日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

チコちゃんは喜んでいる

怒っていないのです。チコちゃん。

本を読もうと近所の公民館にある図書室へ。懐かしいポプラ社の「怪人二十面相シリーズ」の蔵書もあります。明智小五郎と小林少年の活躍は子供の頃は夢中でした。今となっては老化が進み脳レベルが子供に戻りつつある自分にはなかなかピタリ合う、懐かしい本です。

一冊読み終え、「子供をたぶらかせて怖がらせる、二十面相はなんと怪しからん奴だ」、と呟きながらふと他の部屋を覗きます。と、独りのオバアサマがなにか赤いフェルト生地を切って縫ってと、工作中です。おお、何やってるんだろう・・・。人形劇の衣装か、いや、人間サイズにしては小さいな。それに作っている2枚とも、同じデザインの生地ですが・・・。

「これね、チコちゃんの衣装よ! 表と裏をそれぞれ作ってるのよ。同じデザイン」・・おお、なるほど。
「チコちゃんの顔はこちらよ」

それは新聞紙を丸めて上手く球体に立体化させた「チコちゃん」でした。可愛く笑っています。

「怒ってないんですね!」
「いや、それは裏側です」

成程その球体を180度回すと、チコちゃんは湯気が出るほど大激怒。「ボーっと生きてんじゃねぇよ」と怒ってます。

そうか、ちょっとした人形劇なのですね。

寸劇は明日なのか、時間がなく公民館を出てしまいましたが、さて司会者さんからどんな質問が出されるのか、怒られる相手は子供なのか大人なのか、気になるところです。

しかし常に表面をこちらに向けている目の前のチコちゃんは嬉しそうです。そりゃそうでしょう、はるばる渋谷のNHKから出張ですからね。明日は前後同じデザインの洋服が顔の下について、回答者さんのその答えの内容に応じて、180度向きを変えて怒るのでしょう! それも楽しそうだな。

そんなエンターテイメントに向けて準備の余念がないオバアサマ。昔取った杵柄ですか、手際良くもう洋服も完成ですね。素晴らしい準備ありがとう。

永遠の五歳児、チコちゃんは喜んでいますよ。ここまで綺麗に準備してくれて。そして明日、たくさん「叱る」準備は万端のようです。頑張れー、明日!

(2021年1月15日・記)

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洋裁のプロのオバアサマにより素敵な赤いお洋服も出来上がりつつ。チコちゃん、怒る準備も出来上がってますが、まずはご機嫌良いようで、嬉しい限り。明日ですよ、沢山叱ってくださいね。

嬉しい故郷の富士

何気なく見ていたテレビ。

テレビのCMにも流行り廃りはあるようです。昔はよくありましたが今は殆ど消滅したかに思えるのは日本メーカーによる家電製品のCMでしょうか。一方、一昔前は見なかったけど今は盛んなCMもあります。例えば各種の過払い請求の法律事務所、ヘッドハンティングや再就職の支援サイト、手頃なお葬式の案内、年齢制限なく入れる死亡保険金、アイドルを惜しげもなく使うゲームサイト・・。日本の産業構造や人口構成の変化、時代の移り変わり、社会のニーズの隆盛、ネットの普及・・・。こんな環境の変化の影響もあるのでしょう。テレビは世相を反映します。

とある転職支援サイトCMの背景に映っていた山に目が釘付けになりました。いや、釘付けどころか、胸いっぱいになります。

それは故郷の山でした。「讃岐富士」(飯野山)。

ため池と小さな山が散在する讃岐平野でひときわこんもりと盛り上がる、讃岐人の「おらが富士」。海抜422mは低山の部類ですが、瀬戸内海から見ても良くわかる海の近くの立派な富士です。自分にとってもそれは原風景。生まれ故郷の香川で過ごした時間は短いですが、夏休みになり母親と共に帰省するたびに、それは「待ってたよ、今年も遊びに来たね」と優しく迎えてくれるランドマークでした。何につけてもスローで温かみのある讃岐の言葉。これに穏やかな瀬戸内海の眺めと、いりこの出汁が香りコシのあるうどんさえあれば、私はいつでも香川に戻れます。

子供のころから数えられない程目にしていた讃岐富士ですが、登山は数年前でした。しまなみ海道をサイクリングしてから今治から香川に抜けて、登山でした。先祖の墓もあり親戚もいる香川。言葉も空気も匂いもゆっくりと流れます。すべてが自分の体の一部分。

ある意味満を持して登った讃岐富士。開聞岳のようにぐるりと鉢巻を回るようにして山頂に立ちました。成人から30年以上経ち、これでようやく自分も「讃岐人」として元服したような気がしたのです。

香川県人以外には決して有名ではない、何の山かもわからないし興味もひかないでしょう。そんな「おらが富士」をテレビCMに使ってくれて、嬉しい限り・・。物理的には遠いですが、心に中にはいつも傍にいる山です。

・・疲れたら、目を閉じてみよう。するといつしか自分は登山道。眼下には懐かしい風景が広がり静かな瀬戸内海。

世相を反映するテレビに、スローな故郷の懐かしい富士が写っているのです。生き方の多様性が言われる今こそ、それは意味を持つ映像なのかもしれません。

嬉しい故郷の富士。そうそれはいつでも自分を幸せにしてくれるのです。

(2022年1月14日・記)

 

・写真上:ある年にサイクリングで走った「しまなみ海道」。尾道から島々を巡り今治へ。充実の自転車旅の目的地は「故郷」。讃岐富士は昔と変わらぬ優しい姿で自分を待っていた。

・写真下:方向は違えど、見間違えようもない、転職・バイト探しサイトのCMに映る「おらが富士」

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●脳腫瘍・悪性リンパ腫治療記(17)「脳外科を退院する日」

頭の手術跡はだいぶ癒えたようだ。ある日、「そろそろ外しましょうか」と看護師さんが手術野を縫合をしていたステイプラを取り外した。触ってわかってはいたが、糸ではなく大きなホチキスか。こんなのが自分の頭に刺さっていたのか。

そしてしばらく後、ようやく細胞分析結果が医師から告げられた。これで退院おめでとうなのか・・。

いや、「中枢神経原発びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」。長ったらしいこれが自分の腫瘍の病名だった。悪性リンパ腫?。良性の腫瘍ではなかったのか。悪性か。ガンなのか。

医師の説明は簡潔で明瞭だった。

・最悪の事態と危惧されたグリオーマではなかった。
・多臓器から転移した腫瘍ではなく、脳の原発性の腫瘍であった。
・中枢神経原発びまん性大細胞型B細胞リンパ腫は決して予後の良い病ではなく再発のリスクも大きい。しかしこのリンパ腫は化学治療で退治が見込める。
・これから化学治療で直していく事になる。脳外科の範疇は終わり。当院では血液内科がないので、転院してもらうことになる。○○病院をお勧めします。良いですか?

良いも悪いもない。ただ、しばらく過ごしていたこの病院を去るのは少し寂しい気がする。ストックホルム症候群ではないが、病室でも長くいれば、そこは我が家で、幾つもの浮き沈みがあった思い出の地。そんな風に感じたのは意外だった。

医師の説明は以上で終わり。ネットで改めて自分の病名を調べてみた。・・・愕然とした。5年生存率の低さ。これは何なのだろう。

嘘だろう、なんで俺が・・・・涙が出た。

なんだ、あと5年生きることが出来ないのかもしれない。体から力が抜けて行くのを感じた。家内に電話をして病名を、その想定される余命とあわせ、ネットの記載通り伝えた。

家内が電話先で嗚咽しているのが聞えた。でも、自分は、大丈夫だとしか言いようがなかった。自分の慟哭の峠はいつしか終わり、出るべき涙はとうに枯れていた。

そして、そう話しているうちに「まだ決まったわけではない。治癒は見込める。とにかく自分のやりたいことをやって、後悔なく生きればよい」、そういう思いがますます強くなってきた。それだけをよすがにして、次の治療に挑むしかないのだ。

自分の最悪ケースの場合での寿命を統計学的に知っても、暫くしてからは驚くほど冷静だった。最初に驚き、涙が出た。が、しかし、それを抑える気持ちに加え、大丈夫生き抜いてみせる、という思いが支えになった。その支えは「自然に包まれて、自分の好きなことをして生きる」、という強い思いだった。

新たに就職した仕事はどうなるんだろう、いや、仕事よりも、残っていると思わる時間を有効に使う。一瞬も惜しい。そう、自分には時間がない。一般病棟に移り自由に歩けるようになってから売店で買ったノートの表紙に大きく名前を入れた。「お釣りで過ごす、人生ノート」。そう「お釣り」。会社も辞めた。再就職した会社はこれでは働けないだろう。子供も巣立ち、巣立つめどがついた。だからもう自分の人生のフェーズは「お釣り」。何故かそんな言葉が頭に浮かんだのだった。

新しい入院先から受け入れの許可が出たという事で、私の退院日が決まった。コロナ下でもあり、一度家に戻るのではなく、そのまま次の病院へ転院へとなった。2021年2月12日。約3週間を過ごした脳外科を退院する日。手術野を止めていたステイプラの最後の一つが右に耳の付け根にあった。これを最後に看護師さんが外し膿盆に入れるとカチリと金属音がした。次に何が始まるのだろうか。

コロナで実際の面会がかなわなかった家族、そして母が迎えに来ていた。母は3年前に娘を同じく脳の病で失っており、今回の自分の病を前に憔悴しきっているのがすぐにわかった。

タクシー2台に分乗する。振り返り仰ぎ見る病院は驚くほど背が高い。あそこに居たのか。あそこで脳腫瘍を切除したのか。わずか3週間の事がまるで遠い昔にも思える。30分ほどで新しい病院に着いた。母と娘たちとはここでお別れ。コロナなので長居できない。ここから先の入院手続きから、ドクターとの面談には家内の同伴となった。

「お釣りで過ごす」人生か・・。何があっても、お釣りを使い果たしてやろう。悔いが無いようにしたい。そんな思いだった。いつしか私の「人生ノート」には走り書きとはいえ多くの文字が書かれているのだった。

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傷口を止めていたステイプラも取り外された。脳外科は退院だ。

 

プロフェッショナルよ、何時までも

床屋。財布に優しくすぐに済む,そんなことで最もありがたいのは1000円カット。手短だし数をこなしているから理容師さん皆さんなかなか上手いです。最後に髪の毛のカットくずを掃除機で吸い取るというのもはじめは驚きました。

これによって「従来の床屋さん」、そのかなりの数が減ったのではないでしょうか。時間をかけたカット、洗髪、髭剃り、襟足剃り。剃りの前には暑い蒸しタオル。肩揉みもあったりと、そんな伝統的スタイルの床屋さんはなかなかのリラクゼーションの場であったとも言えるでしょう。

やはり経済的な理由と、効率的であること、それなりの仕上がりであること、そんなことから自分が「従来の床屋さん」を離れて20年は経つでしょう。「省く」「尖らせる」それを明確にして理髪業界の新しいカタチを作ったと、とある1000円カットハウスは当時のマーケティングの教科書にも出るほどでした。

かつて通っていた近所の、そんな「従来型の床屋さん」。ご店主さんの丁寧な仕事ぶりは記憶に深く残ります。なめし革の太帯の革ベルトのようなものに一枚刃のカミソリをシュシュッとあてて刃を研いでいました。そして、まさにマイスターとも言える「技」で、髭や際を剃ってくれたのでした。あれはすばらしかった・・・。そんな店もご主人の高齢化で数年前に閉店です。

先日そのご主人さんとばったりと話すことがありました。

看板は外していましたがお店の雰囲気は当時のままです。ご主人はもちろん僕のことは覚えられていません。自分が過去何度も散髪をしていただき、都度その技に感銘を受けたかを話します。

「まだ刃は研いでますよ。今は皮ではないですが目の細かい研ぎ紙みたいなのがあるんです。」
「今はどこも替刃式になりました。でもお客さんにしてみればやはり一枚刃をキレイに研いだカミソリが一番なんです」

流石に長年の知見に裏打ちされた言葉です。今でも店主さんが、銀色に光る棚から折り畳んだ手のひらに乗るカミソリをさっと出し柄の先端をすっと押し回して刃を出して、シャッシャッと皮でなめす。そしてそれを逆手に構える名ポーズが鮮明に浮かび上がりました。一連の所作は、無駄がなく、流れています。

もう現役も引退され、店も畳まれた。しかし、自らの為か、或いはいつかに備えてからか、未だに刃を研ぐというその話は、熱く静かに燃えるプロフェッショナルの心意気を見せてくれたように思います。

もっと通うべきでした、そんな気もします。あれは本当に素敵なポーズだったのです。ご主人さん、いつまでもプロフェッショナルでいて欲しいな。(2022年1月12日・記)

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使い込まれた木の握り。鈍く光る柄を押しまわすと鋭い歯が出る。なめし皮で数往復。さっと構える名ポーズは、歌舞伎の大見得に近い、美しい所作だった。

タラのトマトソースパスタの夕べ

今宵のメニュー。

どうするか、と、スーパーで考えていたら、お、綺麗な切り身のタラがあるではないですか。あ、これでトマトソースのパスタ作ろう。即座に頭に電灯が付きました。

トマト缶を入れずして白ワインの味付けも良さそうですが、赤ワインで少し煮てトマトソースで仕上げるほうがピンときたのです。玉ねぎもキノコもあるな。あとはピーマンで行くか。冷蔵庫の在庫と手近な棚の野菜で決まりです。

タラは炒め崩して小さくしたくないので別のフライパンである程度焦げ目をつけておきました。あとは定石通り、ペペロンチーノとアリをオーリオ低温でじっくりと焦がし風味付け、そこに残りの野菜を投入しやや強めに火を通してからトマト缶、そして最後に焼いたタラ切り身を大きめに切って投入し、煮込む感じです。味付けは塩コショウ。それに砂糖少々。仕上げに大葉の千切りを加えアクセントとしました。

付け合わせのサラダは、スーパーで美味しそうな無農薬栽培のカブを手に入れたので、それを使おうと、レタス・キャベツと豆腐・カブのイタリアンサラダです。カブは予めフライパンで焼いて素材の味を感じるようにしておきました。・・なぜイタリアンサラダなのか?あまり意味はありません。単にドレッシングをオリーブオイル・塩、そして白ワインで作ったからです。隠し味に塩昆布を入れましたが、これが良い仕事をしました。仕上げにパルメザンと行きたかったのですが無かったので、細く切ったとろけるチーズに粗びきのコショウです。

なかなか家内には好評でした。「俺、イタリアンの隠れ名シェフ!凄いだろう」と自慢。すでに諦めて何でも頷く家内です。・・・まぁ不味くはないようで、なんともありがたい話です。

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今年最初のトホホ

トホホとすること、年齢とともに多くなりました。

社会の窓全開に気づかず歩いていること。買い物に行ってスーパーで降りて初めてマスクを忘れたことに気付くこと。挙げ出したらきりがありませんが。

さて今年最初のトホホです。

職場には普段歩いていきますが、少しゆっくりした今日は時間が足りずに自転車で赴きました。

帰宅すると「風寒いし大変でしよ、自転車」と家内。はて自転車?なんだろう

そして気づいたのです。習慣通りに自宅まで歩いて帰ってきていました。

仕方なく職場に向けて回れ右。北風の中無事に乗って帰りました。とんでもない無駄です。しかし何の疑問もなく徒歩帰宅。何らかのアラームが鳴ってほしかったが錆びつつありシワの減りつつある脳みそには無理な話のようでした。

実害のないトホホでしたが、「大丈夫か、俺の脳」と言いたくなります。

さて今年は一体いくつのトホホが待っているのでしょう。三桁まで行くかもしれません。

しかし、それさえも笑って、事実として、捉えるほうが良さそうです。錆びて脳の皺が減っても、人生は笑いのネタ作り。笑って過ごせれば言うことはない。そう、歌にも歌われるように、それは愉快なこと。

サザエさんで参りましょう!

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仮面、もとい、会話レスの二人には・・

中学・高校の昼休み、修学旅行、大学生あるいは社会人になってからの泊りのスキーの夕べ・・・。このあたりに何度もやりました。トランプ。今思えば何がそんなに面白かったのか。しかし楽しかったし声を出して笑った記憶しかありません。

とある必然性から先日トランプカードを手に入れました。100円ショップで手に入りますね。

家の中でやろうとしても相手は今や奥さんのみ。昨年までは三人で、さらに5年くらい前であれば四人で出来たでありましょう、トランプ遊び。しかし二人で何ができるのでしょう。スキー宿の夕べにやっていたのは 大富豪(大貧民)、ほぼ一択でした。他にもページワン、セブンブリッジ、豚のしっぽ、名前だけはいろいろ思い出されます。

さて。奥さんと向き合って、まずは「豚のしっぽ」。ルールはもう忘れていますが、今はネットにすべて載っています。二人だけのプレイでは場のカードは減ることがなく、なかなか終わりません。四人は欲しいゲーム。では、と「ページ・ワン」。これも二人だと却ってすぐにあがってしまいます。しかし肝心なところで「ページ・ワン」を言い忘れて、手札が増える。ここなどそれこそ仲間内で酒でも入っていると盛り上がるシーンです。

結局のところ、52枚のカードを2種類26枚に減らして「神経衰弱」。これが一番簡単で、あーだ・こーだと言いながら進めることが出来ました。とはいえ、二人とも記憶力はつるべ落としがごとく日々劣化を辿るのみ。お互いの脳の老化具合を確認しあうという寂しい場になってしまいましたが、これもまぁ良しとしましょう。

「はい、今度僕」
「次、あなた」
「あー、ダメだ、何やってるんだろう」
「え、クイーンでしょ、あそこよ、ふふふ」
「あ-、やったー、俺の勝ち」

どうやら花を持たせてくれたようです。そう、必然的にこの程度の会話は発生します。もう何十年顔を見続けているのだろう、家内。しかし必然の会話で、なにか嬉しい気持ちもします。トランプ、なかなかいいぞ。

仮面とは言いたくはありませんが、それぞれの生活リズムが確立され個々の世界が出来てしまった、その結果として会話レスになってしまったようなお疲れ気味の某夫婦?には、ちょうどよい遊びのようでした。これを機会にポンポンと行きたいものです。

何か共に作業・趣味や遊びをすること、これは大切なようですね。今度友人が遊びに来たら、子供たちが遊びに来たら、又やってみるか。トランプはちょっとした潤滑剤かもしれません。これからの人生、楽しく過ごすには、万事につけ滑りが良いほうが上手くいくようで・・。

(2021年1月11日・記)

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卓にずらりとカードを並べて・・・豚のしっぽ、始まります!