日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

そしていつか 

「いきますよぉ。」

掛け声とともに苦しそうな吸引音とむせび音。

カーテン越しの向かいのベッド、辛そうだ。あぁサクションか。あれはきついな。自分自身が数か月前脳腫瘍を摘出した直後の集中治療室で何度も味わった苦痛。それを生々しく思い出す。

隣のベッドの主は排泄がままならぬようで、時折オムツ交換の音と臭いもくる。看護師さんは手慣れた手つきで黙々ととこなしていく。

入院生活は、隣人が、同室者が頻繁に入れ替わる。幸せに退室していく方。そうでない方もいる。そして自らの病に怯えるニューカマー。それらの方々との生活はまさに異次元空間だった。そんなことに敏感に思いを馳せてしまえばこちらの神経がおかしくなる。意識を外に向ける必要があった。

そんな中、SNSが自分を助けてくれた。すぐに学生時代の友人の一人が発起人として5~6人のLINEのグループを作ってくれた。卒業してから35年以上か。連絡を頻繁に取り合い時折会っている友も居ればそうでない友もいた。しかし皆かけがえのない友人で、彼らに対して、LINEを通じて、自分の想いを吐き出し、なんらかの返事を得られ励まされることは、とても助けになった。

その中に薗部さんという友人がいた。数年前に病で父親をすでに見送っていた彼女は、改めてお父様と共に見た映画で出会い、自分も好きになったという音楽をいくつか教えてくれた。それは、モノトーンの入院生活を送っているだろう自分には何らかの彩りが必要では、と彼女は考えたのだからだろう。戦時の群馬への疎開経験と背後に迫る米軍機の低空飛行で感じた恐怖感からか、お父様は見知らぬ空への憧れを感じさせる映画がお好きだったという。だから薗部さんが教えてくれた音楽は、空や旅を思い出させるものだった。その中のタイトルの一つに大きく惹かれた。

・・・80日間世界一周

いい曲だな。有名な映画ではあるが、自分は見たことはない。しかしそのテーマ曲は、もちろんとてもよく知っている。有名なメロディだ。思わずネットで探し出して聴いてみる。わざわざ聴きなおすまでもないが、聴いてみる。

80日間で世界を回るというそんな冒険旅行を題材にした映画。主人公は世界旅行の際にいくつもの障壁を超えながらも素晴らしい伴侶を得て80日で無事回りきる。それは、なんというロマンチックな話だろう。心臓まで届く静脈カテーテルを右の二の腕から挿入したまま、こうしてベッドに寝ている自分にとって、絵空事にも思えるし、ああ早く元気になりたいという思いもある。その空間が広がるかのようにやさしい音楽に、何故か目頭が熱くなった。自分も退院して、これまで通り自由に羽ばたける気がする。

そしてまたこの旋律には静かで温かい思い出があった。ずっと昔の、懐かしい山行の記憶だった。

ベッドから起き上がりPCを開き、友人へ感謝の想いを伝えたく、メールを書いた。


* * *

薗部さん、

素敵な音楽を思い出させてくれて、ありがとう。

映画は残念ながら見ていないけど、メロディは有名だから知っているよ。薗部さんにとっても想い出の音楽なんだね。僕もね、この曲については伝えたい素晴らしい思い出があるんだ。

保険のおばさんの話だよ。僕らの時代って、新入社員になると保険会社のセールスレディの狙い撃ちに遭ったよね。何社も保険を売りに来る。そんなセールスレディの中に広田さんという女性がいらした。やや鼻眼鏡気味でね、髪を無造作に束ねていて、日焼け気味の顔にはそばかすが多かった。でもゆっくりとした話し方をする方だった。

広田さんはいくつか商品を紹介するも、僕があまり興味ないと知ると無理に売るのをやめて、まあ興味があったらまたね、と言ってくれた。そのあとしばらくして僕は他社の商品に、どちらかといえばふらふらとつられて契約したよ。少し押しの強くて好みの容姿のセールスレディに惹かれたんだと思う。

どうしても申し訳なく思え、広田さんにそのことを詫びたら、まぁ良い商品だったのならよいではない?と言ってくれたんだよ。

実はその後広田さんとの交流は続いたんだ。というのも、僕が山に凝っていて、色々登っている、と知ったら、「今度山に行きませんか」と少し控えめに誘ってくれたからだよ。それも、残雪期の「雲取山」に。今度主人と共に、知り合いの居る稜線の下の小屋に入るから、一緒に行きましょうという事だった。

雲取山って東京都で一番高い山だよ。海抜も2000m超えていてね。そのピークにはいくつかのコースで何度も登っていたし、今回のルートとなる鴨沢道が比較的容易で危険が少ないことも知っていたので、早春の残雪期ではあったがこちらからも山をお願いしたよ。

奥多摩駅で初めて会った広田さんの山姿は板についたもので、一本絞めのザック、赤い紐でがっちり締め上げた皮の登山靴が似合っていた。そして何よりも横にいらした髭面の旦那さん。黒目がちな目はもじゃもじゃ生えた髭の中に埋まり気味で、そこにはなにか暖炉のような輝きがあったな。旦那様は夏場は北アルプス立山連峰の大日小屋にずっと小屋番で入られるという事だった。その頃にしてもすでにレトロになっていたフレームザックの下段には、箱入り缶ビール。その上部のパックも大きく膨れ上がり、沢山ボッカの品々が詰まっているのに違いなかった。

今晩は稜線よりわずか下のご夫婦なじみの小屋に泊まることはあらかじめ計画として知っていたので、自分は割と軽い装備だった。それも手伝ってか鴨沢道はよくはかどった。小屋についたら広田さんご主人の懇意にされている小屋番さんは、下界に降りていたようだった。

「あぁ残念。素敵な方だから会ってほしかったなぁ。でもまぁここはうちら夫婦には勝手知ったる我が家だから」

そう言われながらガラガラと小屋番の部屋に入って、スルメなども出してきてね、あとは大きなザックから取り出してきた紙パック。そう、焼酎だよ。おき火がとうに消えた薪ストーブの鉄の扉を開けて、ゆっくりと小枝から燃やしていくんだ。そして小屋裏に積まれた薪を重ねる。ゆっくりと部屋が温まってくるよ。片手で持ち上げるのもきつそうな大きなヤカンの口から、湯気が出てくるにはさして時間がかからないんだね。

小屋番の部屋にあった湯呑に焼酎が注がれて、ご夫婦の山の経験談を伺いつつ、酔うんだよね。薪ストーブに火が入るって本当に別世界なんだ。

あれは素敵な午後だったな。時間がゆっくりと流れるね。

するとね、広田さんが、オカリナを取り出して、音楽を奏でだしたんだよ。♪~♪~♪~♪♬♪~♬♪~ とね。

おお、と思っていると、旦那さんがポツリと、当たり前のようにつぶやいたんだ。「お、80日間世界一周か! いいねぇ、80日で世界を回るトライアル、波乱万丈が待ち受ける旅。すばらしいなぁ」。

おもわず泣いてしまったよ。素晴らしいのは貴方たち夫婦だと思ったんだ。酔いと、説明できない感動で、僕はただ嬉しくなり、その場に伸びてしまったよ。

翌朝の雲取山山頂への往復は素晴らしかった。稜線に出ると、まずは大展望だったよ。足が止まったな。冠雪の大菩薩連嶺の奥に富士山がすっきりと立っていてね、朝日を浴びて山が赤いんだよね。柔らかいけど残雪が深くなってきたので確かアイゼンを履いたと思う。広田さんご夫婦だったら不要だと思うけど、山の経験が浅い自分に気を使っていただいたのだと思う。雪面に食い込むアイゼンの歯の鋭さを足の裏で感じるようになった。石尾根最後の急坂を注意深く登っていくと、山頂だった。

そこではただ感動が待っていたよ。初めての山頂でもないのだけど、素晴らしい方々と同行できたということが多分大きかったのだと思う。四周妨げのない展望が、これまでのこの山頂ではかつてなかったような広がりだったな。

下山は往路をたどったと思う。鴨沢集落が近づいたことで先が見えたんだね。広田さんと旦那さんは道をはずしてはしきりに山菜を摘んでいた。フキやタラやワラビだったと思う。ビニール袋にいっぱいになったそれを旦那さんは、人懐っこく破顔しながら渡してくれたんだ。袋はしっかり閉じているにも関わらず、そこからは強烈な春の香りがしたよ。

「これさ、天婦羅にするんだよ。お塩だけかけてね。最高の肴!」

この夫婦との山行はこれで終わったし、その後南アルプスを中心に縦走を行っていった僕にはなかなか北アルプスの山に至る順番が回ってこなかった。ご主人が小屋番で入るという大日小屋も気になっていたが機会はなかった。広田さんからはその後年金保険の商品を紹介いただき、それに入った。まだバブルのころだよ。保険料率はいまでは信じられないもので、掛け金総額が満期には1.5倍近くになって戻ってくる商品だった。満期まであと数年あるよ。


山を始めたごく初期に、今の僕の大切な山仲間たちと知り合うそれ以前に、こんな出会いがあったことは忘れられないんだ。あのご夫婦と山を共にして、小屋で聞いたオカリナ。だから「80日間世界一周」を聞くと今でもすぐにあの山に戻れるし、時には懐かしさで涙も出る。あのご夫婦に会わなかったらここまで山を続けていなかったかもしれない。

あのご夫婦は今、何をされているのかな。しかし確実に言えることはもうあれから30年近い年月が経ったことだよ。

今でも奥多摩辺りの山に登ると、ふと、あの折り目正しいカーキ色の登山パンツとしっかりと紐を締めた皮登山靴をはいた彼女にばったり出会う気もするし、その横にはもっと年を召され皺で更にもみくちゃになったあの旦那さんがいるようにも思う。

すべては幻想や願いであり、現実は今はわからないけれど・・・。

ただ、僕はお礼が言いたいのです。深くお辞儀がしたいのです。あの素敵なご夫婦と、そして、そんな山を思い出させてくれた素敵な音楽、そしてそれを伝えてくれた薗部さんにね。

・・・僕の治療はまだまだかかるし、外科手術の痕も痛い。毎日の薬剤点滴も、きついよ。ベッドから起き上がるとふらつくし、足に力は入らないね。根治出来ないかもしれない、その恐れは常にあるし。

もう山は歩けないな。山スキーなんて、とうにできないな。百名山も、もう打ち止めだな。 ひどく弱気になってしまう日々だったよ。

でも音楽を聴いて昔の山を思い出して、何か希望が持てた。焦る必要もないし、根治はできるよ。

本当に、ありがとう。感謝の言葉は、これ以上浮かばないよ。僕が無事に退院したら、あの頃の素敵な仲間で、また会おう。やることが沢山あるよね。

ありがとう。

* * * *

PCのリターンキーを押した。きちんと届くだろうか。

自分の結婚式とその二次会以来、もう30年も会っていない薗部さんの、笑うと目が扇のようになる、柔らかな笑顔が目が浮かんだ。

少し軽くなった気持ちで、病室を出て談話室へ行ってみる。点滴台に頼って歩くのも、だいぶ慣れた。談話室ではいつもの丹沢が待っていてくれた。西日を背景にした稜線が、その懐かしいスカイラインをくっきりと浮かび上がらせていた。あの稜線の奥に、コンディション次第では北岳が雄渾に立ち、その奥には甲斐駒が金字塔のように居る事も、僕は知っている。

スマホでもう一度「80日間世界一周」を聞いてみる。心はゆっくり解放され、気持ちはふわりと浮かび上がる。

家族の待つ家に帰るのだ。そして友に会うのだ。旅に出るのだ。そしていつか、山旅に出るのだ。

少し軽くなった心には、いつもの病室への道のりは、やや短く感じられた。

 

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(本稿は同人誌「山岳移動通信・山と無線58号」(2020年10月1日発刊)からの転載です。)