日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ちょっと好い風景

自分がバイクに乗っていた期間は18歳から25年間程度だろうか。乗り始めの数年は250ccの2気筒アメリカンバイクだったが後は一貫して200~250ccの単気筒のオフロードバイクだった。

欧州に転勤する前に、海外赴任が何年に及ぶかもわからなかったため手持ちの230cc単気筒バイクを売却した。それが最後だった。泣く泣くと言えばよいが、実はその数年前からバイクの持つ速度感に自分の判断能力が追い付かないという自覚があった。バイクを辞めたのは潮時だった。

いまでも未練ありありだ。家のすぐ下の国道には中古バイクのチェーン店がある。散歩の途中で立ち止まらざるを得ない。店内に一歩足を入れるなら、魅力的な匂いに包まれるのだ。タイヤの匂い?メカ調整の油の匂い?試運転の排気ガス? すべてが混然となった匂いに、自分はいつも頭の中が遠くに行ってしまう錯覚を覚えるのだった。これでキックを踏ませてもらってエンジンが唸るのなら、もう契約書にサインするのも時間の問題だろう。そうはいかない。だから跨らないし、セルボタンも押さない。

自分で乗れそうなバイクをしげしげと眺めパンフレットを持ち替えると、すぐに家内が飛んできた。「もうバイクは止めたんでしょ。危険なんだから、だめだよ」

畜生、という想いと、仰る通りです、という想いが交錯する。まったくこれだから女性は仕方ないな。と思うしかない。

旅先で素敵な風景を見た。二名でのツーリングの途中で、揃って道の駅で休憩を取っているのだった。一台はヤマハSR400。そしてもう一台はカワサキW650。いずれも素敵なバイクだった。とくにビッグシングルの好きな自分はSRに釘付けだ。

見とれていると二台のオーナーと自然に会話が生まれてた。彼らは親子で、地元在住。ともに休みが取れたので、諏訪湖辺りまでゆっくり走る、という話だった。親父さんのW650はキック一発でエンジンがかかったが息子さんのSRはケッチンを食らっていた。電子制御になる前のキャブ搭載の最終形だと言われていた。

SOHC2気筒のすばらしいエンジン音に、ようやく息子さんの渾身のキックでSOHCビッグシングルの目が覚めた。まるで、1000馬力級の栄エンジンと2000馬力級の誉エンジンが同時に動き出したような気がして、身の毛がよだった。言い換えれば隼・ゼロ戦紫電改が同時にエンジンを始動したかのようだ。道の駅一帯の森が振動し、呼応するように咆哮する。自分の膀胱も負けじと、失禁寸前だった。

親父息子の二人で、レトロなバイクで旅をしていく。これは映画にもなりそうな「ちょっと好い風景」だった。女性にはわかるまい。とほくそ笑むが、もう自分には彼らを乗りこなす自信もないし、人力でこぐ2輪車が楽しくて仕方ないのだから、遠い眼で眺めるだけだった。

センスがあればちょっとしたロードムービー辺りが撮れそうだった。むろん自分は去っていた彼らが残した排気音の匂いを嗅ぐだけで充分だった。原始的な4ストエンジンは本当に良い燃焼臭がするな。音、匂い、振動。三位一体の素晴らしい世界。これだからいつの日かまたふらふらと中古車屋に行き、懐かしいガレージの匂いを嗅いでしまったら、自分に何が起こるかは分からない。その際は申し訳ないが奥さんには、内緒だろう。

父と息子の二人旅。二人の素敵な呼吸感と2台のバイクの作る排気音は「ちょっと好い風景」だった。いつまでも放たれる危険な香りだ。

 

イワシの開きを蒲焼風に

「今日の夕食はどうしようか?」 まとめ買いもせずに効率は悪いかもしれないが、妻とそんな会話をしながら近所のスーパーを歩くのは楽しい。これが無いと一日が終わる気がしない。やる気まんまんでスーパーに出かけると、思いのほか安上がりな出来合いの品があったら、それに頼ってしまう。子供達も巣立ちシニアな自分たち二人の栄養補給だけを考えればよいのだから気は楽だ。

自分はマグロには一切の関心がないが、貝と白身、そして近海光物には弱い。今日のスーパーには、房総産のイワシの開きが特価で8尾150円だった。ピカピカ光っていた。これにやられた。タイムセールの格安だ。舘山の水揚げか、鴨川の水揚げか、そこまでは書いていない。銚子かもしれない。しかしそのいずれにせよ、自分の知っている街だった。美味しいに違いない。

魚料理の路線で方向が決まった。もう一皿メインが欲しい。結局これも特価のカツオのたたきになった。水揚港の情報は書かれていなかったが、勝手に焼津と想像した。おいしそうだから別にどこでも良いのだ

イワシの開きは先日来数度に及び、マヨネーズとパン粉和えのグリルを作って食べてきた。これも安くて鮮度の良い小田原水揚げのイワシがあったからだが、今日のイワシもこの料理法?と思うと違うものを探したくなった。この料理法はしっかり身についたので、もう大丈夫。他を作ろう。

ありがたい話で、ネットでググると沢山のレシピが出てきた。妻は「蒲焼っぽいのが食べたいな」という。主君の命令は絶対だ。それらしいレシピに従った。

カツオのタタキもあったので、今日はイワシは2尾のみとした。何事も最初のケースは「小さく始める」。これは病後の自分が従っている教えだ。大掛かりにやらずに小さくトライ。成功したら次回にスケールアップ。その方法論はなかなか気に入っている。

ネットのレシピ通りに作って、妻の合格点を得た。自分はただ嬉しくて、ハイボールが進んだ。

次回は四枚焼いてみるか。2枚は今日のレシピで、残り2枚はカレー粉とターメリックあたりふってみたらどうだろう。酔った頭の中で夢想は拡大し、早くも明日の夕食は決まってしまった。加えて今日は半額札の良いカボチャが手に入ったので、明日は副菜としてレンコンとゴボウとコンニャクを併せて煮物にしてみよう。

明日が待ち遠しくて、仕方ない。まったく何の憂いもない能天気なオヤジだ。これでいいのか、と時々思っている。

 

イワシのかば焼き風レシピ

イワシの開き
・塩とうま味調味料を一つまみ振って少し置いてから熱湯を回すこと2回(これが重要と言うこと)
・水分をふき取り小麦粉にまぶしてフライパンで焼く
・醤油・みりん・砂糖・酒で造ったタレで煮詰める

これだけだが、これもまた再現性の高いレシピだった。今夜も又、苦労してレシピを考案された方の結果だけを頂い事になる。このご恩はいずれ。お世話になったサイトはこちら。https://oceans-nadia.com/user/236306/recipe/386414

立派なイワシの開きも焼いてしまえば小さくなる。別の言い方をすれば、きっとそれは旨味が濃縮されたのだろう。そう思うとありがたい。蒲焼風はとてもいけた。これは本来はたれを多めにしてご飯に載せるものだろう。次回は、それだ。

 

「ありがとう」という名刺

小田急線のとある駅にて。一日の登山を予定通り終えて、綿の様に疲れ果てて駅のベンチに座っていた。改札の前には小田急系列のスーパーマーケットがあり、そこで500㏄ロング缶のみを仕入れて、ごくりと三口。陶然としていた。今日の山は絞られた。自分の限界を確認しようとして臨んだ山だったが、嫌になるほど限界が分かった。正直これ以上動きたくもなかった。明日から数日間の「筋肉痛」も見えていた。

ともあれ狙った行程はなんとかこなして、下山してきた。あとは電車に揺られるだけだ。しかし、忘れてはいけない「締め」が残っていた。それがロング缶だった。これだけのために辛い下山路に耐えられたといっても良かった。おつまみなど不要で、ただ飲み干せればよい。

改札前のベンチに座り、呆けたようにビールを飲んでいたら、傍らに落し物(忘れ物)があるのに気づいた。それは女性用の「登山用の帽子」だった。きちんと顎紐もつけて、小さなリボンまでも巻いてあり、所有者の愛情が感じられた。

「ああ、これを失くしたら、寂しい、いや、がっかりだよな。」

周りを見渡したが、先ほどまで隣に座っていたのはゴム草履をはいた地元在住の中国人カップルだけだった。彼らもいなくなり、ぽつんと登山帽子だけが残っていた。

似たようなことがあった。岩手の八幡平で、下山してから用を足した観光センターのトイレに、自分も同じく登山帽子を忘れた。それに気づいて観光センターに電話したのは翌日だった。職員さんは憶えていてくれて、それを、管轄の市役所に渡したという事だった。そして市役所に連絡をして、無事に消息を確認した。それから一週間もしないうちに、登山帽は自宅に戻ってきた。お礼の葉書を役場に送った。以来、岩手は自分にとって大切な場所となった。そしてその帽子も大切に、ツバの裏に住所氏名連絡先をペンで書いた。これでもう迷子にはなるまいと。

限りなく奇跡に近い出来頃だったが、そんなことが、この帽子のオーナーさんに起これば、という想いがあり、直ぐに帰りの電車に乗るのが躊躇われた。結局帽子を持って、一番安全であると思える、駅員さんに預けた。

「ちょっと待ってください」

と駅員さんは言われた。氏名でも聴かれるのかと思ったら、小さな名刺をくれた。それは名刺ではなく「ありがとう」と書かれた名刺サイズのカードだった。

「お客様のご厚意に感謝します。このカードはお忘れ物をお届けいただけたましたこと、ご協力いただけましたことへの、感謝の気持ちをお伝えするものです。小田急

と書かれていた。

いかにもオーナーに大切にされていたであろうあの登山帽。オーナーはたぶん自分と同じ年齢位の女性だろうか。丁寧にリボン迄巻いていたのだから、お気に入りだったのだるう。僅かの別離の後に、またオーナーと帽子は再会していることを信じて疑わなかった。

善意が機能している社会は素晴らしい。登山では絞られてよろよろになったが、酔いも手伝ってか少しだけ良い気分になり、揺れる車内の人となった。

 

PS:善意の社会については、以前も記事あり。https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/06/26/231848

「ちょっと待ってください」と駅員さんは言い、この名刺大のカードを渡してくれた。

小田急線の駅にて。駅前スーパーで入手した500㏄缶で呆けたように伸びてしまった。「ああ美味しい。この時の為だけに山に登ったのだな」などど独り言。傍らにあった帽子に気づいたのは少し経ってからだった。



 

老舗の看板

老舗は世に沢山ある。江戸の下町辺りに行けば、ウナギ屋、蕎麦屋、ドジョウ鍋屋、天婦羅屋、寿司屋、お煎餅屋、団子屋…。それぞれを探訪しつつそぞろ歩けば数日は必要だろうし、財布も軽くなるだろう。

さてそんな老舗がずっと大切にしている物は何だろう。味は当然の話だが、外見の話だ。創業当時の秘伝のたれ? のれん? 幸いに空襲で焼けていないのならそうだろう。あとは「看板」だろうか。古びたお店の看板を今でも大切に掲げている店があれば、その時点で味の良さは保証されたもののように思える。

自分も参加させて頂いている山岳会、あるいはアマチュア無線の移動運用の会も、その世界では「老舗」と言えるだろう。一体その世界とは何なのか、アマチュア無線に興味がない人はピンとこないと思う。周波数帯にもよるがアマチュア無線は一般に標高の高い所で運用すると電波の飛びも良くなる。アンテナが高い所にあるのと同じ理屈だ。またアマチュア無線は中継局を必要としないので谷筋を除くと基本不感地帯はない。携帯の電波が届かなくとも、交信ができる。アマチュア無線家人口は意外に多く、多くの場合で応答が期待できる。非常通信で下界と交信できる可能背が携帯電話よりはるかに高いのだ。その意味で山登りとアマチュア無線は趣味としての融合度が高い。アマチュア無線が好きだから山に登る人も入れば、山登りをしていて非常通信手段として始めたアマチュア無線で、その楽しさに気づく人もいる。「登山をする無線家」か、「無線をする登山家」か。

そんな仲間がいつか集まり、同好会の様なものが出来た。もう35年以上も前の話だろう。やがて自分もそれに参加させて頂いた。同好会の主な活動はメンバーの投稿で成立する「同人誌」の発行。皆さん自分自身の山行記録や山でのアマチュア無線運用の記録をしたため、それが会報として本になっていた。会報初号が1986年、2022年時点での最新版は59号。36年間の間で59冊発行したことになる。編集長は4人関わり自分は42号から57号まで15年間の間、三代目の編集長として15冊の会報をまとめた。病でこれ以上は続けれないとして、篤志の方にその座を担って頂いたのは昨年の話だ。

そんな会の集いは、日本アマチュア無線連盟による年一回の展示会に集約される。展示会ではアマチュア無線機器メーカに加えこの手の同好会のブースが沢山出展される。全ての展示会の歴史は知らないが、グループとして少なくとも20年いや25年は出展し、登山と無線運用の楽しさを、新しい遊び方のアピールをしていた。その意味で「老舗」と書いた。そんな展示会でのブースに掲げる木製の「看板」があった。これは、二代目編集長の頃に展示会のブース運営をされていた方の、力作だった。

厚さ20ミリ程度の合板に、見事な筆跡で書かれている。「山岳移動通信・山と無線」と。それはまさに会報である同人誌のタイトルそのものだった。作成者は器用な方でなんでも高い完成度でDIYしてしまう人だった。デカくて重いけど、完成度の高い看板、だった。

毎年この看板を保管する人も大変だった。何よりも立派で重い。住んでいる地から都内国際展示場に運ぶのも一苦労だった。また、展示場のレイアウト様式も変わり、今年からはあまり重いものを壁に掛けることが出来なくなった。

そんなことで、来年に向けて看板を小さくすることにした。色々な意見があった。看板をコピーしてもっと小さくて軽い板に貼る。板ではなくて発泡スチロールに貼る、看板を小さく薄くする。いずれにせよ小型軽量化に向けての検討だった。

最も気になったのは、製作者さんの意向だった。入魂の一作だ。幸いに事情を説明すると、看板を細工してもいいよ、という快諾を得た。

こうして「老舗の看板」は、リフレッシュされることになった。通常木材カットは素材を購入した店でないとやってくれない。パネルをうまく水平や直角を出してカットするのは至難の業だ。パネルソーという大掛かりな切断装置が必要となる。なんとか持ち込み素材をカットさせてくれ工房を見つけて、これから看板を管理していただける方と共に持ち込んだ。

木工加工室は、中学高校の技術家庭の教室以降だろうか。ボール盤、グラインダー、ジグソー…。名前もわからぬ沢山の器具に満ち溢れた部屋に足を踏み入れたら、胸が躍った。部屋を満たすおがくずの匂いも懐かしい。「大好き」だったのだ、この手の工作が。

パネルソーはあっという間に看板を小さくカットしてくれた。4回歯を入れただけでサイズ・容積ともに約半分となった。

「老舗の看板」も守れた。看板製作者さんも喜んでくれた。自分達も久々の木工加工室に胸が躍った。二人で指差喚呼しつつ巨大な鋸のオペレーションボタンを押すのも楽しかった。あとはこれを家に持ち帰り、クリアラッカーを上から吹くだけだ。

まとめてしまえば「持ち込んだ板材を工房でカットした」だけになってしまう。しかしそこに至るまで、看板をどうすればよいのか、製作者さんの意向も確認必要だ、どこで持ちこみ材の加工が出来るのか、には仲間内では長い時間をかけた。結局、携わったメンバーは、皆この看板が好きなのだ、と知った。

看板が好きなのか、その集いが好きなのか。たぶん同義だろう。これでだれもが看板を喜んで保管してくれて、年に一度の出番を待つことだろう。10年以上自分の手元に居た看板も、離れてしまうと思うと少し寂しい。

また来年の夏だ、身軽になった看板が「老舗」の同好会のブースを飾るのは。再会を楽しみにしておこう。

追記:今回の工作でお世話になった工房(中原工房@川崎市中原区)。持ち込み材料は一般にホームセンターでは加工できない。その意味でとても貴重な存在ではないか。
https://nakahara-koubou.com/

パネルソーは巨大な鋸。板をしっかり押さえつけ、歯は人には触れない。比較的安全な工作機械と言えそうだ。

製作者の入魂の一作。大きくて重く持ち運びも大変だっだが、同時に何十年も使われ木材の劣化もあった。

パネルソーで四辺をカット。サイズ・容積は約半分となった。

様々な工具が並び、おがくずの匂いが充満する部屋は、まさに「夢空間」だった。





短くしてよかった

「髪は長い友」そんなコピーと共に「髪」という漢字の右上の三本が順に消えていく。そんなテレビコマーシャルがあったと記憶している。もう20年も昔の話かもしれない。「叩いて生やす」、頭皮に刺激を与え血行を改善する、大御所俳優を使ったそんなCMもあっただろう。

すべては髪の毛の話。髪の毛が薄くなってきたら、その前に手を打とう。という事だろう。事後もある。一本を三本に、貴重な一本に複数の人口頭髪を結び付けていく。錬金術ではない。無い袖は振れないのだから、何を迷う必要があるのだろう、と思う。

そんなことも自分には沢山髪の毛があったからで、減ってくる髪の毛に悩む人の気持ちは分からなかった。しかし50歳を超えてから、いつしか自分の頭頂部も寂しくなってきた。父親は白髪になるタイプではなく、密度が減るタイプだった。親子だけある、自分もそれを受け継いだ。

最近のエレベータは防犯の為に室内カメラが設置され、そのモニターがエレベータ内で映される。愕然とした。左上部からの撮影映像。頭頂部にあったはずの髪の毛が、なかった。クレーターのように丸くなっていた。しかしそれでも見ないふりをして、それなりに目立たないような髪型をしていた。

病になり脳外科手術から覚醒したら右側頭部は剃毛されていた。ツーブロックと言えば聞こえはいいが、単に右側の毛がなかった。それからは化学治療と知り、家内に頼んで愛犬用のバリカンを持ってきてもらった。病院シャワー室で3ミリアタッチをつけたバリカンで自ら頭を丸くしてしまった。どうせなくなるだろうし、無い事に気づくよりも初めからないほうが気楽だ。

決定的に変わったのは放射線治療だった。治療のために全脳に放射線を浴びせる事13回。7回あたりから抜け毛を知った。わずかに残っていた髪の毛はそれでも黒々としていた。しかし抗ガン剤でも抜けなかった残留軍は放射線の前にはイチコロだった。二晩か三晩で、あたまはつるつるになった。お坊さんかお地蔵様の様だった。随分と生臭坊主だった。

それは数か月で戻ったが、もう髪の毛を伸ばす気もしなかった。さっぱりとして、気楽だったのだ。

「3㎜で上までバリカン。あとは頂上を1から1.5㎝カット。必要あれば「すいて」下さい」。

これがその後の床屋さんへの注文内容となった。

髪の毛を短くして気づいたことがある。「気を使わなくて済む」。寝ぐせ、朝のドライヤー。一切気遣い不要だ。スポーツで汗をかいたなら、水道の水を直接浴びせればよい。頭を二、三回振れば、乾いてしまう。とにかく楽で、好きになった。両親から頂いた出来の悪い顔だ。今更なにをどうしようと美男子になる事もない。野菜は変な味付けをせずに塩でも振るだけで素材の味を楽しめばよい。自分の顔も、そうだろう。何もしないのが、一番気楽だ。

しいて悪い事と言えば、太陽光をダイレクトに感じる。雨が降ったらタイムラグなく地肌が濡れる。寒気が肌を刺す。熱くて寒い。あたりまえだ。帽子が手放せなくなった。

先日床屋で、いつもの注文をした。バリカンで一気に刈って揃えるだけだから15分だ。ふと頭に浮かんで理髪師さんに聞いてみた。

「最近自分達の世代でもバーコードのオジサンって減りましたよね」
「言われてみれば、そうですね」
「あの人たちはどうやって注文するんですか? バーコードカットしてください?ですか」
「いえ、今のまま短くしてください、とか、残っていたら反対側に持って行って、とか言われますよ」
「なんで減ったのでしょうかね?」
「最近は髪の毛が少ない人は刈ってしまう。それも一般的になったからでしょうかね」

好い事だと思う。オジサンの髪の毛など所詮なくなってしまうのだから、早めに薄毛になったなら、そのまま行くのもあるだろう。生物は自然の摂理に逆らえないのだからあるがままを受容するしかない。現実に変に執着するから、一本が三本になったり、AGAのクリニックが流行ったり。もちろん経済活動を回すためには否定もしない。お金を掛けられればそれは自由だろう。

欧州や米国。西洋人は「薄毛天国」だ。20代30代の男性でも髪の毛が減ってきたら短くカットしてしまう。また、良く言われることは、女性はわきの下の毛も気にしないという。確かにドイツやフランスでの生活で目にする光景としては、その通りだった。一方で増毛と永久脱毛でそれなりの市場を持っているのだから、全く日本は、不思議な国だと思う。

面倒臭い「呪文」から逃れることが出来て、とてもよかった。何故30歳代からそうしなかったのか、今ならそう思う。今回は「必要あればすいて下さい」と言ったにもかかわらず、「すきバサミ」の登場はなかった。それすら「必要ない」ということだろう。少しがっかりした。

簡単なカットだから、自分でも出来そうだ。しかし、節約も兼ねて床屋は減らしいずれは妻にカットしてもらおうと思っている。トラガリになろうと気にもならないし、なによりも出来上がったこの枝豆のような頭を見て、笑ってもらうネタにでもなれば、それも楽しそうだから。

床屋を終えてすっきりした頭を見て、手のひらでポンポンと叩いた。手の動きをダイレクトに感じ、頭は鼓の様に乾いた音色で鳴った。OK、感度万全。これでしばらくはのんびりとゆったりとのほほんと過ごせるな。

短くして良かった。

お地蔵様の様に毛がなくなると、気楽だ。のんびりゆったりと過ごせばよいのだから。

 

三年後の約束 曽根麻矢子バッハ演奏会・フランス組曲

無数にあるバッハの鍵盤曲。オルガン曲は荘厳すぎて入りづらいかもしれない。今ではピアノでも演奏されることが多いチェンバロ向けの曲は身構えずに聞くことができる。中でも聴きやすいのは「フランス組曲」ではないか。

組曲というのは小さな舞曲が6から8曲程度集合しているからで、それで一つの作品になる。それが全6曲。アルマンドサラバンドジーク、ブーレ、クーラントメヌエット、ガヴォットといった拍子の異なる舞曲は、いずれもが魅力的だ。第5番のガヴォットはとても有名で.ピアノを弾き始めた子供の課題曲にもあがるほどだ。

同様なコンセプトの「イギリス組曲」や「パルティータ」よりも規模が小さくより素朴なのが魅力なのだろう。

そんな全6曲の演奏会に娘とでかけた。小学生の頃にピアノを始めた娘の発表会での課題もまた5番のガヴォットだった。自分が音楽に目覚めたのもまたこの曲だった。

チェンバロ奏者曽根麻矢子さんの演奏会は二回目。前回演奏会はちょうど半年前で「イギリス組曲」から2番3番6番という演目だった。聴き応えがあり陶酔した。今度は「フランス組曲」全6曲を一晩でやる、という傍目にも意欲的なプログラム。フランス組曲はCDでは二枚組になる。6曲で120分はかかるだろう。演者の気合が感じられた。

短調の前半3曲と長調の後半3曲。前半後に休憩をはさんだ濃密な2時間はあっという間だった。

娘は5番と6番がことのほか好きという。明瞭で楽しくなる曲だ。自分も後半3曲のほうにより魅力を感じる。しかし全6曲が緻密に作られた小宇宙であることには変わりなかった。素朴で魅力的な舞曲でも対位旋律は有機的に絡み、立体を形作っていく。いつもどおりに「やられる」だけだ。

18世紀の頃の宮廷。重たそうなドレスを着て優雅に踊るご婦人が頭に浮かぶ。聞こえてくる魅力的な旋律に頭の中の世界がゆっくりと回っていく。

気づいたら演奏会は終わっていた。カーテン・コールも止まなかった。

演奏者ご自身で書かれた演奏会冊子にこう書かれている。「フランス組曲にはバッハの決定稿もなく弟子たちの残した音符からしっくりするものを選ぶ。又音の密度も少ない分装飾も入れる余地があり、奏者にとって自由度がある」。事実CDで聞き慣れていた演奏とはテンポも装飾音も耳に新しいところがあり、曽根さんのルバートやトリルも心地よかった。

今後彼女のチェンバロによるバッハ演奏会は、このあとも続く。次回はパルティータ、そして平均律下巻、インベンションとシンフォニア、イタリア協奏曲…。この一連の取り組みの最終回は三年後で、演目は「ゴルドベルク変奏曲」、となっている。最後に随分と大きな曲を持ってきていると思う。

主だったバッハの鍵盤曲を何年もかけてすべて演奏していく。プロの奏者にしてもなにかの使命感がなければとても続ける事も出来ないような取り組みではないか。自分にはまるでサグラダ・ファミリアを作るような取り組みのように思える。

すべてを聴きたいがそうもいかない。しかし最終回の魅力的な音の綾は是非聞きたい。バッハが不眠に悩む伯爵のために作曲したという変奏曲。32回の変奏という音の旅を経て最後に主題に戻るとき、誰もが幸福を感じるだろう。

その演奏会はこれから三年後。まだチケット販売もされていない。三年後のカレンダーも自分は持っていない。しかしそれを覚えていて、確実に聴こうと思っている。意味することは、三年後の約束。その時点も自分が健康で、無事であるという事だ。逃げを打つようだが、先のことまで決めてしまえば、中途退出もできなくなる。それは自分にはとても魅力的な「縛り」に違いない。

三年後の約束は決して破ることはできない。

娘と共に演奏会の名残の興奮を語りながらホールを出た。会場そばの代々木公園は、いつしか鈴虫の鳴く闇となっていた。

代々木・白寿ホールにての演奏会。八が岳高原音楽堂の落葉松のチェンバロとはまた異なった、古雅な響きが魅力的だった。

3年後まで続く長い音楽の旅。終演は聞き逃さないようにしたい。

動画サイトリンク

フランス組曲(5番)の動画サイト。ピアノの名演が多い(グレン・グールドアンドラーシュ・シフなど)が、チェンバロから。
https://www.youtube.com/watch?v=lG8v_BA0Hhs
・ピアノはシフで。https://www.youtube.com/watch?v=f_U0lm6HZMk

顔の見える食材は嬉しい

スーパーでもよく見かける。「このホウレン草は○○市の△△さんの手作り野菜です」。値段は少し高めでも、安心して手を出せる。その袋に、オジサンなりオバサンのイラストが描かれてたら、イチコロだ。わずかこれだけの努力でその袋を選ぶのだから、なかなか効果があると言える。

なぜだろう。見も知らぬ人の名前とイラスト。しかし安心するのだ。「ああ、このオジサン、オバサンが丹精込めて作ってくれたんだな」。この気持ちは消費者には嬉しいし、実際にその味は期待を裏切らない。

先日高原に住む友人から、ご自宅の庭でとれたという沢山のイタリアントマトとピーマンを頂いた。また、伊豆に住む友人は時折自宅の畑でとれたジャガイモやサツマイモ、玉ねぎを送ってくれる。いずれも最高の食材だ。なにせ、どちらの友人もご夫婦単位でよく知っている。それぞれのご夫婦が大地に向かい、丹精込めて作っている野菜。ご夫婦の野菜作りの姿は容易に想像に着く。自分はその結果だけを頂いてしまい、いつも申し訳なく思っている。しかし実際のところ、とても美味しい。「申し訳ない」は口だけで、楽しみだし、ありがたく頂戴するだけだ。食べていると、それぞれのご夫婦の顔が浮かぶ。これ以上の食材は、ない。

今晩の夕食は何にするかな。妻とスーパーを歩く。するとピカピカ光る食材に目が釘付けとなった。「近海イワシの開き。(小田原産)」とある。ああ、やられた。これに決まり。

もちろん小田原の漁師さんに知り合いはいない。しかし小田原産とあれば間違うことなくそれは「早川漁港」を意味するだろう。ここの漁師飯は美味い。「近海ヒカリモノ」とくれば神奈川ではまずはココだろう、そう勝手に思っている。大磯や鎌倉・腰越、葉山もあるが、それなりの規模で漁協レストランもある早川は集客力も高いのだろう、この港には何かと理由をつけて出かけてきた。

小田原(早川)のイワシ…。日焼けした漁師さんが今朝にでも一生懸命水揚げしたに違いない。イワシの開きは皮がピカピカ光り、身は赤く脂も載っている。それが自宅近所のスーパーにある。漁師さんの顔は知らないが、早川漁港の風景が頭の中を満たした。

顔の見える食材は、嬉しい。あれよという間に買った小田原のイワシ。伊豆の友人から頂いた食材は美味しく食べてしまった。高原の友人から頂いたイタリアントマトとピーマンはこれが最後だ。そしてスーパーには栃木産の茄子があった。ぶどう、とちおとめ、とうもろこしと何でも農産物の美味しい栃木は、もちろん茄子も美味しい。栃木の友の顔が浮かんだ。あの友が生まれた街の茄子なら、間違えない。

全ての食材に顔が見えた。素材の味を生かすように、余り味をつけないで夕食としていただいた。勿論、すべてがとても美味しかった。顔の見える食材は、安心をもたらしてくれる。

今日は少し嬉しい事が個人的にあり、すこし酔いたかったのでビールはクラフトのエールにした。その風味に酔った。

顔の見える食材の食事の嬉しさと美味しさを形容する術を、自分は知らない。あるのは感謝と喜びだけだ。

ビールは進んで飲み干した。簡単に開けるワインも前日にまでに飲み切ってしまった。仕方なく焼酎をソーダで割った。顔が見える食材は、それぞれの製造者とお話をする気持ちになる。高原であり小田原漁港であり北関東であり。こちらも頭のスイッチを入れ替えるのが大変だ。しかし、それはもちろん「楽しい悩み」だ。

(料理)
イワシのマヨネーズ・パン粉焼き :ネットレシピで見つけた簡易な料理法。しかし、美味しい。イワシの開きに塩コショウしてマヨネーズとパン粉を付けてフライパンで焼くだけ。( https://recipe.rakuten.co.jp/recipe/1370012095/ )
・付け合わせの野菜:「顔の見える」イタリアントマト、ピーマン、茄子をフライパンで焼く。僅かの油。味付けは塩・胡椒のみ。素材の味がストレートに攻めてくる。
・ぬか漬け: こちらは家内の手製。今日は昨夜仕込んだ茄子、胡瓜、そしてセロリ。
・サラダ;千切りキャベツに塩昆布。ごま油を少しだけ。究極のお手抜き

素材で顔がわかる。これ以上美味しく嬉しいことはない。

料理は相変わらず乱雑で下手くそ。しかし素材がお手伝い。酒も進み美味しく食べられた。