見上げる大山が見事です。
日本百名山はこれで72座目となりました。今年は病気もしましたが。毎年ずっと続けて登ることができた事が嬉しい。標高差ほぼ1000メートル、大半は木の階段。流石に疲れました。絞られた山でした。復帰後の山としては最も辛い山となりました。
長年の宿題を果たしホッとしています。
写真
●剃刀を思わせる痩せ行く岸壁。大山北壁の迫力は見事だった。
●高い密度のブナ林の中、長い階段道。励みは唯一つ。紅葉の極みだった。
●黄色く、赤く燃える。間違えなくそれは、色彩の競演だった。
●米子市街地から。大きな姿は山陰一の名峰の名に恥じないと実感する。
(2021年11月5日登山)